(1)軍政から民政に移行して初めてのミャンマー総選挙で「強い」民主化リーダーが帰ってきた。8日投票のミャンマー総選挙でアウンサンスーチーさん率いる最大野党「国民民主連盟(NLD)」が優勢(報道)な情勢判断の中で、アウンサンスーチーさんが記者会見で「NLDが選挙に勝って政権を握るなら『私が大統領の上に立つ』」(同)と憲法規定にない「国家元首(a state sovereign)」として「全ての重要政策は私が決める。トップがそうするのは当然だ」(同)と決意を述べた。
(2)これまでもビルマ(今のミャンマー)建国の父として国民的尊敬を集めたアウンサン氏を父に持ち国民的人気、支持の高いアウンサンスーチーさんは、選挙のたびに高い国民的支持を集めながら軍事独裁政権の介入を受けて政権に就くことはかなわずに、これまでもその軍事独裁政権による20数年余りにわたる自宅軟禁状態に置かれてきた。
通常の神経、精神状態であれば立ち直れないような極限の長い閉鎖(家庭)社会でのひとり生活を強いられてきた。
(3)軍事独裁政権にとっても建国の父と尊敬を集めるアウンサン氏の娘として直接手を出すこともできずに、精神的に立ち直れない状況を期待した20数年余りにわたる自宅軟禁措置だったのではないのかと考えられる。
その後ミャンマーも軍政の民政移管による民主化が進んでアウンサンスーチーさんも自宅軟禁を解かれて、アウンサンスーチーさんにもこれまでの軍政抵抗一色から対話重視に姿勢の変化も見られて、再び最大野党NLDの代表として政治に復帰していた。
(4)このすさまじいばかりのミャンマー(アウンサンスーチーさんは今もビルマと言うー報道)民主化に懸けたアウンサンスーチーさんの政治的執念が、民政移管によりいよいよ機を熟して迎える総選挙での優勢を伝えられる中で冒頭の「強い」女性民主化リーダーとしての決意となって表明されたと見る。
アウンサンスーチーさんは父と同じように国民を代表する権威としての「大統領になりたい」(報道)とくり返してきたと言われているが、外国籍(英国)の子息がいるため同国憲法で大統領への道が閉ざされてなることはかなわない。
(5)そこで憲法で大統領への道が閉ざされているならと、その憲法規定を逆手にとってそれなら規定のない「国家元首」として大統領の上に立って「すべての重要な政策は私が決める」とアピールしたものだ。
こういうことが実現可能なのかはわからないが、そもそも憲法規定にないから国家元首になることを誰も止めることはできないとばかりの強弁だが、規定にないものは認められないというのが法遵守の共通の精神、理念であるから実現には無理もある。
(6)軍事独裁政権への抵抗の歴史の中で極限の非情な制裁を受けてきたことへの常人では考えられない強い反骨精神を貫いてきたアウンサンスーチーさんではあったが、気持ちは分からないではないがこれでは民主化独裁主義(an autocracism of democratization)として軍事独裁(政権)主義と基本姿勢は変わらないものだ。
彼女の20数年余り自宅軟禁の極限の苦痛、ストレス、負担を考えると、いよいよ父が建国したビルマ(ミャンマー)の民主化政治奪還の宿命の機会を迎えて、高揚した気持ちが絶対に譲れない、実現させるものとして極限に(ultimate)表現させたものではなかったのか。
(7)結果として選挙に勝利して政権を獲得してから突然に「国家元首」として君臨するというよりは、選挙戦中にその意思を表明して国民の判断を受けることはアウンサンスーチーさんの意思、気持ちを実現に向かわせる上ではよかったのでないのか。
方法論(methodology)は民主化独裁主義的ではあるが、実現に向けた手続論としては国民の判断を受ける民主的行為であった。
(ちなみに安倍首相は安保法制を選挙中はほとんど触れずに、選挙に勝利して突然のように成立に向けて執念を見せたのとは違う。)
(2)これまでもビルマ(今のミャンマー)建国の父として国民的尊敬を集めたアウンサン氏を父に持ち国民的人気、支持の高いアウンサンスーチーさんは、選挙のたびに高い国民的支持を集めながら軍事独裁政権の介入を受けて政権に就くことはかなわずに、これまでもその軍事独裁政権による20数年余りにわたる自宅軟禁状態に置かれてきた。
通常の神経、精神状態であれば立ち直れないような極限の長い閉鎖(家庭)社会でのひとり生活を強いられてきた。
(3)軍事独裁政権にとっても建国の父と尊敬を集めるアウンサン氏の娘として直接手を出すこともできずに、精神的に立ち直れない状況を期待した20数年余りにわたる自宅軟禁措置だったのではないのかと考えられる。
その後ミャンマーも軍政の民政移管による民主化が進んでアウンサンスーチーさんも自宅軟禁を解かれて、アウンサンスーチーさんにもこれまでの軍政抵抗一色から対話重視に姿勢の変化も見られて、再び最大野党NLDの代表として政治に復帰していた。
(4)このすさまじいばかりのミャンマー(アウンサンスーチーさんは今もビルマと言うー報道)民主化に懸けたアウンサンスーチーさんの政治的執念が、民政移管によりいよいよ機を熟して迎える総選挙での優勢を伝えられる中で冒頭の「強い」女性民主化リーダーとしての決意となって表明されたと見る。
アウンサンスーチーさんは父と同じように国民を代表する権威としての「大統領になりたい」(報道)とくり返してきたと言われているが、外国籍(英国)の子息がいるため同国憲法で大統領への道が閉ざされてなることはかなわない。
(5)そこで憲法で大統領への道が閉ざされているならと、その憲法規定を逆手にとってそれなら規定のない「国家元首」として大統領の上に立って「すべての重要な政策は私が決める」とアピールしたものだ。
こういうことが実現可能なのかはわからないが、そもそも憲法規定にないから国家元首になることを誰も止めることはできないとばかりの強弁だが、規定にないものは認められないというのが法遵守の共通の精神、理念であるから実現には無理もある。
(6)軍事独裁政権への抵抗の歴史の中で極限の非情な制裁を受けてきたことへの常人では考えられない強い反骨精神を貫いてきたアウンサンスーチーさんではあったが、気持ちは分からないではないがこれでは民主化独裁主義(an autocracism of democratization)として軍事独裁(政権)主義と基本姿勢は変わらないものだ。
彼女の20数年余り自宅軟禁の極限の苦痛、ストレス、負担を考えると、いよいよ父が建国したビルマ(ミャンマー)の民主化政治奪還の宿命の機会を迎えて、高揚した気持ちが絶対に譲れない、実現させるものとして極限に(ultimate)表現させたものではなかったのか。
(7)結果として選挙に勝利して政権を獲得してから突然に「国家元首」として君臨するというよりは、選挙戦中にその意思を表明して国民の判断を受けることはアウンサンスーチーさんの意思、気持ちを実現に向かわせる上ではよかったのでないのか。
方法論(methodology)は民主化独裁主義的ではあるが、実現に向けた手続論としては国民の判断を受ける民主的行為であった。
(ちなみに安倍首相は安保法制を選挙中はほとんど触れずに、選挙に勝利して突然のように成立に向けて執念を見せたのとは違う。)