(1)沖縄は「やはり」遠い(okinawa becomes distant)と感じた。戦後30年弱も米国統治下に置かれて日本本土とは区別、差別された。その間、沖縄に行くのにもビザ発給が必要で、甲子園球場、球児の「土」も持ちかえることが出来なかった。
72年の沖縄返還で日本に復帰したが、日米安保による米軍基地の70%以上が集中して、米国、米軍圧倒的優先事項の日米地位協定の中で実質米国の治外法権化(extraterritorial jurisdiction rights)のままだ。
第2次世界大戦では、「沖縄」は日本生活領土で唯一米軍地上部隊の上陸攻撃を受けて、民間人多数の死傷者を出した。
(2)終戦記念日なるよく意味のわからない表現の式典が終戦日の8月15日に「東京」(東京、名古屋ほかの大空襲はある)で毎年開催されて、沖縄の人たちはこれをどう感じているのか知りたいところだ。
終戦、終焉につながる広島、長崎の原爆の日と同じように沖縄地上戦の悲劇は終戦に大きくかかわったのではないのか。
終戦により二度と戦争、戦禍を起こさない誓いは、東京よりはいろいろと沖縄がふさわしいのではないのか。
(3)終戦記念日の前日の14日に防衛省は普天間飛行場移設先の辺野古沖埋め立て海上地域にブイ(浮標)とフロート(浮き具)を設置して(報道)「日米地位協定」にもとづく立ち入り制限区域を設定した。
埋め立てボーリング調査開始の準備が本格化した。海上からの反対派の抗議行動は海保船が規制した。11月の沖縄県知事選で埋め立てを認可した現知事が3選を目指して立候補することを表明しており、本来なら知事選の結果を待っての埋め立て工事の準備とするのが常道だが、沖縄県民の現知事への反発も大きく不利が予想される選挙戦結果を見越しての早めの既成事実化、着手なのだろう。
(4)沖縄にとっては終戦記念日の前日という県民感情を故意にかりたてるような防衛省の海上埋め立て区域の立ち入り制限区域の設定には、ますます政府の対応への憤(いきどお)りも大きいのではないのか。
それもどれもが、大きなうねり、熱気となって本土には伝わってこないのは不思議だ。沖縄はやはり「遠い」と感じた。
地理学的、地政学的にもたしかに遠いが、このなぜか遠い「距離感(feeling of distance)」は何かと考え込まされる。
民主党政権時代の鳩山首相の「国外少なくとも県外移設」発言が不履行に終わって、沖縄あげての連日の失望、糾弾、憤り、熱気のうねりはよく伝わってきていた。
(5)安倍政権になって名護市長選で移設反対市長が市民に支持されて当選しても、県内あげての大きな反対運動にもつながらずに、それまで一貫して埋め立て認可に慎重だった知事の辺野古沖埋め立て認可もすんなり受け入れられた感がある。
ちょっとこの落差はよく理解できないものだった。日本国民全体の利益、問題として認識すべきことであるが、国民世論調査では沖縄に米軍基地が集中するのはやむを得ないと考える人が過半数を超える現状、小市民的国民意識の中ではやむを得ないのかと、この現実を理解するのがむずかしい。
(6)沖縄に数々の責任と苦労と苦痛を押し付けておいて「遠い」というのも忍びないが、今はとっても遠い感じがしている。
辺野古沖移設は工事期間などを含めて9年の歳月が見込まれて(報道)、沖縄県知選の結果によってはさらに不透明感が増す。
その間、危険とされる普天間飛行場の基地利用は5年で廃止が現沖縄知事の願いだ。このギャップも不思議だが、終戦記念日に沖縄の置かれた理不尽な(unreasonableness)環境、立場に、今年はやけに「遠い」沖縄を思いやっている。
72年の沖縄返還で日本に復帰したが、日米安保による米軍基地の70%以上が集中して、米国、米軍圧倒的優先事項の日米地位協定の中で実質米国の治外法権化(extraterritorial jurisdiction rights)のままだ。
第2次世界大戦では、「沖縄」は日本生活領土で唯一米軍地上部隊の上陸攻撃を受けて、民間人多数の死傷者を出した。
(2)終戦記念日なるよく意味のわからない表現の式典が終戦日の8月15日に「東京」(東京、名古屋ほかの大空襲はある)で毎年開催されて、沖縄の人たちはこれをどう感じているのか知りたいところだ。
終戦、終焉につながる広島、長崎の原爆の日と同じように沖縄地上戦の悲劇は終戦に大きくかかわったのではないのか。
終戦により二度と戦争、戦禍を起こさない誓いは、東京よりはいろいろと沖縄がふさわしいのではないのか。
(3)終戦記念日の前日の14日に防衛省は普天間飛行場移設先の辺野古沖埋め立て海上地域にブイ(浮標)とフロート(浮き具)を設置して(報道)「日米地位協定」にもとづく立ち入り制限区域を設定した。
埋め立てボーリング調査開始の準備が本格化した。海上からの反対派の抗議行動は海保船が規制した。11月の沖縄県知事選で埋め立てを認可した現知事が3選を目指して立候補することを表明しており、本来なら知事選の結果を待っての埋め立て工事の準備とするのが常道だが、沖縄県民の現知事への反発も大きく不利が予想される選挙戦結果を見越しての早めの既成事実化、着手なのだろう。
(4)沖縄にとっては終戦記念日の前日という県民感情を故意にかりたてるような防衛省の海上埋め立て区域の立ち入り制限区域の設定には、ますます政府の対応への憤(いきどお)りも大きいのではないのか。
それもどれもが、大きなうねり、熱気となって本土には伝わってこないのは不思議だ。沖縄はやはり「遠い」と感じた。
地理学的、地政学的にもたしかに遠いが、このなぜか遠い「距離感(feeling of distance)」は何かと考え込まされる。
民主党政権時代の鳩山首相の「国外少なくとも県外移設」発言が不履行に終わって、沖縄あげての連日の失望、糾弾、憤り、熱気のうねりはよく伝わってきていた。
(5)安倍政権になって名護市長選で移設反対市長が市民に支持されて当選しても、県内あげての大きな反対運動にもつながらずに、それまで一貫して埋め立て認可に慎重だった知事の辺野古沖埋め立て認可もすんなり受け入れられた感がある。
ちょっとこの落差はよく理解できないものだった。日本国民全体の利益、問題として認識すべきことであるが、国民世論調査では沖縄に米軍基地が集中するのはやむを得ないと考える人が過半数を超える現状、小市民的国民意識の中ではやむを得ないのかと、この現実を理解するのがむずかしい。
(6)沖縄に数々の責任と苦労と苦痛を押し付けておいて「遠い」というのも忍びないが、今はとっても遠い感じがしている。
辺野古沖移設は工事期間などを含めて9年の歳月が見込まれて(報道)、沖縄県知選の結果によってはさらに不透明感が増す。
その間、危険とされる普天間飛行場の基地利用は5年で廃止が現沖縄知事の願いだ。このギャップも不思議だが、終戦記念日に沖縄の置かれた理不尽な(unreasonableness)環境、立場に、今年はやけに「遠い」沖縄を思いやっている。