
昨夜は冷え込み、かなり寒かった。撮影の下見の人らは、路面凍結のため途中で断念して、来なかった。こんな時期に2千メートル近くの山へ普通タイヤでは無理、状況の把握、対応ができていない。映画やコマーシャルの撮影地を探す、いわゆるロケハンを仕事にしている会社や人に対しては、時々似たような経験をする。結局、この3連休は誰も来ないし、来そうもない。クク。
昨夜友人のNと電話で話していて、「郷土史なんかにも関心があったのか」と問われた。もう13年にもなってしまうが、信州で暮らすことを決めこっちに帰ってきて1年半ばかりは、仕事もせず、思い付くまま各地に出掛けた。そして郷土の自然の奥深さに打たれ、親しみ、俳句と温泉を趣味とする会まで立ち上げた。そんなころだった、法華道の復活を熱心に進めているという北原のお師匠の噂も耳に入ってきたのは。
どういうことか山奥の集落を訪ねると決まって、「こんな辺鄙な土地に一生を終えた昔の人々は生涯、マグロの刺身なぞ口にすることなく終わっただろうな」と、その暮らし振りを想像し、想いを深めた。またなぜに、そういう深山(しんざん)を選んで暮らさなければならなかったのかという疑問を、あれこれと勝手に弄(もてあそ)んでみたりするうちに、郷土史を学ぶというには程遠いも、そのとば口らしきに自然と近付いったのかも知れない。
都会にあって、時代の寵児ともてはやされる人たちには、関心がない。それよりかもう一度同じことを書くが、生涯マグロの刺身を味わうことなく終えた人々に、限りない愛着と、連帯感を感じてしまう。
念のため書き添えるなら、マグロも含め、あまり刺身を食べたいと思うことはない。また俳句の会も、あまりの才のなさを恥じて、会の名を持っていつにか脱会してしまった。幸い、そのころの仲間との友好は続いているし、名前を変えて俳句の会は存続している。
午前6時半、山の中にいると里での暮らしが億劫に思える。いつかはこうして人里から離れ、馬齢を重ねることが希望だったし、そうしている今に満足している。ここにいれば、じいっと沁み入るような意識の深いところに、下りていけるような気がする。