(1)亡くなった人の遺志(the wishes of a deceased person)を確認することは非常にむずかしいことだが、尊重もされなければならないから遺言書(testament)に残すことで証明力が保障されている。
他人ではない本人の遺志確認ということで遺言書作成は氏名、生年月日、自筆、押印、封印などの有効必要要件が定められているが、公証役場で作成して双方1通づつ保管するやり方が最も手堅い実効力のある方法論として定着している。
(2)一旦記載された遺言書に赤ボールペンで全面斜(はす)向かいに斜線が引かれた遺言書が有効かどうかの訴訟で、1審、2審はともに「赤ボールペンの斜線引きでは文面がわからない程度の訂正ではなくて無効とはいえない」(判決趣旨)と遺言書は「有効」との判決を言い渡した。
最高裁への上告審では「赤いボールペンで文面全体に斜線を引く行為は遺言の効力を失わせる意思の表れだ」(判決趣旨)として遺言「無効」の判決を言い渡し確定した。
1、2審の赤ボールペンでの斜線では文面の文字をわからなく(読めなく)する程度の行為ではないから遺言有効という判断も、実に法律解釈論的でなくて唯物論的な考え方でこじつけがましくて裁判所の判決としてはふさわしくない考え方だ。
(3)公文書の訂正では、訂正個所に二本線を引いて訂正した文字数を欄外に記して押印するというのが通常の訂正方法で、遺言の場合もそう指導されている。
また一般的に記入部分全体を取り消す場合(破棄する)には、冒頭事例のように斜向かいに斜線を引く行為が慣例として行われて社会通念として理解されているものだ。
最高裁の判断はこの社会慣例として社会通念上の一般的に広く認知されている行為を正当なものとして認めて、本人が遺言を取り消したもの(効力を失わせる行為)と判定した。
(4)1、2審に比べれば広く一般的に社会通念上慣例として定着している流儀、方法論(methodology)を法則として認めた点で法律論的解釈判断といえる。
しかし、生前本人が遺言として一旦はしたためたものを文面に赤いボールペンで斜線を引いてまたわざわざ封印して残した(金庫に保管)というのも、よくわからない遺志であり行為でもある。
なぜわざわざ一旦書いた遺言書を赤ボールペンで斜線を引いてまでして、本人がそれをまた封印して残したのかという大いなる疑問が残る。遺言を取り消すのなら書いたものを破棄すればいいことだ。
(5)冒頭の訴訟はひとり相続を外された長女が訴えた(報道)ものだがこれが最高裁判決のとおり遺言無効が確定したわけだから、それから推測すると本人の「遺志」は本当のところは文面どおりだが(わざわざ取り消し文面を残したわけだから)よくよく考えた末に残された者が法定相続相応分をそれぞれが受け取ればいいに変心訂正したということになる。
(6)ところがもうひとつ、報道によると家裁が本人の金庫に保管してあった遺言書を調べたところ、赤ボールペンで斜線の引いてある遺言書は「封筒の上部が切られていた」(報道)ということだ。
最高裁はこの事実をどう解釈したかはわからないが、本人が一旦封印したものを開いて斜線を引いてそのまま保管したのか、また本人以外の者が開封して斜線を引いたとも理解できるわけで、ますますわかりにくい状況でもある。
(7)最高裁の遺言書無効判断、判決を尊重するならこの事実に不正はなく、裁判過程で本人が再び開封して斜線を引いたか本人の死後に家族が遺言書を発見して開封したあきらかな事実があるということが考えられる。
いずれにしても客観的事実(証拠)の実証性はむずかしいことだ。裁判上は一定の決着(遺言書無効)をみたが、本人の遺志はいかばかりであったのか、入り組んだ事情の遺言書無効判決だった。
他人ではない本人の遺志確認ということで遺言書作成は氏名、生年月日、自筆、押印、封印などの有効必要要件が定められているが、公証役場で作成して双方1通づつ保管するやり方が最も手堅い実効力のある方法論として定着している。
(2)一旦記載された遺言書に赤ボールペンで全面斜(はす)向かいに斜線が引かれた遺言書が有効かどうかの訴訟で、1審、2審はともに「赤ボールペンの斜線引きでは文面がわからない程度の訂正ではなくて無効とはいえない」(判決趣旨)と遺言書は「有効」との判決を言い渡した。
最高裁への上告審では「赤いボールペンで文面全体に斜線を引く行為は遺言の効力を失わせる意思の表れだ」(判決趣旨)として遺言「無効」の判決を言い渡し確定した。
1、2審の赤ボールペンでの斜線では文面の文字をわからなく(読めなく)する程度の行為ではないから遺言有効という判断も、実に法律解釈論的でなくて唯物論的な考え方でこじつけがましくて裁判所の判決としてはふさわしくない考え方だ。
(3)公文書の訂正では、訂正個所に二本線を引いて訂正した文字数を欄外に記して押印するというのが通常の訂正方法で、遺言の場合もそう指導されている。
また一般的に記入部分全体を取り消す場合(破棄する)には、冒頭事例のように斜向かいに斜線を引く行為が慣例として行われて社会通念として理解されているものだ。
最高裁の判断はこの社会慣例として社会通念上の一般的に広く認知されている行為を正当なものとして認めて、本人が遺言を取り消したもの(効力を失わせる行為)と判定した。
(4)1、2審に比べれば広く一般的に社会通念上慣例として定着している流儀、方法論(methodology)を法則として認めた点で法律論的解釈判断といえる。
しかし、生前本人が遺言として一旦はしたためたものを文面に赤いボールペンで斜線を引いてまたわざわざ封印して残した(金庫に保管)というのも、よくわからない遺志であり行為でもある。
なぜわざわざ一旦書いた遺言書を赤ボールペンで斜線を引いてまでして、本人がそれをまた封印して残したのかという大いなる疑問が残る。遺言を取り消すのなら書いたものを破棄すればいいことだ。
(5)冒頭の訴訟はひとり相続を外された長女が訴えた(報道)ものだがこれが最高裁判決のとおり遺言無効が確定したわけだから、それから推測すると本人の「遺志」は本当のところは文面どおりだが(わざわざ取り消し文面を残したわけだから)よくよく考えた末に残された者が法定相続相応分をそれぞれが受け取ればいいに変心訂正したということになる。
(6)ところがもうひとつ、報道によると家裁が本人の金庫に保管してあった遺言書を調べたところ、赤ボールペンで斜線の引いてある遺言書は「封筒の上部が切られていた」(報道)ということだ。
最高裁はこの事実をどう解釈したかはわからないが、本人が一旦封印したものを開いて斜線を引いてそのまま保管したのか、また本人以外の者が開封して斜線を引いたとも理解できるわけで、ますますわかりにくい状況でもある。
(7)最高裁の遺言書無効判断、判決を尊重するならこの事実に不正はなく、裁判過程で本人が再び開封して斜線を引いたか本人の死後に家族が遺言書を発見して開封したあきらかな事実があるということが考えられる。
いずれにしても客観的事実(証拠)の実証性はむずかしいことだ。裁判上は一定の決着(遺言書無効)をみたが、本人の遺志はいかばかりであったのか、入り組んだ事情の遺言書無効判決だった。