いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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安倍首相が靖国参拝。 premier abe worship at yasukuni

2013-12-26 19:32:48 | 日記
 (1)今年も安倍首相が靖国神社を参拝しないだろうと見られていた。中国、韓国との尖閣諸島領有権問題、歴史認識問題でともに新体制になりながら1年近く経過しても首脳同士の交流、会談もなく頑(かたく)なに拒否を表明する、あるいは領有権問題棚上げを条件とする中国、韓国政府に対して安倍首相は常に話し合いの門戸は開いていると表明していた。

 まさかその安倍首相の方から中国、韓国が旧日本軍のアジア植民地支配の苦い経験から過剰拒否反応を示す靖国神社参拝を強行することは、話し合いの門戸は開いているという自己主張とは矛盾する両国関係をさらに悪化の方向に導く政治行動になることから、主張との整合性から靖国参拝は選択肢の中では確率は低いものと考えるのが順当だった。

 (2)安倍首相が靖国神社を個人の意思で参拝すること自体は新年に伊勢神宮を参拝するのと同じく宗教信奉的な意味合いはなく、国内問題としてはごく自然な行動であり、主権国家として国外からみだりに批判、非難、干渉(intervention)されるものではない。

 ここに靖国神社を参拝する理由として、国のために命を落とした英霊に敬愛の精神をあらわすのは自然で当然のこと(趣旨)とあえて表明するから、多くの国民を戦争犠牲に駆(か)り立てたA級戦犯ほか軍人が祀(まつ)られている靖国参拝(worship at yasukuni)が思想的な意味合いを持つことになる。

 (3)終戦記念日には天皇、安倍首相も出席して国家行事として戦没者慰霊式典が執り行われており、宗教、思想にかかわらずに広く戦争犠牲者を追悼、供養するものであり、この精神性こそ博愛、平等のあらわれではないのか。

 あえてA級戦犯、軍人が祀られている靖国神社を国のために命を落とした英霊として参拝するのは、戦争主導責任者を特別に崇拝する精神性のあらわれであり、首相の立場としては偏向して普遍性を欠くものだ。

 (4)同趣旨の靖国参拝は国内問題としても思想偏向的であり、首相として普遍的立場を欠く問題性はあり(広く戦没者慰霊式典での追悼精神がふさわしい)、国外からの干渉、批判を招く善し悪しの判断は別にしても、これから中国、韓国政府のさらなる反発を招くことは必至の中で今日、両国は強烈にこれを批判した。米国政府も懸念と失望を示している。

 (5)安倍首相としては終戦記念日でもなく靖国神社の大祭、例祭でもない年末(安倍政権の1年経過)を選んでの参拝で配慮したつもりなのだろう。
 NSC設立に特定秘密保護法の成立に国連PKO活動の韓国軍への銃弾提供と続く自主独立、防衛戦略構想思想の流れの1年の締めくくりとしての計画的な靖国参拝の意義づけだったのだろう。

 (6)国民の過半数の意思も中国、韓国の反発(そして今日の米国の懸念、失望)も一向に気にしないかのような安倍首相のわが道を行く独走ぶりが目立ってきた。年明けからは集団的自衛権の行使容認、国防軍化、憲法改正へと突き進む。

 日本が国際的に「孤立」しないように、国民も安倍首相になめられてばかりはいられない。いつか来た道へは戻れないのだ。

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