それぞれに「フツー」がある。
「頑張る」・・・有り触れている様で実は奥深い言葉です
一生懸命女優の道をひた走っている夜凪ちゃんは勿論頑張っているけれど、
吉岡くんだって別のベクトルで頑張ってるし、ひなちゃんもひなちゃんで「頑張れる自分」を探している
それぞれ方向性は異なるしポピュラリティも違うけど、みんな“頑張ってる”事には違いない
だから、ある意味みんな正しいんですよね
で、遼馬が「頑張ってない」かと言えば、
それも違くて、頑張り方は違うけど、遼馬は遼馬で「後押しする」という行為を“頑張っている”
その頑張りを認める景ちゃんは正にジャンプ主人公らしい頼もしさに満ちていて素敵だなあ・・・と実直に思いました
そう、
遼馬は遼馬で何一つ頑張ってない・・・とも言えないんですよ
遼馬がいなければ、吉岡くんの本懐も果たされず、ひなちゃんの努力も報われなかった
大方、映画作りにまったく参加していない後ろめたさもあったんでしょうけど、
製作に参加するだけが、メインで動くだけが「頑張る」って事じゃない
遼馬は、もうプロには行けないんでしょうけど、
例え行けなくても、「頑張る」方法はいくらでもある・・・ある意味そういう水面下のメッセージ性すら感じましたね。
別に、
物凄く大きな成果だけが報われるっていう事ではなく、
些細でも、裏方でも、どんな小さいことでも、「頑張った」と思うなら、
それはもう既に頑張れてる何よりの証拠だと思うんですよね
そういう自分を認めるのも大事なんじゃないかなあ・・・とかこの話数を読んで感じつつ、
ある意味「自己肯定の真っ当なやり方」を描いているようにも思えて本当哲学の塊のような漫画だな、と(笑
何より、あまり話数をダラダラ使わずに各々にちゃんと見せ場を用意してあげた作劇の巧さが光ってて素晴らしかったです。
本当は、
みんな“普通”に安心しながらも、
他の誰かとは違う「何か」に成りたがっている
自分を肯定出来る「何か」をいつも探している
だからこそ、
少しでも“頑張れた”自分が嬉しい、
ただの凡人だからこそ、誰かの何かに成れた事がとても嬉しい・・・っていう、
自分の参加した映画が拍手されることで満たされる相様を描いてみせたのも美しくて誠実で良かったです
頑張り切れない自分に本当はジレンマを感じつつ、でも、こんな風に頑張りたいともがいている。。
そんなひなちゃんもまた読者共感度の高いキャラでもっともっと見たい!って思わせる魅力がありましたね
この学園編が終わっても、是非出番があるといいな・・・って個人的には思っています。
夜凪ちゃんの出した答えは、
日常の自分もまた「自分」に間違いはなく、
役者の自分もまた「自分」である・・・という、
例え役者じゃなくなったって自分は自分だ。というものでした
そして、日常を楽しく過ごせる自分をちゃんと見つけたからこそ、
今度は本当の意味で役者になりたいと思える・・・と、かなり腑に落ちる答えでした
だから、
自分の幸福を見失わない力さえあれば、
自分たちは何だってなれる
何だって目指せる、、、という依存ではなく選択する事の喜び・・・を伝えるテーマ性もまたハイレベルで良かったです
景ちゃんにとってのフツー、ひなちゃんにとってのフツー、吉岡くんにとってのフツー、遼馬にとってのフツー。
それは別に重ならなくても良いし、重ならなくてもみんな頑張ってるという事実には変わりない。
極論を言えば、「毎日ちゃんと生きてる」だけでも頑張ってると言えますしね。
だから、頑張り方は一つじゃなくて良い。。
個人的には、このお話で最も感じ取ったのは「それ」でしたね。
色々な意味で見事かつストンと納得の行くお話でした。
次週以降も、楽しみです!!
個人的に、
遼馬は指導者の道もありかなー、と。
もしくは本当に裏方でもいい。
道は一つじゃない。
「頑張る」・・・有り触れている様で実は奥深い言葉です
一生懸命女優の道をひた走っている夜凪ちゃんは勿論頑張っているけれど、
吉岡くんだって別のベクトルで頑張ってるし、ひなちゃんもひなちゃんで「頑張れる自分」を探している
それぞれ方向性は異なるしポピュラリティも違うけど、みんな“頑張ってる”事には違いない
だから、ある意味みんな正しいんですよね
で、遼馬が「頑張ってない」かと言えば、
それも違くて、頑張り方は違うけど、遼馬は遼馬で「後押しする」という行為を“頑張っている”
その頑張りを認める景ちゃんは正にジャンプ主人公らしい頼もしさに満ちていて素敵だなあ・・・と実直に思いました
そう、
遼馬は遼馬で何一つ頑張ってない・・・とも言えないんですよ
遼馬がいなければ、吉岡くんの本懐も果たされず、ひなちゃんの努力も報われなかった
大方、映画作りにまったく参加していない後ろめたさもあったんでしょうけど、
製作に参加するだけが、メインで動くだけが「頑張る」って事じゃない
遼馬は、もうプロには行けないんでしょうけど、
例え行けなくても、「頑張る」方法はいくらでもある・・・ある意味そういう水面下のメッセージ性すら感じましたね。
別に、
物凄く大きな成果だけが報われるっていう事ではなく、
些細でも、裏方でも、どんな小さいことでも、「頑張った」と思うなら、
それはもう既に頑張れてる何よりの証拠だと思うんですよね
そういう自分を認めるのも大事なんじゃないかなあ・・・とかこの話数を読んで感じつつ、
ある意味「自己肯定の真っ当なやり方」を描いているようにも思えて本当哲学の塊のような漫画だな、と(笑
何より、あまり話数をダラダラ使わずに各々にちゃんと見せ場を用意してあげた作劇の巧さが光ってて素晴らしかったです。
本当は、
みんな“普通”に安心しながらも、
他の誰かとは違う「何か」に成りたがっている
自分を肯定出来る「何か」をいつも探している
だからこそ、
少しでも“頑張れた”自分が嬉しい、
ただの凡人だからこそ、誰かの何かに成れた事がとても嬉しい・・・っていう、
自分の参加した映画が拍手されることで満たされる相様を描いてみせたのも美しくて誠実で良かったです
頑張り切れない自分に本当はジレンマを感じつつ、でも、こんな風に頑張りたいともがいている。。
そんなひなちゃんもまた読者共感度の高いキャラでもっともっと見たい!って思わせる魅力がありましたね
この学園編が終わっても、是非出番があるといいな・・・って個人的には思っています。
夜凪ちゃんの出した答えは、
日常の自分もまた「自分」に間違いはなく、
役者の自分もまた「自分」である・・・という、
例え役者じゃなくなったって自分は自分だ。というものでした
そして、日常を楽しく過ごせる自分をちゃんと見つけたからこそ、
今度は本当の意味で役者になりたいと思える・・・と、かなり腑に落ちる答えでした
だから、
自分の幸福を見失わない力さえあれば、
自分たちは何だってなれる
何だって目指せる、、、という依存ではなく選択する事の喜び・・・を伝えるテーマ性もまたハイレベルで良かったです
景ちゃんにとってのフツー、ひなちゃんにとってのフツー、吉岡くんにとってのフツー、遼馬にとってのフツー。
それは別に重ならなくても良いし、重ならなくてもみんな頑張ってるという事実には変わりない。
極論を言えば、「毎日ちゃんと生きてる」だけでも頑張ってると言えますしね。
だから、頑張り方は一つじゃなくて良い。。
個人的には、このお話で最も感じ取ったのは「それ」でしたね。
色々な意味で見事かつストンと納得の行くお話でした。
次週以降も、楽しみです!!
個人的に、
遼馬は指導者の道もありかなー、と。
もしくは本当に裏方でもいい。
道は一つじゃない。
言われたw
ワイが言いたかったけどw
まあいいやw
アルスラーン戦記で殿下の「正義は太陽の様に一つかと思ったが星の様に沢山あるのかな」って台詞思い出してた(ここ数週)
あのプロデューサーもうファンだろw
頑張り方・・・確かに色々なやり方が有るっすな
リョーマ君には是非とも頑張ってもらいたいw
そう言えば片仮名で書くとテニヌを思い出す・・・(^^;
さて、次から新章か
>「フツーっていっぱい有るんでしょ」
これは名言ですね~
ゴルフに燃えるのも普通だし、
ゲームセンターに通うのも普通だし、
お酒に生きるのも普通なんですよね
こういうセリフが、今の日本には必要に感じますね。
>「正義は太陽の様に一つかと思ったが星の様に沢山あるのかな」
まあそうでしょうね
正義の反対は別の正義~ってのも真理だと思いますし。
>リョーマ君には是非とも頑張ってもらいたいw
別にプロになるだけが野球との関わり方のすべて~ではないですしね
一口に野球と言っても色々なお仕事がありますから・・・。
今後に注目です。