40年前オーディオを始めた時に、オーディオ店の店員に「ジムランのSPが良いですよ・・・」と進められたのが「ジムラン」(ジェームス・バロー・ランシング)を知ったきっかけでした。その頃は「ジムラン」と云われても何も判りませんでした。「JBL」と云うのがそのSPらしいと云う事を理解しました。
40年も前の話なので面白くも有りませんが、当時名古屋の地下街「サンロード」(ユニモール)にFM愛知の出先スタジオが有り、そこにJBLのL-200(スタジオマスター)が置いて有りました。そのエネルギー感に満ちたサウンドに驚愕しました。当時色々なオーディオ店で聴いた国産のSPでは到底出せない「リアル」なサウンドが頭の中から離れませんでした。
だからと云って簡単に替える訳では有りません。当時月給5万円くらいの時代です。L-200もたしか記憶では20万円/本(40万円/セット)していたと思いますので、安月給ではこんな高いSPは高根の花でした。「JBLを買うなら中高音がホーン型」のシステムが1級品だとは判っていても、当時私が最大の背伸びをして購入したのがJBL L-100(センチュリー)でした。このSPでも当時16万円/本でした。(当時1ドル/360円時代)会社の寮に住んでいましたのでサイズ的にも大きなものは置けませんでした。
現在の手持ちのシステムを見て行きますと、ほとんど「JBLさんが基本設計したユニット」を使ったシステムばかりになりました。タンノイを一時使った事も有りますが「音のキレ」と「張り出し感」に不満が有り、何セットも買っては手放しました。
JBLのマークが入ったユニットはもちろんですが、ALTECの#604EもJBLさんの基本設計です。彼が活躍したのは1940年代から50年代くらいですので、既に70年から80年経っています。
私は回顧趣味でオーディオはやっていません。性能の良いユニットを集めて最高のSPシステムを作る事が目的です。原寸大の「エネルギー感」の出せるユニットでないと「生の音」に近い質感は出せないと思っています。その観点で色々なメーカーのユニットを試して行くと必然的に「JBLさん」の作ったユニットに辿り着くのです。しかし、当時なかった技術や素材も有りますのでこの新素材や技術を組み合わせると「JBLさんのユニット」は更なる「潜在能力」を出して来ます。
「なぜ生の音」に拘るかと云うと「生の音」は非常に情報量が多いのです。情報量を多く出せないと近づけません。一生懸命追求してやっと「聴ける」グレードになると思っています。はじめから「生の音」を諦めているとその先は中途半端なBGMしか有りません。
5年間、自分用のSPを作って来ましたが6セットも揃える事が出来、もうこれ以上は「お守」も「スペース」も有りませんので終止符を打とうと思っています。増設は止めますが「音質アップ」は今後も続けて行きます。現在進行形で「音質アップ」させて行きます。まだまだ「上の高み」を求め続けたいと思います。