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昨日11日で、東日本大震災から7カ月と成った・・・
そんな中、死者・行方不明者が多数出た石巻で避難所がすべて閉鎖された・・・と
~以下、10月12日読売新聞朝刊より抜粋~
東日本大震災から7カ月となった11日、被災地で最も多い死者・行方不明者が出た宮城県石巻市の避難所の全てが閉鎖された。これで同県内の避難所は、気仙沼市や女川町など4市町の22ヶ所350人まで減少した。石巻市では、避難所を出た64人が、自宅の改修が間に合わないなどの理由で、市が新たに設けた「待機所」に入る。今後は、被災者の「自立」に向けたきめ細かいサポートが望まれる。
待機所は、公民館やコミュニティーセンターなど4か所に設置。1日3回の食事が提供され、生活は避難所と殆んど変らない。同市の亀山紘市長は設置期間について「最大でも今年一杯」と説明する。
待機所となった市総合福祉会館うしお荘に、市立渡波小から一家4人で移ってきた船舶エンジン販売修理業高橋茂さん(64)は「家の修理が始まる目途は立たない。年内に自宅がある場所近くの仮設住宅に入れるといいが」と話していた。
待機所は阪神大震災の際にも設置された。神戸市は震災発生から約7カ月後、食事の提供はしないで、寝泊りするだけの待機所を開設した。それでも神戸市が待機所を閉鎖するまで約4年かかった。仮設住宅はかかりつけ医のいる地元から遠く離れ、通勤通学にも不便、などが理由だったという。阪神での前例もあり、避難所生活の長期化を避けたいとの思いは被災自治体の間に強い。
多賀城市は、自宅修理が終わらない被災者がいる中、9月30日に避難所の閉鎖に踏み切った。市側は「避難者との面談を重ねたうえで可能と判断した。一日も早い自立に向け、行政側が背中を押す必要があった」と話す。
ただ、同市の男性会社員(46)は、避難所から出て自宅に戻ったものの、損壊していて住めず、同僚や友人宅を転々としている。男性は「修理が終わるまで、避難所に居させて貰いたかった」と納得がいかない様子で、行政の思惑との違いをのぞかせている。
勿論、被災者の方達には・・・自立に向けて頑張って頂きたいのは当たり前なのですが・・・
行政側は・・・きめ細かいサポートができる専門員を置き、さらなるサポートをお願いしたいものです
一日も早く、元の生活が取り戻せますように願って居ります。
そんな中、死者・行方不明者が多数出た石巻で避難所がすべて閉鎖された・・・と
~以下、10月12日読売新聞朝刊より抜粋~
石巻の全避難所解消 六四人が「待機所」入所 |
避難所 | 避難者 | |
石巻市 | 0(4) | 0(64) |
気仙沼市 | 6 | 105 |
大崎町 | 9 | 27 |
女川町 | 6 | 215 |
南三陸町 | 1 | 3 |
合計 | 22 | 350 |
待機所は、公民館やコミュニティーセンターなど4か所に設置。1日3回の食事が提供され、生活は避難所と殆んど変らない。同市の亀山紘市長は設置期間について「最大でも今年一杯」と説明する。
待機所となった市総合福祉会館うしお荘に、市立渡波小から一家4人で移ってきた船舶エンジン販売修理業高橋茂さん(64)は「家の修理が始まる目途は立たない。年内に自宅がある場所近くの仮設住宅に入れるといいが」と話していた。
待機所は阪神大震災の際にも設置された。神戸市は震災発生から約7カ月後、食事の提供はしないで、寝泊りするだけの待機所を開設した。それでも神戸市が待機所を閉鎖するまで約4年かかった。仮設住宅はかかりつけ医のいる地元から遠く離れ、通勤通学にも不便、などが理由だったという。阪神での前例もあり、避難所生活の長期化を避けたいとの思いは被災自治体の間に強い。
多賀城市は、自宅修理が終わらない被災者がいる中、9月30日に避難所の閉鎖に踏み切った。市側は「避難者との面談を重ねたうえで可能と判断した。一日も早い自立に向け、行政側が背中を押す必要があった」と話す。
ただ、同市の男性会社員(46)は、避難所から出て自宅に戻ったものの、損壊していて住めず、同僚や友人宅を転々としている。男性は「修理が終わるまで、避難所に居させて貰いたかった」と納得がいかない様子で、行政の思惑との違いをのぞかせている。
勿論、被災者の方達には・・・自立に向けて頑張って頂きたいのは当たり前なのですが・・・
行政側は・・・きめ細かいサポートができる専門員を置き、さらなるサポートをお願いしたいものです
一日も早く、元の生活が取り戻せますように願って居ります。