
毎日新聞1月10日の記事より、PH撮影は支援者の一人マリア・レブロワさん
あんな新聞の要約では、渡辺さん母娘(おやこ)の想いが、苦労が、読者には伝わらないではないか、というご批判を頂戴した。母の想い、娘の想いをもっと具体的に書くべきで、さもなくんば一人で感動してウルウルしているだけではないかと。いや確かに。
親愛なる読者各位よ、筆力の及ばない点はいかんともしがたい、お詫びします。しかしどうか想像し、思い致して欲しい。極寒の地シベリアに抑留され、望郷の思い叶わず斃れ、永久凍土に眠った人々のことを。また同時に夫の、或は父の帰還に一縷の望みをかけながら、やがては諦め、戦後の長い人生を必死で生きねばならなかった多くの、渡辺さん母娘(おやこ)のような人たちのことも。
亡くなった渡辺義穂さんの妻である智津子さんは、70歳の年齢を押して夫の眠る異国ロシアの、その辺境の地を訪ねた。その強い、深い想い、その苦労・・・、共に旅した娘の祥子さんはそんな姿を目にしていたからこそ母の死後、再び母の遺骨を携え、父の眠るノリリスクという僻遠の地を訪れたのだ。それもまた、大変な苦労だったはずだ。しかしその旅で、父と同じように祖国に帰れなかった日本人たちへの気持、想いが、今度は慰霊碑の建立というさらに困難な決意をさせることになった。
それからから11年の月日が過ぎ、さまざまな障害や紆余曲折の末に昨年、やっとついに祥子さんの願いは叶い、慰霊碑が建てられた。三度その地に立った祥子さんは、極北の風を受けながら、できたばかりの碑に日本から持ってきた折り鶴を供え、そこに眠る父や他の日本人の霊に語りかけた、「どうかこの鶴に乗って故郷にお帰りください」と。
そして万感の思いに瞑目する彼女の写真が、その表情が、万の語を連ねるよりも雄弁に全てを語っている、胸に迫る。
「昨日の文章がさらに簡略化されただけじゃないか」
「ムー、しかし貴殿もウルウルしておられぬか」
「ウッ、最初に何故この感動の写真を載せなかったのだ、と言ってるんだ」
「なれど、著作権の問題はござらぬか」
「お前のブログに載せるためだけの新聞のコピーだろう、案じゃない」
「エラク簡単に言ってくれるではござらぬか」
NKさん、遠くから、ありがとうございました。良い旅でなによりでした。愚生の場合、旅の終わりはいつも、覚束ない人生を感じさせてくれます。
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