いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

やむを得ない選択。 unavoidable choice

2014-08-30 20:07:23 | 日記
 (1)福島県が福島第一原発事故による県内の放射性物質を含む汚染土などを最長30年間保管する中間貯蔵施設を政府の打診にもとづき同県の大熊、双葉両町に受け入れることを決定した。

 苦渋の選択ではあったろうがやむを得ない決断(unavoidable choice)でもあった。東日本大震災による福島第一原発事故で突如住民の生活、財産、権利が奪われて避難生活を余儀なくされて、復興もままならない上でのさらに30年にも及ぶであろう放射性物質を含む汚染土の保管責任を請け負う負担増である。

 (2)福島第一原発を存在もしない政府、東電の言う原発安全神話のもとに引き受けての政府、東電の安全対策の放棄の上での大災害被害を住民が被(こうむ)っての悲劇であった。

 福島県民の大震災被害影響に対する痛みを分かち合う国民の共有意識、協力、支援はもとより大切なことではあるが、非常に心苦しいところではあるが同原発事故影響被害を全国に拡散、拡大し共有、共存することは避けられなけらばならないものだ。
 原発事故影響被害を可能な限り「現地」でとどめる努力、工夫、対策が求められるものでもある。

 (3)原発事故影響被害を全国にむやみに拡散、拡大することは避けなければ国民の生命、安全、財産、権利を普遍的に守ることなど出来ないし、主権国としての国際的使命、責任でもある。

 政府、東電を信用して政策として福島第一原発を受け入れた福島県民には何の責任もなく突如として甚大な原発事故影響被害を受けることになって、何でわれわれだけがの思いは強いのではないのか。
 災害復旧、復興には全国からの支援、協力、援助が相次いだが、放射性物質を含む環境汚染、汚染物質となるとむやみに被災地以外に影響被害を拡散、拡大することは避けられなければならないのは、やむを得ない選択だ。

 (4)汚染土の被災地内での保管管理はやむを得ない選択であり、福島県の苦渋の選択は評価すべきものだ。問題は汚染土保管貯蔵の候補地となった大熊、双葉両町への理解と支援と協力体制だ。

 報道によると両町に対して「早く受け入れろ」(報道)との非難、中傷が賠償金受領もからめて相次いでいたと言われている。被災地が原発事故影響被害の拡散、拡大を防ぐためにひとり責任、負担を担(にな)いやむを得ない選択をするのにあたって、その苦渋の心情、気持ちに寄り添えない非情で愚かな声があるとは驚くばかりだ。

 (5)原発事故影響被害を被災地にとどめる努力、工夫、理解は必要とはいえ、その痛み、苦渋は全国民が共有、理解、協調、支援しなければならないものだ。
 そのひとつが汚染土の保管、貯蔵受け入れの対価としての交付金の拠出だ。国民全体の支援、協力として国民投資(税)から適切に負担することは当然のことだ。

 (6)福島第一、第二原発は廃炉が避けられない。今後40年程度を見込んでの廃炉作業が計画されているといわれるが、外国の例や現在の東電の事故処理作業の不手際を見ると今後予想もつかないものだ。

 中間貯蔵施設は最長30年間の保管となっており、その用地買収やその後の最終処分場(final disposition place)は未決のままだ。廃炉になった福島第一、第二原発跡地を利用して保管処理することも選択のひとつだ。
 政府は最終処分場は福島県外と明言(報道)しているが、残念ながら道理(reason)にかなったものではない。

 (7)少なくとも中間貯蔵施設で汚染土の長期の保管を強いる大熊、双葉町を最終処分場としない確約は必要で、配慮が求められる。
 原発事故被災地の福島県として原発災害影響被害を拡散、拡大しない中での公平な分担、負担、役割、協力体制が必要だ。

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