ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

食品偽装表示に思うこと

2007-12-25 09:25:55 | 社会・政治・一般
事務所では、月に一度は勉強会をやっている。主に税法改正への対応が目的だが、会計や法務といった周辺知識の充実にも力を入れている。勉強会の後は、必ずお食事会をやるのが慣行になっている。

銀座界隈の美味しいお店が主だが、時々築地や有楽町にも足を運ぶ。日頃滅多にいかない、お高いお店でささやかに美味しい食事を事務所経費で頂いている。これは楽しい。

何店か定番のお店があるが、その一つに歌舞伎座近くのステーキハウスがある。私はいつもNYステーキのサーロイン12オンスをミディアムで頂いていた。味付けは胡椒をふりかけるだけ。他のスタッフは、少食の所長と同じ神戸牛のヒレを頼んでいた。こちらも柔らかくて、芳醇な味だった。私はこの店で、牛肉の美味しさを知ったと思っている。

私は手をかけて柔らかい肉質を実現した神戸牛に代表される、日本の牛肉の美味しさを否定はしない。でも、海外の少し固めで、噛むほどに肉汁がほとばしる牛肉の美味しさも評価している。歯が丈夫なうちは、この味を楽しみたいと考えている。

ところが、数年前のアメリカでの狂牛病さわぎで、メニューからNYステーキが消えた。これはいたし方ない。しかし、昨年ぐらいから神戸牛の名前も消えた。アラカルトのメニューには、単にヒレとサーロインがあるだけで、あとは量で表示しているだけだった。

おまけに肉にステーキ・ソースの下味が付けられていた。前はそんなこと、していなかった。決して不味くはない。美味しいのだが、以前の味を覚えているので、少々興ざめに思っていた。

しかしながら、今年に入って続出した食品偽装騒動を見ていると、あのステーキハウスはある意味、とても正直に商売をしていたのだと思い至った。近年の原材料(牛の飼料)の高騰や、官庁接待の減少で、飲食店は売上減少と利益低減に悩んでいることは知っている。高価格なブランドものの牛肉の仕入れを止めたのかもしれない。

以前の神戸牛との表示が偽装だったかどうかは知らない。美味しかったことだけは覚えている。私には神戸牛とそれ以外の牛との違いを判別する舌を持ち合わせていない。だから、店を信じるしかない。正直に神戸牛の看板をはずした決断を、私は良い方に解釈したいと思う。

赤福や船場吉兆は、おそらく氷山の一角に過ぎないなだろうと思う。その一方で、正直に商売をしている店があることを、私は非常にありがたいと思う。

でも・・・また食べたいな。あのお肉。
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「毒猿」 大沢在昌

2007-12-22 14:42:23 | 
痛いけど気持ちイイ。

足裏マッサージをご存知だろうか。私が初めて経験したのは、シンガポールの下町であった。ビンタン島へのツアーで知り合った現地ガイドの紹介で行ったのが、足裏マッサージ専門のお店だった。

「イテテテ・・・」と思わず悲鳴を上げるほど痛い。鋭い目つきの中国人男性の施術師が、自分のお腹の左右を指して、ここが悪いとジェスチャーする。思わず「え!?」

日本語を話せるガイドさんが、「あなた腎臓悪いヨ」と伝えてくれる。大正解である。なんで足の裏を突いて分るのかと不思議だったが、そのマッサージの後身体の調子が良くなったのは実感できた。

帰り道、ガイドさんがあの施術師はカンフーのマスターだと教えてくれた。なるほどと思った。格闘技は、つまるところ人体の破壊を目的とするから、必然的に人体の構造に詳しくなる。あれほど的確に、つぼを突けるのだから、その腕前はたしかなのだろうと推測できた。中国4000年、恐るべしである。

以降、腕のいい足裏マッサージの探すことを密かに趣味としている。現在、繁華街を歩けば、比較的簡単に足裏マッサージの店を見つけることはできる。しかし、腕のいい施術師に出会えることは稀だ。

この十年でわずかに2名だけが、私のお眼鏡に適う技量であった。いずれも台湾の男性で、残念ながら現在は日本にいないそうだ。

表題の本では、台湾からの殺し屋が登場する。日本ではプロの殺し屋は、フィクションの世界以外ではまずお目にかからない。少なくとも、私は見聞したことはない。しかし、中国にはたしかにいるらしい。

実は腕のいい足裏マッサージ師を求めて、いろいろ聞きまくっていたら、なにか勘違いをされたようで、強面の中国人のお兄さんたちに脅されたことがある。新宿歌舞伎町の裏手あたりの雑居ビルの奥に、いきなり引き摺り込まれた時は驚いた。二の腕を逆手に取られて、動こうとすると電気が走るような激痛を覚え、完全に押さえ込まれてしまった。

慌てて知り合いの中国人倶楽部のマネージャーの名前を出し、連絡させて怪しい者ではないことを証明してもらった。おかげで無事解放してもらったが、私を押さえ込んだ手口は、明らかに格闘技の技であったと思う。顔は見れなかったが、生傷だらけの太い腕と、気配を感じさせずに私の背後に立ったあたり、なにかの熟練者だ思う。

後でマネージャーから「センセイ、危ないことしちゃ駄目ヨ」とたしなめられた。お礼に寿司屋で奢る羽目に陥り、けっこうな出費となったが、命には代えられない。以来、足裏マッサージ師探しは、ほどほどにしている。

夜の新宿は恐ろしい。新宿鮫には頑張ってもらわんとね。
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山口素弘の引退

2007-12-21 09:24:15 | スポーツ
はじめて見たのは、冬の高校サッカーだと思う。群馬代表の前橋育英高校の中盤の司令塔であった。非常にセンスのある選手だったと記憶している。東海大学を経て開幕してまもないJリーグの横浜フリューゲルスに入団した期待の若手であった。

しばらくは目立たない選手であったが、ブラジルからの助っ人セザール・サンパイオが入団した頃から、彼のパートナーとしてダブル・ボランチを組むようになり、そのバランサーぶりが注目を集めた。一言で言えばクレバーな選手だったと思う。

突出して足が速いわけでも、身体が強いわけではない。世界屈指の名ボランチであるサンパイオのプレーを間近で見て成長したとは本人の弁だが、たしかにそういった側面はあったと思う。

フランスを目指した加茂ジャパンでもボランチを勤めた。裏番長・名波と中盤のバランサー山口のいたおかげで、中田英は自由に動き回れた。あのプライドの高い中田も認めるクレバーな中盤の底を見事にこなした名選手だったと思う。あのジョホールバルのイラン戦は、山口の相手ボールのカットから中田英のシュートとつながり、最後は岡野の押し込みでの決勝点だった。

ある意味、きわめて日本的な選手だったと思う。その身体能力は際立ってはいなかったが、的確な判断と労を惜しまぬプレスで、格上の相手にも自由にさせない巧さがあった。ただ単に走るだけではない、考えて走るプレーの実践者であったと思う。

私個人としては、もし山口素弘がオシム監督の下で指導を受けていたらと思わずにはいられない。現・レッズの阿部やJEFの羽生らを見ていると、全盛期の山口だってあのくらい走れたぞと考えてしまう。今期は横浜FCでプレーしたが、往年のプレーはもはや無理だった。体力的に限界だったのだろう。やはり最後はJ1で選手生活を終えたかったのだと思う。

一番記憶に残るのは、フランス杯アジア予選での韓国戦だ。アウェイでの激戦のさなか、韓国ゴール前でふわりとボールを浮かせて、韓国のGKの頭上を越えたループ・シュートは、山口らしからぬ華麗な得点でした。シンプルで地味なプレーを身上とした山口の、技術の高さと冷静さをみせつけた素晴らしいプレーでした。

長い間、お疲れ様でした。次は指導者としての活躍を期待しています。
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「長靴を履いた猫」 シャルル・ペロー

2007-12-20 12:54:20 | 
どうも東映のアニメ映画のイメージが強く、今でもあの能天気に快活なネコの姿が思い浮かぶ。

ただ、当時から不思議に思っていた。あれだけの才能があるネコなら、自らが王になればいいのではないか?と。人食い鬼が王になれるのだから、長靴履いたネコが王でも可笑しくないはずだ。

それでも結局は、ネコしか相続できなかった三男坊が王様になるストーリーのほうが大衆受けしたのだろう。安定した、つまり閉塞した社会における童話のありかたとしては、このほうが適切であるのは理解できる。

作者ペローの編纂した童話は、もともとが中世ヨーロッパの各地の寓話が元になっている。身分差別が著しい階級社会の下で育まれた寓話だけに、自ずと定められた立場があるとの前提があるのかもしれない。

最近では言われなくなったが、かつては中世ヨーロッパを暗黒時代と呼んでいた。中学生だった私は、何故に暗黒時代なのかさっぱり分らなかった。漠然とだが、身分差別を指しているのだと考えていた。

20代半ばで、病気療養のため長期の自宅療養中に図書館通いを続け、自分なりに勉強して分ったのは、中世ヨーロッパはキリスト教による征服時代だったことだ。古代よりヨーロッパは多神教の地で、土着の民族宗教が数多く存在していたことが分っている。多くの文献は、キリスト教会により破壊されているため、断片的な資料から推測するしかないのが残念だ。

ローマ帝国の崩壊と、イスラム教徒による地中海制覇により、布教の地をヨーロッパに絞らざる得なかったキリスト教会は、数百年にわたり破壊と侵略を繰り返した。しかし、根強い土着宗教に根を上げ、かなりの妥協を余儀なくされた。

女神信仰は、マリア信仰に変貌させたが、意に沿わぬ場合は魔女伝説にすり替えた。世界樹神話は、クリスマス・ツリーに変身させて北欧の民の歓心を買った。ヨーロッパ各地の土着の風習を、キリスト教的祭事に変貌させ、人々を精神的に支配しようとした。その支配は10世紀前後に頂点を迎えた。

この圧迫こそが、中世ヨーロッパを暗黒時代と言わしめた正体だ。土着の風習、宗教は根絶させられたかにみえたが、その残滓は寓話という形で残った。この寓話でさえ根絶したかったようだが、民衆は口伝えで子孫に伝えて生き残った。

キリスト教の支配は頂点を迎えた後、ルネッサンス(文芸復興)に始まりルター、カルビンらの宗教改革とその後の近代化の流れのなかで、徐々に衰弱しはじめ、ついには科学にその座を奪われた。根絶やしにしたはずの各地の寓話が、グリム兄弟やアンデルセンそしてペローらの努力により本として刊行されてしまった。

もちろん宗教だけで寓話を語ることは適切ではないが、その影響は決して小さくない。中世ヨーロッパの階級社会は、王や貴族といった支配者とキリスト教を上位に置く。その閉塞された社会における、息抜きとして生き残ってきた童話の逞しさ、しぶとさには感服です。
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「韓国崩壊」 パク・ソンジョ

2007-12-19 09:31:30 | 
刺激的なタイトルだが、内容は冷静な分析に終始する。東西ドイツの統一を見て、我がコリアも南北統一をと熱狂する様に危機感を抱き、冷静になることを促すソウル大学の教授が著者だ。

同じ民族であるドイツ人だが、いざ統一してみると、まるで違う社会行動をとる。とりわけ東ドイツの人たちは働かず、怠けることが多く、その癖望みは多い。それを非難すると、西ドイツの人こそ冷淡で、金儲けにあくせくする非道ぶりだと反論する。

統一の結果、東ドイツは発展途上国に落ちぶれた。鬱屈した感情は排外主義とネオナチの横行を招き、いくら援助を重ねても成果が出ないことから、統一は失敗であったとの社会的合意が形成されている。

このことを鑑みて、民族が同じでも、体制の異なる社会で育った国民は、まるで違ってしまうことを指摘して、南北コリアの統一の危険性を、冷静に指摘している。

おそらく少数派の意見だとは思うが、私も概ね同意できる内容であった。仮に南北コリアが統一された場合、統一ドイツ以上の対立が起こりうるのは必然だと思う。その場合、その不満と対立を逸らすため、外に向けての行動を起こす可能性は高いと思う。要するに内政の失敗を外交で補うってやつだ。

著者は触れていなかったが、その場合アメリカ及び日本をターゲットにしたものとなる可能性は高いと思う。かつて50年代に韓国の李承晩大統領が、内政の混乱から対日戦争を意図したことがあったが、アメリカに察知されて断念したことがある。統一コリアが同様の行動をとらないといった保証はないと思う。

もっとも、現実的には韓国軍にも北朝鮮軍にも渡海能力はなく、ミサイルと航空機による軍事行動が限界だと思う。日本としては日米安保と在日米軍がある限り、負ける可能性は低いが原発などを攻撃目標とされれば、大きな被害は免れ得ないと思う。憲法9条がまるで役に立たないのは言うまでもない。

ただ、私自身は当面、統一コリアはないだろうと考えている。今の金成日体制は現状維持が望みだし、その後の政権は共産中国の傀儡政権となる可能性があると疑っている。平和ぼけの日本と異なり、共産中国は今も国防意識は高い。朝鮮半島に強力な統一国家(見かけ上だと思うが)が樹立することを黙ってみているとは思えない。

過去、何度も朝鮮半島を直接、間接に支配してきた中国が、再びその野心を甦らせる可能性は低くないはずだ。もっとも、その野心をロシアが黙って見過ごすかどうかの問題もある。元をただせば、北朝鮮はソ連の傀儡国家としてスタートしているのだから、当然に関与を求めてくることが予想できる。

アメリカも黙っているはずもなく、3すくみ状態になることも予想できる。当然に韓国は、大国の干渉に感情的に燃え上がるだろう。いずれにせよ、朝鮮半島の将来は、きわめて不安定なものとならざる得ない。

インド洋での補給中止で、騒いでいる日本政界の間抜けぶりには、どうも好感が持てません。
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