いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

父親の親権失格。 disqualification of parental authority of paternity

2014-08-09 19:59:59 | 日記
 (1)昔もそうだったのかはよくわからないが(情報量が現在とは違う)、最近の親と子の関係の異変性の露出度の多さにあきらかな親権能力の劣化、無責任ぶりには危機感を覚える。

 97年神戸連続児童殺傷事件での親権者としての親の社会的責任の取り方があれでいいのか、未成年者犯行者が司法的、社会的責任を取りようもない中で親権者として後見人として被害者、社会に対してとるべき潔(いさぎよ)い親の責任態度はあるはずだ。
 
 (2)多分に子どもの将来を考えての身分が分かる親が全面的に世間に顔出しすることを抑制する力が働いてのことではあるが、それでは事件の特異性、社会性、被害者への心情を察すると、とても社会正義のパラダイム(paradigm)が成り立たないものだ。

 そういうことのひとつひとつが社会構造を無責任で自己本位、排他的、自暴自棄なものへと変えてきている潮流となっているのは考えられる。

 (3)佐世保市で起きた高1同級生殺害事件では、犯行者の高1少女がその前に父親を金属バットでなぐって(報道)そこで被害者の父親のとった手段は、自分から家庭から危険から子どもを排除して16才少女にひとりマンション暮らしをさせるという訳のわからない親権者の判断であり、結果としてその後の異常な同級生殺害事件へとつながった。

 すでに精神科医の相談を受けていたといわれており、親権者として子どもを排除するのではなく、子どもの危険、危機、問題を共有する親、親権者、後見人の責務と正面から取り組む当然の覚悟が必要とされるものであったはずだ。
 親、親権者失格(disqualification of parental authority of paternity)だ。

 (4)で、こちらの方は国立社会保障・人口問題研究所の13年調査で「既婚女性に出産や子育てで困った時の相談相手を聞いたところ、『親』を挙げた人が46.9%(前回比+2.2%)で過去最高」(報道)となった。身近の「夫」は37.8%(同△1.6%)で過去最低となった。

 出産、子育てということで経験、知識豊富(多分)な「親」(この場合は母親中心)を頼るのはごく自然の流れで、健全といえば健全な選択だ。これだけでは子どもの親離れが進んでいないとは言えない。

 (5)むしろ親の方に子離れが低くて、それが子どもの成長に変化をきたしている懸念が社会にはある。
 ただし、教育、進路を決める相談相手は「夫」が86.8%(同)と大半を占めているが、ここでも比率(5.3%)は少ないとはいえ「親」の存在は2.1%増えているというから、妻にとっては夫は収入源、生活安定剤であり、そのとおり夫の子どもの世話など家庭「実務面(practical)」の役割依存度は逆に高まっているのだ。
 妻の家庭での実利優先的な考えがよくわかる傾向である。

 (6)そして前に戻ると、親権者としての親の判断能力が家庭では精神面的依存度の低い実務頼りの「父親」が問題対処にあたることが多くて、結果として親権者、後見人としての社会的責任を満足にとれない(とろうとしない)事態が続いていることが見て取れる。

 問題親のその親かまたは子どもの母親が問題対処にあたるとすれば、少しは違った責任論になるのではないのか。
 
 

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