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【希望なき明日、明日なき希望】荻野純「未だ見ぬ明日に」 感想(少年サンデーS11月号より)

2016-10-10 | 荻野純
                                    
                                     一筋の光を―。











先日、荻野純さんの新作読切が「サンデーS11月号」に掲載された
それが今回紹介する「未だ見ぬ明日に」である。

とある大きな問題があって、
でもそれが別に全て解決する訳じゃない
だけど、嘆きに溺れて足掻こうともしなかった冒頭に比べて
確かに、主人公なりの一歩を踏み出そうとする顛末がとても美しく思える、
そんな少女の成長譚としてとても優れた作品だったと個人的には感じました。

そう、
エイリアンを中心に据えたバトル漫画(?)だとは思うんですが
肝心のエイリアンズをやっつける(退治完了する)訳でもなければ
都合良く何もかもが解決する物語にもしてないんですよね
つまりは、
これ意識改革のお話だと思うんです
最初から「どうせ無理に決まってる。希望を抱いても無駄」だと考えていた主人公が
物語が終わる頃には「理想の明日なんて来ないかもしれない。それでも―」と一縷の望みに賭けて“選ぶ”事を決める。
そんな思春期の少女のちょっとした、だけど、あまりにも大きな「成長」を描く物語としてこの漫画は成り立っているんです
この読切は、エイリアンとの戦いもその決着(解決)も勿論二人のゆるゆるな日常を描く事もゴールにはしていない
それらはあくまでそこに至るまでの過程でしかなくて、
そういう幾つかの出来事や出会いを重ねて最終的に、希望の無い明日を生きていた彼女が
明日がどうなるか分からない中でもわずかな希望を抱く事が出来た、それをゴールとしているように個人的には感じたんですね



このシーンが象徴的。


色々な出来事や出会いを経験するまでは、
正に生きる屍のように過ごしていた正音が、
最後の最後で「何か」を感じて
進路希望調査の用紙に「何か」を書こうとする着地点とその演出が実に“粋”だなあ、と感じました
それは正に、それまで一歩も踏み出さなかった、否、一歩踏み出す事にすら虚無を抱いていた
そんな彼女がようやく踏み出す事が出来た何よりも尊い“一歩”なんです
この漫画は、
この読切は、
そんな「一歩を踏み出す」最後の描写の為に全精力が注ぎ込まれている(気が個人的にはした)作品で
ある意味物凄くシンプルなんですけど、ある意味物凄く力強く美しい作品だとも言えます
何もしてなかった、何をする気すらも起きなかった、そんな正音だったからこそ
「何か」を志す気持ちを抱いて、「何か」を描こうとしたオチにめちゃくちゃにグッと来ました
その先も、
個々で想像したり描いたりするとより感慨深い気持ちになる作品でもあり
読切としても十分やりたい事が伝わって来る傑作でありますが、
是非連載としても読んでみたくもなる作品だったかと

圧倒的に絶望を感じたら動けなくなるのは仕方がないことで、そこを責めるような作劇には決してなってない
だからこそ、正音が自分が感じた想いで、自分が描いた希望で、自ら「未だ見ぬ明日」のその先へ進もうとしたエンディングがとても美しく思える
そんな焦点をきっちりと絞っている、読切としても完成された作品になっているのでファンの方は勿論そうじゃない方にも是非読んでもらいたい作品です

今の世の中、希望を抱きにくい世界にもなりつつあるので、その意味合いでもこういう作品の持つ役割は大きいんじゃないでしょうか。
正に「2010年代の漫画」でした。














それにしても文歌のおっぱい・・・流石ですね(超笑顔)
二人のやりとりを楽しむ漫画としてもよく出来ているのもまた秀逸な作品でした
宇宙クラスのナイスバディすごかったです(満面の笑み)

ちなみにタイトルはアジカンの曲から、
二人の名前は合わせると後藤正文になる・・・という音楽の小ネタも健在でした。