いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

弁護士過剰社会。 surplus lawyer's society

2018-01-26 19:44:31 | 日記
 (1)日本の弁護士(lawyer)の数が初めて4万人(報道)を超えた。近代社会日本で米国並みに小さな社会問題、出来事でも裁判訴訟で争う、解決する傾向が増えると見込んでの国の法曹人育成強化の方針もあり、司法試験の受験者が近年減少する中でも弁護士は10年で1,5倍(同)の増加だ。

 一方、日本でも社会問題を裁判訴訟で争う、解決する傾向が増えると見込んだ予想は、最高裁の統計では10年で年間9~10万件(同)と持続して変わらないことがわかった。

 (2)弁護士は供給過剰状態で「限られた仕事を奪い合う状況」(報道)になっている。そういうこともあるのか、弁護士出身の政治家転出が増えて主流になってきている。

 一方で医師同様に弁護士が仕事の比較多い大都市圏に集中して、地方では不足しているという過疎化現象もある。
 また近年、弁護士の違法、不正行為事件が多く目につき質の低下もあらわれている。

 (3)弁護士過剰社会(surplus lawyer's society)で仕事が回ってこずに、本来社会弱者を擁護、弁護するはずの弁護士が社会弱者を喰いもにする違法、不正行為事件が新聞記事にも増えた。

 産めよ増やせよは戦後復興、高度経済成長時代の社会風潮であったが、司法では裁判官、法曹人を増やす政策が裏目に出ている。法科大学院は定員割れが続いて前述のように司法試験受験者も減少が続き、政府も年間合格者数3千人計画を見直している。

 (4)近年は裁判訴訟が増加して裁判官がいくつもの訴訟を兼務して不足しているとして対策として裁判員裁判制度を導入したが、裁判官希望は伸びずに弁護士増加にあらわれているところだ。

 近代社会日本において、国民の権利意識の向上により小さな出来事(incident)でも裁判訴訟で争う、解決するという社会意識は顕著にはなってきたが、司法手続きの煩雑さ、一定期間裁判に拘束される不都合などがあって、そもそも規律性、協調性、協力性の高い国民性も日本社会の根底にはあって、裁判訴訟件数も横ばい状態が続いている。

 (5)儒教思想に根差した日本社会では裁判訴訟で決着をつけるよりは、当事者同士が話し合い、譲り合い、示談で決着をつける社会風土はある。それが問題の核心を残してたびたび顔を出しては問題化するという複雑さ、とりとめのなさも同居している鷹揚(おうよう)社会でもある。

 そのための解決手段としての弁護士の仕事であるが、あまり弁護士が活躍する社会も健全であるのか考えものではある。政府は司法試験の合格者数を当初の年間3千人目標から半減して1500人を下回らないに修正しているが、裁判官不足と弁護士過剰の二律背反性を解消できるのか司法試験改革が求められている。

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