(1)放送法なるものがあって番組制作にあたっては①公序良俗、②政治公平、③事実報道、④多角論点を守る「番組編集準則」が規定されている。4項目どれをみても当たり前の当然のことを述べているだけだが、これが放送事業者が自らの放送姿勢を律する倫理規定なのか、拘束力(a binding force)のある法規定なのかで、政府と放送業界の第三者検証機関(BPO)とで解釈の違い対立があわらとなっている。
(2)NHKの時事問題報道番組の「クローズアップ現代」が「ヤラセ」番組を放送したことに対して政府、所掌の総務相がNHKに対して「行政指導」したことをとらえて、BPOは放送に対する政府の「圧力」があったと厳しく批判した。
これに対して政府は放送法にもとづいて当然の「責務」だとして反論している。この政府の「責務」か政府の「圧力」かが、冒頭の「準則」が放送業界の自律規則なのか守るべき普遍的法規定なのかの法解釈論で丁々発止がくりひろげられている。
(3)それはそれで法理論的問題でおやりになったらいいことで、問題は放送番組に「ヤラセ」があって、それが放送倫理に反する行為であって制作側(今回はNHK)が社会的糾弾を受けたことについて、政府が「行政指導」としてNHKに対して政治介入、指導することの是非が問われなければならないことだ。
カネ(予算)も出すが口も出すのが放送の独自、独立性、表現、報道の自由に対する不当な干渉にならないのかだ。カネ(予算)を出せば出資者の意向が事業運営に重要に反映されるのは至極当然の商行為原理であって、表現、報道の自由と公共放送の使命との本来的ギャップ(gap)、そもそも構造上の不釣り合いがあっての矛盾した制度でもある。
(4)カネ(予算)を出せばあるいは許認可権を持てば政府は人事権で組織を自ら(の政策)に有利なように導くのは特に安倍政権になって顕著になってきており、公共放送のNHKに対してもその手法はあきらかだ。
現在のNHK会長は番組、報道の独自、独立性を求められる立場にありながら、これまで政府の政策、方針寄り、容認の発言、姿勢をより鮮明に示して公平(fairness)、公正性(justifiability)に物議をかもしてきた。
(5)NHKの報道ニュースの番組姿勢にも公平、公正性の物足りなさ、不足が指摘されてもいる。冒頭の至極当たり前の放送法の「番組編集準則」の法的解釈がどうのこうのではなくて、公共放送の有り様そのものが自由権に対する構造上の欠陥を持っていることの方が表現、報道の自由保障への重大問題だ。
たしかに英国BBC(公共放送)など国は公共放送で知る権利、報道の公平、公正性を保障する制度としているが、側面は政権維持のための重要なプロパガンダ(propaganda)として情報統制、操作手段として有効に確保しようというのが狙いだ。
(6)放送法がどうので公共放送への政治介入が問題になるのであれば、NHKも自ら事業運営資金(スポンサー)を集めて民営事業化してもっと自由に独自に独立して放送事業本来の役割、使命を果たすべきだ。
もちろん、「ヤラセ」放送問題は視聴者の信頼を大きく裏切る、政治介入をみだりに引き起こすあってはならない自損手法ではある。
(2)NHKの時事問題報道番組の「クローズアップ現代」が「ヤラセ」番組を放送したことに対して政府、所掌の総務相がNHKに対して「行政指導」したことをとらえて、BPOは放送に対する政府の「圧力」があったと厳しく批判した。
これに対して政府は放送法にもとづいて当然の「責務」だとして反論している。この政府の「責務」か政府の「圧力」かが、冒頭の「準則」が放送業界の自律規則なのか守るべき普遍的法規定なのかの法解釈論で丁々発止がくりひろげられている。
(3)それはそれで法理論的問題でおやりになったらいいことで、問題は放送番組に「ヤラセ」があって、それが放送倫理に反する行為であって制作側(今回はNHK)が社会的糾弾を受けたことについて、政府が「行政指導」としてNHKに対して政治介入、指導することの是非が問われなければならないことだ。
カネ(予算)も出すが口も出すのが放送の独自、独立性、表現、報道の自由に対する不当な干渉にならないのかだ。カネ(予算)を出せば出資者の意向が事業運営に重要に反映されるのは至極当然の商行為原理であって、表現、報道の自由と公共放送の使命との本来的ギャップ(gap)、そもそも構造上の不釣り合いがあっての矛盾した制度でもある。
(4)カネ(予算)を出せばあるいは許認可権を持てば政府は人事権で組織を自ら(の政策)に有利なように導くのは特に安倍政権になって顕著になってきており、公共放送のNHKに対してもその手法はあきらかだ。
現在のNHK会長は番組、報道の独自、独立性を求められる立場にありながら、これまで政府の政策、方針寄り、容認の発言、姿勢をより鮮明に示して公平(fairness)、公正性(justifiability)に物議をかもしてきた。
(5)NHKの報道ニュースの番組姿勢にも公平、公正性の物足りなさ、不足が指摘されてもいる。冒頭の至極当たり前の放送法の「番組編集準則」の法的解釈がどうのこうのではなくて、公共放送の有り様そのものが自由権に対する構造上の欠陥を持っていることの方が表現、報道の自由保障への重大問題だ。
たしかに英国BBC(公共放送)など国は公共放送で知る権利、報道の公平、公正性を保障する制度としているが、側面は政権維持のための重要なプロパガンダ(propaganda)として情報統制、操作手段として有効に確保しようというのが狙いだ。
(6)放送法がどうので公共放送への政治介入が問題になるのであれば、NHKも自ら事業運営資金(スポンサー)を集めて民営事業化してもっと自由に独自に独立して放送事業本来の役割、使命を果たすべきだ。
もちろん、「ヤラセ」放送問題は視聴者の信頼を大きく裏切る、政治介入をみだりに引き起こすあってはならない自損手法ではある。