(1)13日夜にパリで起きた同時(中心部と近郊8か所)多発テロは129人(14日現在)の犠牲者を出す「フランスで起きた戦後最悪のテロ」(報道)となった。
ISが犯行声明を出しており、競技場、劇場、料理店、バーなどの多く集まる一般市民を標的にした無差別テロであり、これほどあってはならない標的の無分別で理不尽(unreasonableness)で卑劣な蛮行はない。
一般市民といえば、たとえば犯行声明どおりISのテロとして中にはISの行動に理解と支持、支援をする者もいる可能性はあり、そういう「味方」も無差別に標的にして敵、味方なくテロ攻撃することになり、自らの首を絞める無分別で理不尽極まりないテロということだ。
(2)オーストラリア首相が「全人類に対する攻撃」(報道)と批難声明を出しているとおりの無差別、非道無比のテロだ。戦争は場合によっては敵、味方なく無差別の無分別な人類への攻撃となり、当然あってはならない批難されるべき非人道的な行為、行動ではあるが、それでも国と国、地域との紛争としての備え、心構えがある中での決めごとがある。
今回のテロの場合、一応警戒はあったとしても日常の市民生活の中での憩いの場としての競技場、劇場などの多くの一般市民を標的にしたことで、その無分別、理不尽ははかりしれない卑劣さでおぞましいばかりの「全人類に対する」テロだったのだ。
(3)テロも敵(政府、軍、機関)に対してだけでなく、味方(一般市民支持者)に対してまで無差別に攻撃が向けられるようになると、それは「末路」(the end)に向かって陥るプロローグ(prologue)だ。
今まで一般市民生活にまぎれ込んで何気なく活動を行ってきたテロも、「全人類」を敵に回してはテロ組織、テロリストに安閑としている場所はもうなくなるだろう。
「全人類」は世界の政治指導者が言うように結束してテロに対して対峙しなければならないものだ。
(4)日本でもかっては学生運動が盛んな頃に連合赤軍が革命志向で銃などを使った過激な活動を活発化していたが、過激ゆえに孤立して山中に追いつめられて次第に攻撃が疑心暗鬼の組織内に向けられて味方、身内への制裁攻撃に走っていき、自壊した事件経過があった。
テロが敵、味方なく無差別に攻撃が向けられては、「末路」(the end)に向かうだけだ。それを加速させるには「全人類」が反テロ行動に向けて結束して対峙するしかない。
(5)そのために世界の政治指導者が行わなければならない重要な行動も求められる。核保有大国が既得権益保護、保障のために核兵器廃棄、軍縮に非協力的であってはならないし、国連安保理での拒否権発動による自国利益偏重に走ることがあってはならない。
そういう大国主義支配体制が世界のテロ活動の基盤を助長させるだけの利己主義として、パラドックス(paradox)として自らの社会にテロの攻撃、悲劇を向かわせる結果を導くことになるのだ。
(6)世界の自戒とともに、無分別で無差別、非道無比のテロ攻撃に対して「全人類」が結束する時だ。
パリはテロに対しての怒りの火で燃えているか。(is it burning the fire of paris by rage about terror)
ISが犯行声明を出しており、競技場、劇場、料理店、バーなどの多く集まる一般市民を標的にした無差別テロであり、これほどあってはならない標的の無分別で理不尽(unreasonableness)で卑劣な蛮行はない。
一般市民といえば、たとえば犯行声明どおりISのテロとして中にはISの行動に理解と支持、支援をする者もいる可能性はあり、そういう「味方」も無差別に標的にして敵、味方なくテロ攻撃することになり、自らの首を絞める無分別で理不尽極まりないテロということだ。
(2)オーストラリア首相が「全人類に対する攻撃」(報道)と批難声明を出しているとおりの無差別、非道無比のテロだ。戦争は場合によっては敵、味方なく無差別の無分別な人類への攻撃となり、当然あってはならない批難されるべき非人道的な行為、行動ではあるが、それでも国と国、地域との紛争としての備え、心構えがある中での決めごとがある。
今回のテロの場合、一応警戒はあったとしても日常の市民生活の中での憩いの場としての競技場、劇場などの多くの一般市民を標的にしたことで、その無分別、理不尽ははかりしれない卑劣さでおぞましいばかりの「全人類に対する」テロだったのだ。
(3)テロも敵(政府、軍、機関)に対してだけでなく、味方(一般市民支持者)に対してまで無差別に攻撃が向けられるようになると、それは「末路」(the end)に向かって陥るプロローグ(prologue)だ。
今まで一般市民生活にまぎれ込んで何気なく活動を行ってきたテロも、「全人類」を敵に回してはテロ組織、テロリストに安閑としている場所はもうなくなるだろう。
「全人類」は世界の政治指導者が言うように結束してテロに対して対峙しなければならないものだ。
(4)日本でもかっては学生運動が盛んな頃に連合赤軍が革命志向で銃などを使った過激な活動を活発化していたが、過激ゆえに孤立して山中に追いつめられて次第に攻撃が疑心暗鬼の組織内に向けられて味方、身内への制裁攻撃に走っていき、自壊した事件経過があった。
テロが敵、味方なく無差別に攻撃が向けられては、「末路」(the end)に向かうだけだ。それを加速させるには「全人類」が反テロ行動に向けて結束して対峙するしかない。
(5)そのために世界の政治指導者が行わなければならない重要な行動も求められる。核保有大国が既得権益保護、保障のために核兵器廃棄、軍縮に非協力的であってはならないし、国連安保理での拒否権発動による自国利益偏重に走ることがあってはならない。
そういう大国主義支配体制が世界のテロ活動の基盤を助長させるだけの利己主義として、パラドックス(paradox)として自らの社会にテロの攻撃、悲劇を向かわせる結果を導くことになるのだ。
(6)世界の自戒とともに、無分別で無差別、非道無比のテロ攻撃に対して「全人類」が結束する時だ。
パリはテロに対しての怒りの火で燃えているか。(is it burning the fire of paris by rage about terror)