入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

        入笠縁(ゆかり)の伝承を訪ねる (1)

2016年01月04日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  牧場の近く、本家・御所平峠から法華道を伊那側へ数分も下れば、一帯は「御所平」と呼ばれる平坦な落葉松の林が続く。北原のお師匠が立てた案内板が、小さな沼のそばにある。そう、かつて14世紀中葉に、この地に日蓮宗の高僧・日学上人、そして日蓮宗中興の祖と言われた日朝上人もまた、伊那谷への布教のために錫杖を下ろした。その時よりもさらに100年も以前の鎌倉幕府滅亡のころ、後醍醐天皇の皇子宗良親王がしばらく居住した地として伝えられ、このような地名が生まれたと聞く。
 しかしその言い伝えには、以前に疑義を呈しておいた。実際は同じころ、幕府崩壊の時、からくも逃れた北条高時の次男である時行と、その家来が隠棲していたのではないだろうか、と書いた。その理由は、そんな不自由な山の中で暮らさなければならない理由など、親王にはなかったと思ったからだ。何故なら親王は大鹿村の大河原に、その地の豪族・高坂氏の庇護を得て拠点を持っていた。
 その一方、鎌倉幕府の再興を期さねばならない時行主従は、足利を中心とした反鎌倉の勢力の追撃から、彼らの存在を秘しておかなければならなかったはずだ。すでに長男の万寿丸は、鎌倉龍ノ口において処刑されていた。このような時において頼りにしたのが諏訪氏であり、その援助も得て彼らは入笠の山中に身を隠すことになったのではないだろうか。しかしいかで人里離れた山の中とはいえ、人の目に触れないとも限らない。そこでこの集団は、宗良親王を騙ったのではないかというのが、勝手な推測である。親王に対してならば鎌倉の残党に対するよりも足利側の、追っての目こぼしが期待できると考えたのではないだろうか。そして約1年後、時行らによって鎌倉奪還のため、「中先代の乱」が勃発することになる。
 そんなことをもう一度再考してみたくて今日、郷土史愛好家のN氏と、宗良親王縁の地を再び訪ずれてみたのだが、・・・続く。

 かんとさん、この調子なら週末の天気、期待できます。
 入笠牧場の宿泊施設及びキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H27年度冬季営業」を、また天体観測に関心のある方は「入笠牧場からの星空」をご覧ください。





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