高校生の時、
どうも「自分は他人とは違うな。」という事を思っていた
いや、その前から、もう小学校高学年の時からそうだったのかもしれない
自分が好きになるものは人とは全く違うものだし、
それだけじゃなくて・・・
何もかもが上手く行かないし
人とまともに話せないし、
話したとしても噛み合わないし、
本気で自分が生きてちゃいけない人間だと思っていた。
それが「気のせい」「勘違い」だと思えるような日々だったならまだマシだった
だけど、その後も実力もツキもない現実がずっと続いていて
20代前半の頃の自殺願望は凄いものがあった
ただ、
個人的に痛いのとか苦しいのは嫌だった
だから、「それ」からもずっと逃げ続けてきた人生だと言える
そんな時によくこの曲を聴きながら布団の中で女々しくもさめざめと号泣していた。
でも心が痛い
たまに届かなくて
酷い時は泣いて
いいね もう
このフレーズにどれだけ救われただろう・・・
どんなに想っても伝わらないニュアンスと
不出来な自分との狭間で苦しみ、
喜びも微笑みもなく
ただただ空しいだけの日々に本当の意味で響いてくれたのはこんな曲だった
本当は、「誰かみたいになりたかった」だけなのかもしれない
クソの役にも立たない自分なら、
いつ捨てても良かった
だけど、捨てる事が出来なかった
他人と自分を比べれば比べるほどに惨めになっていくだけだし
土下座してまでも「待ってくれ」とすがり続けたいだけの毎日だった
そんな時期に「頑張れ」も「諦めるな」も「踏ん張れ」も「足掻け」も何も響かなかった
あの時の自分に響いたのは、
泣いていい
そういう言葉でした。
何度もこの曲を聴きながら号泣したし、
何度もこの曲を聴きながら一人で苦しんだ
それはきっと客観的にみればどうでもいいことなんだと思う
だけど、自分の人生に於いてはきっと「この曲があって良かった。」と素直に言い切れる
本当は悔しかったし、彼らみたいに振る舞えない自分がずっと恥ずかしかった コンプレックスの塊だった
そんな風に「許される為に生きる」事はただただ空しくてやりきれないだけだった
そんな時に聴くこの曲は普段耳にするどんな曲よりも無垢に聴こえた
本音がダダ漏れだと思った
だからこそ、好きになった
オブラートも虚勢もない、syrup16gは高校生の自分にとってはヒーローのように思えた
どの曲にもオリジナルの思い出がありますけど、この曲はとりわけ本当にしんどい気分になった時に必ず聴いてましたね
どんなに伝えたい気持ちや自分ならではの想いを注いだって、それがきちっと受け止められるかどうかなんて不確定で、
でもそういう経験を繰り返していくと自分の存在がどんどんと不明瞭で曖昧なものになっていく
それが何よりも怖いし、悲しいし、空しいし、涙が止まらない、助けを求めたくなる
気が狂いそうになる
そんな時に「ただ」側に居てくれる曲・・・
自分にとってこの曲はそういう曲です
世の中のどれだけ売れた応援歌よりも、深い所で自分を支え続けてくれた、大切な一曲です。