いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

監視と注意のパラドックス。 paradox of vigil watch and caution

2015-11-29 20:09:36 | 日記
 (1)安倍政権の「目的のためには手段を選ばない」現代政治風潮が経済、社会の変調に少なからずも影響していると書いたが、2014年政治資金収支報告書が公表された。

 安倍首相をはじめ自民党有力議員たちは億単位の政治資金を集めて、自民党への企業献金が20億円台と前年比13%増(報道)の大幅復活を見せた。安倍政権の経済界への主導政治で下請けと化した経団連が呼びかけて「アベノミクスへの恩恵が自民に還流する」(同)結果となった。

 (2)安倍首相の大企業優先の経済政策で企業業績回復効果が国民生活、地方へトリクル・ダウン(trickle down)するという構図は崩壊して、自然業績回復の企業が与党自民党へ献金として還流される甘えの構図に代わってしまっている。

 かっての自民党と経済界のゆ着構図の復活を強く印象づけるものだ。モノは使いようで安倍政権が企業の内部留保の増えた経済界に盛んに賃上げ、設備投資強化を要請しているのはけっこうなことだが、裏では企業献金の復活強化でもたれ合いの構図が浮かびあがってくる。

 (3)自民党が大臣規範で大規模資金パーティの開催を自粛すると定めているのに、14年の政治資金パーティは258件(報道)で収入1000万円以上の大規模パーティが安倍首相をはじめ麻生財務相、岸田外相、甘利経再相あわせて計10回開催されて、2億2600万円余り(同)も集めていた。

 「自粛」要請で罰則もない見せかけだけの規範で、自民党「実力者」たちは公然と大規模な政治資金パーティを開催して巨額の実利を上げていた。

 (4)安倍首相ほか関係団体は「毎年恒例で開催している『勉強会』で、規範には抵触するものではない」(報道)と回答しているが、勉強会と政治資金集めの大規模パーティがどう結びつくのか社会通念としてわからずに、開き直りのものでしかない。

 政治にカネがかかるといわれても、しかしその政治資金収支管理の意図的なズサンさ、未熟さが指摘されて、政治とカネの不正疑惑がつきない政治の世界で「カネ」の意味がまっとうなものとして考えられていない実態が、自ら決めたパラダイム(paradigm)を公然と平気で守らないという政治の現状だ。

 (5)こういう政治の有り様、手法が「目的のために手段を選ばない」政治となって源流をなして特定秘密保護法、安保法制の強行成立による国民不在政治に、また沖縄辺野古移設の代執行申請という安倍政権の強権政治へと流れているのだ。

 安倍首相は安保法制の国会審議では違憲批判の中で、憲法解釈の変更手法で強行成立をしておいて、国際会議では中国の南シナ海領域海洋進出に対しては国際法の遵守を守るよう訴えるという内外の「顔」を正反対に変える厚顔無恥を示しているのも、自民党の自ら決めた規範を守らない、公然と平気で破る政治体質に根差しているものだ。

 (6)大規模な政治資金パーティを勉強会と強弁し、政治資金収支報告書でも毎年のように社会通念上考えられない非常識な支出が指摘されて、繰り返されてきた。
 そもそも議員利害当事者の国会が定める政治資金規正法は「ザル法」と呼ばれて実効性のないものであり、それが自民党の規範にもあらわれてこういうものがいつまでもまかり通っているのは理解できない感覚だ。

 (7)それでいて「社会」だけはまっとうでいようなどとは、あり得ないことだ。彼ら(政治家)は振り込め詐欺に注意を促し、企業の内部留保に目を光らせ、マイナンバー制度で国民資産の管理強化をしようとしているが、パラドクス(paradox)として自らの政治とカネのパラダイム欠如の反映の社会を自らつくりだしているということである。

 国民としては逆に政治資金の中身についてまっとうなものとすべく監視と注意(vigil watch and caution)をしなければならない重い責任がある。

 

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