どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ライラック通りの帽子屋

2015年09月19日 | 安房直子

     ライラック通りの帽子屋/安房直子コレクション4 まよいこんだ異界の話/安房 直子/偕成社/2004年/1973年初出


 ライラック通りによく気をつけていないと見すごしてしまいそうな古い小さい帽子屋がありました。あまり売れるあてもなさそうな帽子が店にならんでいます。

 ところがある日、「こんばんは」と入ってきたのは、なんと羊。

 放し飼いの羊が、ジンギスカンにされそうになって牧場から逃げ出してきたのです。羊は自分の毛を刈り取って帽子をつくってほしいと頼みます。

 帽子屋の見立てでは小さいトルコ帽が30個ぐらいできそうでした。

 羊が帽子をかぶってもしょうがないだろうという帽子屋に、「ぼくの毛でつくった帽子には、もうすこしすると不思議な力がやどるんです。これからぼくは、いなくなった羊の国に行くつもりなんです。そしてぼくがその国にすっぽりはいって、姿がきえたら、帽子にふしぎな力がでてきくる。」といいます。そして帽子ができたら牧場の羊に、夜中にこっそりととどけてやってほしいとも。
 
 やがて帽子屋は、注文の30個と、こっそり自分のためにもうひとつこしらえます。

 帽子屋が自分のためにこしらえたトルコ帽をかぶったのは、おかみさんからお金や娘のことでガミガミいわれたのがきっかけでした。

 帽子屋は、帽子をかぶるだけでふしぎなことがおこるという羊のことばに半信半疑でした。

 しかし、トルコ帽をかぶると帽子屋がいつかの羊にあいます。そこですすめられたメニューの中から「にじのかけら」を選び、それを食べると帽子屋はちょっきり三十年若がえります。

 若者は、ライラックの花がみごとに咲いている木の下で、ライラックの帽子、世界一かるい雲の帽子、キラキラ輝いた虹の帽子新しい型の帽子をつくりはじめます。

 そして、やってきたのは、若くなったおくさん。

 紫色の帽子にひかれて、これまでかぶっていたトルコ帽をぬぐと、おくさんは、もとの年取ったすがたになって、自分の家にうずくまっていました。

 次に、きえた羊の国にやってきたのはトルコ帽をかぶった二人の娘。娘たちもアルバイトさせてもらい、ライラックの帽子をかぶろうと、トルコ帽をぬぐと。娘たちも自分たちの家のもどってしまいます。
帽子屋が羊の国にいってから、おくさんがトルコ帽をショウウインドウにかざると、さっそくスケッチブックをもった若者がトルコ帽をかっていきます。


 いろいろ想像してみると楽しそうな話である。

 帽子屋の店構。一階が店舗で、二階部分が住居。店舗は三坪ほどか。

 帽子屋は無口で、頑固な職人気質。(ある絵本では髭があるおじいさん風に描かれているのですが、自分としては、もう少し若いイメージ)

 帽子屋のおくさんは、いまどきそんな帽子ははやらない、もっと金になることを考えてくれと帽子屋のしりをたたきますが、帽子屋がいなくなってから、仕事場の掃除をし、ミシンに油をさし、帽子の型紙をそろえたり、ショーウインドウのガラスをみがいたりと、よくできたおくさんのようです。

 牧場の羊にとどけてほしいいわれたトルコ帽。最後のほうで帽子屋がいいます。「花の帽子がいかにもにあいそうな若い娘、白い雲の帽子をほしいという若者がおおぜいいたが、みんな消えてしまった。」と。
 かぶろうとトルコ帽をとると、みんなもとの世界にもどっていったのです。とすると羊のところではなく、人間にわたったようだ。

 帽子屋があった街は、絵本にするとどんな感じになるだろうか。多分大都市ではなく、しっとりとした古都がふさわしいようだ。両脇にはせいぜい二階建ての格子の家といった感じか。いや、帽子というから外国のレンガ造りの街並みがイメージされる。

 ライラック色と聞いてどんな色を想像するでしょうか。
 あまり見たことがないが、紫色。

 そして、ライラックの花言葉は「思い出」「友情」「謙虚」。

 この中では思い出がふさわしいようだ。時計屋の娘だったところに、帽子屋が何度もやってきて、自分のつくった帽子をかぶってみませんかといわれたときのあまずっぱい思い。

 ライラック通りといっても、木は大分昔に枯れて花を咲いたところはみたことがなかったのに、羊の国へいくときは、並木という並木にたおやかな花が咲きこぼれ、夜だというのに、通りいっぱいのうす紫のあかりをともしたように明るい風景。
 
 調べてみると、道路にライラック通りという愛称をつけているところが散見されます。

 ライラックということばから連想したのがハナミズキ。自分の住む街にはハナミズキ通りがある。この名称はライラックより多い。ハナミズキどおりの○○で、別の話もうかんできそうだ。

 「帽子屋は、自分のつくった帽子をかぶった人の顔を見てはじめて、ほんとうの帽子屋になれるんだ」という最後のセリフは、売れるあてのない品物をつくっていた帽子屋に、羊がやんわりとさとしたものだったのかもしれません。


紅葉の頃

2015年09月03日 | 安房直子

    紅葉の頃/安房直子コレクション7 めぐる季節の話/偕成社/2004年/1993年初出


 8月前半の猛暑から後半は雨、くもりの日が続き、なんとなくすっきりしない日々。

 季節は秋に。秋は紅葉の季節。

 紅葉は紅葉の精が、山のはたのある家にいっせいにはいりこんで、峠の紅葉、谷の紅葉、ふもとの紅葉を織ります。

 峠の紅葉は、赤や黄色になってみんな、こぼれてゆくよ。紅葉はわらいながら、こぼれてゆくよ。それから谷に落ちて、またわらいながら、流れてゆくよ。

  安房作品は音が聞こえ、色がはっきりしたイメージであるが、どれもギラギラしたものではなく、落ち着いたもの。
 そして季節もギラギラの太陽の下ではなく、秋とか冬、そして息吹を感じさせてくれる春がふさわしいようだ。

 この話を読んで、紅葉のイメージがふくらむ。

 この機織り機はいずれも古くなって、いまはあまり使われていないもの。小屋の片隅にひっそりおかれた機織りへの愛着も感じられた。

 川に流れてきた紅葉の裏側には、山のうさぎの手紙が書いてあるのですが、どんな内容でしょうか。


とうふやのお客

2015年08月27日 | 安房直子

     ねこじゃらしの野原/安房直子コレクション3 ものいう動物たちのすみか/偕成社/2004年


 ねこじゃらしの野原には、たくさんのとうふやさんのお客がいます。

<すずめのおくりもの>1982年初出
 休みの日の早朝にやってきたのが、すずめ。
 なんでもすずめ小学校の入学式のプレゼントにとうふをつくってほしいと、秘密の畑で作った豆を持参してきます。


<ねずみの福引き>
 冬のひぐれどき、秘密の話があるというので、とうふ一丁をもってでかけたのが、ねずみの福引会。とうふは福引会のあと、よせなべをするというのですが・・・。
 とうふやさんがあてたのが、ざんねん賞の線香花火。しかし、この線香花火は小さな花を咲かせます。


<きつね山の赤い花>1984年初出
 とうふやのゆみ子が、とうふをもってでかけたのが、菜の花が一面に咲く野原。子ぎつねたちと遊びますが、母ぎつねがしてくれたのは、赤いマニュキア。きつね山の椿でなければだめなのです。


<星のこおる夜>1984年初出
 冬の晩、とうふやにやってきたのは、枯れ木のような娘。かしわの木の精でした、こおりどうふを作るには、星がこおる夜にしかできず、今夜がその日ですと、五つのとうふを銀のなべにいれると、ゆっくりと山に帰っていきます


<ひぐれのラッパ>1980年初出
 引き売りをしていたとうふやさんに声をかけたのは、山崩れでほろびた村のこどもたち。
 どうしても金色のラッパを聞きたかったのです。とうふやさんは、このラッパを子どもたちになげると、野原のふしぎな呼び声はぴったり聞かれなくなります。


<ねこじゃらしの野原>1980年初出
 まちがい電話がしょっちゅうかかってくるようになって、ねこじゃらしの野原にでかけると、そこにはむかしとうふやさんにいた猫のタロウ。みようみまねでとうふを作るようになったのです。とうふ料理店もひらいていました。しかし、歩いて歩いて、日が暮れるころに、すすきが原の一本道にいたのですが、ねこじゃらしなんか一本もはえていませんでした。        


よもぎが原の風

2015年08月21日 | 安房直子

    よもぎが原の風/安房直子コレクション4 ものいう動物たちのすみか/偕成社/2004年/1982年初出


 この間、うちの孫と近所の子、四人でよもぎが原に遊びにいって、不思議な魔法をつかううさぎにあったといっていた。

 風の歌い声にちかずいて見ると、緑のスカーフを首に巻いた二匹のうさぎに、電車ごっこにさそわれて、電車に乗っているとあっという間に、よもぎが原について、うさぎがつくったよもぎだんごを食べたり、なわとび遊びをして遊んでいたら、耳が長くなって、体も真っ白、本当にうさぎになっていたというんだ。

 でもさすがに娘だね。

 西風の吹く日によもぎが原にいった子どもは、うさぎにだまされると、ばあちゃんから聞いていたので、何とか、孫たちをもとの人間にしたんだよ。

 え! あなたもよもぎが原に いってみたいって!
 さあ、それはどうかな。
 大人にうさぎはみえるかなあ?


てんぐのくれためんこ

2015年08月19日 | 安房直子

    てんぐのくれためんこ/安房直子コレクション3 ものいう動物たちのすみか/偕成社/2004年 1983年初出


 電車にのっていると子どもたちが夢中になっているのが、ゲームか携帯。
 めんこする子どもたちの姿はほとんどみることができないようだ。
 ベーゴマもしかり。
 
 たけしくんが、買ったばかりの十枚のめんこをみんなとられて、ひとりとぼとぼとかえるところからはじまります。
 おしいことをしたなと思っていると、人の心がちゃーんとわかるてんぐがあらわれて、風のめんこをたけしにくれます。裏も表も真っ赤なめんこ。
 こどもたちのところで、もういっぺん勝負しようとしたとき、林のおくから、めんこを打つ音が聞こえてきます。
 がやがやさわいでいるのは子ぎつねたちでした。
 子ぎつねたちと勝負して二十枚以上めんこをとることになるのですが・・・。

 このあと、親ぎつねがでてきて、子ぎつねのめんこに、ロウソクのロウをぬったり、練習させたりして、勝負はつづきます。

 てんぐのくれためんこは、最後には木の葉にかわってしまいます。こんなものではなく、自分の力で遊びなさいという思いがこめられています。

 子ぎつねのもっているめんこ。
 赤い電車が走っていく絵は、電車の音も、すすきのさやぐ音まできこえてきます。
 赤い彼岸花を頭にかざったきつねのお嫁さんが石にこしかけています。
 薬味にネギとトウガラシがついている、できたてのてんぷらうどん。

 子ぎつねのもっているめんこは、親ぎつねがてづくりしたものですが
 「あれはみんな、わたしたちがつくってやっためんこです。一枚一枚絵をかいて、一枚一枚色をぬって、切りぬいためんこです。ひとたば十円で売っている印刷のめんこなんかとは、わけがちがうんです。」というセリフは耳が痛い。

 てんぐは負け続きのたけしくんを勝たせてくれるのですが、別の場面でも子どもの応援をしてくれる存在になってほしいものです。

 偕成社から2008年に絵本も発行されています。


べにばらホテルのお客

2015年08月04日 | 安房直子

    べにばらホテルのお客/安房直子コレクション5 恋人たちの冒険/偕成社/2004年/1987年初出


 ある雑誌の新人賞を受賞した作家が、受賞第一作目をかくために、山小屋にたてこもっているところからはじまります。

 「私」はホテルの物語を書こうとしますが、物語の主人公 北村治がどんな看板をつくろうか考え込むあたりで筆がとまってしまいます。

 森の中を散歩しているとき、「私」は自分が書いていた物語の主人公にであって、そのあとをついていきます。
 <べにばらホテル>と名付けられたホテル。もとトランペット奏者の岡本卓夫が三年前まで住んでいた別荘です。
 そこには、料理や洗濯をうけもっているきつねが、白いエプロンをつけて出迎えてくれます。

 「私」が案内された部屋の机には、T・Oのイニシャルが彫られていて、そのイニシャルにさわると、不思議なことがことがおこります。戸棚のトランペットが話しかけてきたのです。

 三年も使われていなかったトランペットをぴかぴかにみがくと、今夜行われる開店パーテイで一曲やりましょうとトランペットが話しかけます。吹いたことがないという「私」に、トランペットは、ただ息を吹き込んでくれるだけでいいとこたえます。

 開店パーテイの席には、山あじさいの青い花がかざられていましたが、お客は、うさぎ、かもしかの娘、青いマフラーをし、パイプをくわえたいのししだけです。しかし、トランペットがファンファーレをはじめると、りすの一家、ねずみの一族、たぬきの親子、いたちの夫婦が新しいお客としてやってきます。
 乾杯をしようとすると、風の娘もあらわれ、鹿の婚約者をまってくれといいます。

 このあと、きつねと「私」のどちらかが、このホテルの奥さんにふさわしいか料理対決をしようとなるのですが・・・。

 ミソサザイ、スズメ、クロツグミ、ムクドリ、アオゲラ、アカゲラなど このお話のなかには、たくさんの鳥がでてきます。
 トランペットの音が森じゅうにひびくと、鳥もけものも胸がいっぱいになるほど感動します。

 音楽と動物というと「セロひきのゴーシュ」の世界。

 ムネアカドリと結婚したという岡本卓夫。 「私」がバウムクーヘンをつくるため、トランペットを吹き鳴らすとムネアカドリの声で、バウムクーヘンの作り方を教えてくれるのですが・・・。

 いつのまにか、物語の主人公に恋してしまった「私」。最後はほろにがい結末です。

 なんともいえないメルヘンの世界です。


雪窓

2015年07月27日 | 安房直子
             雪窓/白いおうむの森/安房 直子/偕成社/2006年/1972年初出


 冬、おでん屋台というので、猛暑日が続くいまではなく、冬に読みたいお話です。

 「おでん・雪窓」とかかれたのれんの屋台のおやじさん。
 大分前におくさんを、少し前に娘の美代を6歳で病気で亡くしています。
 時代は少し前、救急車もよべず、熱を出し、火の玉のようにあつい子どもを背負って、満月のつきあかり森や峠をさっささっさとかけぬけ、村の医者の家に着いたときは、背中の美代はつめたくなっていたのです。

 ひとりでおでん屋台をいとなんでいるおやじさんのところに、たぬきがやってきて、そのままおやじさんの手伝いをすることに。
 さびしかったおやじさんは、お客がいなくなると、たぬきと酒をのみながらすっかり気分がよくなっていきます。
 雪のどっさりとつもったある晩。かくまきを頭からすっぽりかぶった女のお客。どことなく亡くなった美代ににています。おやじさんがどこからきたか尋ねると、いつか美代をおぶってでかけた峠をこえた野沢村からきたといいます。
 おでんをきれいにたべおわると娘はかえっていきます。しかし手袋を忘れていきます。
 またきますといった娘ですが、10日も20日たってもあらわれません。
 忘れていった手袋を娘に届けようと、おやじさんとたぬきは、野沢村へでかけます。

 屋台をひきながら野沢村にでかけるふたりの前に、天狗や子鬼がでてきたり、子鬼たちに、ひきかえ券をおくれといわれて、たぬきが笹の葉をあつめてきて配るところに、美代が木の葉を皿にしたり、かるた、舟、雪うさぎの耳にして遊ぶ光景がうかんできます。

 ふと、3.11のとき、子どもや奥さんがなくなり、一人残されたお父さんの情景もうかんできました。
 
 雪がしんしんとふる夜に読むと、おやじさんの娘を想う気持、娘のおやじさんを想う気持ちがつたわってくるような、じんとくるお話でした。

 ここにでてくるのは、やっぱりおやじさんという表現がぴったりです。そして屋台にあらわれる娘は、かくまき姿というのも印象にのこります。
 絵本だったら雰囲気がでると思いますが、読んでかくまきのイメージがわく人は、ちょっぴり古い方でしょうか。

野の音

2015年07月23日 | 安房直子

      野の音/白いおうむの森/安房 直子/偕成社/2006年/1973年初出

 大きな町の裏通りのおいしげった泰山木の木陰に、何十年もたっている小さな洋服店。
 おばあさんが一人できりもりしています。

 ここで作られた洋服のボタン穴に耳をつけると小鳥のさえずり、風の音、せせらぎの音がきこえます。
 不思議なボタン穴にひかれ、ボタンの穴かがりをおぼえたという娘がやってきますが、その店からでてくることはありませんでした。

 おばあさんは泰山木にすむ木の精。
 一面の野原だったのが、草が刈り取られ、まわりに家がたち、小川がうめたてられて道路ができて町がどんどん大きくなると、泰山木の葉が枯れ、花も咲かず、実もならなくなります。小鳥もりすもチョウも姿を消します。
 木の精は、木の下に店をつくって、人間ふうに暮らしてみることにして、洋服屋の看板をたてたのです。
 ある日、おばあさんはひょいと思いついて、仕立てをたのみにきた、ひとりの娘を泰山木の葉にかえてみます。それがうまくいって、それからは自分の木の葉をどんどん増やしていったのです。

 野原の音がきこえるボタン穴は、満月の夜に葉が少女にかわり、たくさんの草から糸をつむぎ、ボタン穴をかがったものでした。


 物語は、一人の若者が妹の行方を探して、洋服店で働きながら、ボタン穴の不思議な秘密をみいだしていく展開になっています。

 自然が破壊されたことに怒りをおぼえるおばあさんですが、一方では、野の音が聞こえるボタン穴の洋服を人間に届ける一面もあります。

 わたしたちのまわりには、人工的に作り出されたものが、あふれていますが、おばあさんが人間に届けたものは、自然の大切さをつたえるメッセージだったのかもしれません。

 物語の最後は、若者も泰山木の葉にかえられてしまうのですが、もしかすると娘たちも幸せだったのかもしれません。


鶴の家

2015年07月17日 | 安房直子

     鶴の家/白いおうむの森/安房 直子/偕成社/2006年/1973年の文庫化


 安房直子さんの初期の短編集に収録されたもの。

 漁師の長吉がよめさんをもらった晩。「おめでとさんです」と真っ白い着物を着て着て、頭にさざんかの赤い花をかざった女が、ひらべったいまるいものをお祝いにおいていきます。

 安房作品の冒頭には見知らぬ人や動物が登場することが多い。

 長吉は、すぐに丹頂鶴の化身ではないかときがつきます。
 というのは三日まえに誤って、禁猟となっていた鶴を撃ち落としてしまい、深い穴をほって、埋めたばかりでしたから。

 この秘密をだれにもいうなよと、よめさんに念をおします。

 よめさんは疑心暗鬼でしたが、それでも女がおいていった青い大皿を戸棚の奥ふかくにしまいます。

 何事もなく月日がすぎていくうち、よめさんは青い大皿におむすびをならべてみます。するとおむすびは、たちまちきりりと白くおいしそうに見えてきます。

 はじめ、長吉は青いお皿に顔をしかめますが、もられたおむすびにひかれて、一口食べてみると、そのおいしさにびっくりします。
 そいれからふたりは、毎日、青い皿で食事をしますが、どんなたべものでもおいしく思われました。

 やがて、長吉には8人の息子が。青い皿は幸運を運んでくれたと喜んでいた長吉。

 しかし、そのあと不思議なことがおきます。

 息子達も成長して孫をもうけたころ、長吉さんはぽっくりなくなります。すると無地だったはずのお皿に丹頂鶴の姿が浮かび上がりました。
 おばあさんは、すぐに長吉のたましいではないかと気がつきますが、家族には秘密にしておきます。

 おばあさんの息子三人が戦争にでかけ、何の知らせもなかったとき、皿の丹頂鶴が三羽ふえ、四羽にふえ、おばあさんが「みんな死んだ。みんな死んだ」と繰り返します。
 三人の息子の戦死の知らせがとどいたのは、それからまもなくでした。
 
 この後長吉さんの一族のなかでひとり死ぬ者がでると、お皿の鶴の絵は、確実に一羽ずつ増えていきます。

 この鶴のもようを気にする子どもがでてきます。ひまごの春子です。
 おばあさんが亡くなったとき、先頭の長吉の鶴の下に、おばあさんの鶴がぽっと浮かびます。
 やがて長吉さんの一族は最後の1人、春子だけが残されます。

 春子の結婚式の朝、丹頂鶴でいっぱいになってしまったお皿が落ちて割れてしまいます。すると皿の鶴と同じ数だけ、同じ姿で東に飛びます。

 婚礼の朝に、丹頂鶴が群れをなして飛んだことは、村の人は奇跡のようにおどろきます。

 春子は、お皿のなかの鶴には、ひとつひとつの命があり、父や母、先祖の人たちみんなが、わたしの結婚を祝福してくれたのだと思います。
 
 春子は、散らばった青い皿のかけらを大事にしまいます。そのかけらをつなぎ合わせると、無地の一枚の青い皿のかたちになります。

 安房さんの初期の作品には、息子や娘、父親、母親の死がでてくることが多いようです。

 ここでは絶滅したと思われた丹頂鶴がでてきますが、最後の鶴が飛ぶさまが春子の新しい旅立ちを予感させてくれます。

 鶴の数がどんどん増えるあたりに家族の歴史がこめられているのも、他の作品にはみられないようです。

 ミステリアスな感じがあって、他の作品より短めで、わかりやすいので語ってみてもよさそうですが、30分にはなりそうなのでどうでしょうか。じつは何度も繰り返して覚えようとしましたが、歯が立ちませんでした。

 ついでにいえば、嫁ではなく”よめ”です。

 嫁ということばが家と結びついて、嫌いというのをききました。


風と木の歌

2015年06月30日 | 安房直子

                          風と木の歌/安房直子/偕成社/2006年


 1972年に出版されたものが文庫版として2006年に発行されていて、発行年からいうと初期の童話集のようです。

 どの作品にも、とても想像できない風景がひろがっています。

 「空色のゆりいす」には、虹からとった絵具。
 「鳥」には、女の子の耳に入った”ひみつ”。
 「夕日の国」には、薬をぬった縄跳びを五十回飛ぶと夕日の国に。
 「だれも知らない時間」は、二百年も生きてきたカメが、だれも知らない時間をくれます。

 虹は、希望を感じさせてくれますが、虹から色をとるという発想がどこからきているのか不思議です。

 夕日の国には砂漠にひろがる風景。砂漠のラクダが盗賊におそわれ、たった一頭、残ったラクダがいますが、そこで夕日の国への旅は終了で、手がとどきそうでとどきません。

 カメがくれる時間は、自分の命を削ってくれる時間。

 想像の翼が限りなくひろがります。
 
   空色のゆりいす(1964年初出)
   鳥(1971年初出)
   夕日の国(1971年初出)
   だれも知らない時間(1971年初出)


きつねの窓

2015年06月20日 | 安房直子

 安房直子さんの童話(1971年初出)。

 小学生の教科書にのっているというのですが、何年生でしょうか。

 猟師の”ぼく”が、青いききょうの花畑であったのは、子どもの白ぎつね。

 ”ぼく”は親ぎつねをしとめたいと、白ぎつねののあとをおいかけていきます。

 すると小さなお店があります。”そめもの、ききょうや”の看板が。

 そこには子ぎつねがばけた子どもの店員が、たっていました。”ぼく”は、すぐ子ぎつねがばけたとわかります。
 帽子や靴下、ズボンでも上着でも何でもそめますといわれて、ハンカチでもそめてもらおうとすると、きつねは、親指をおそめしますといいだします。
 きつねの親指とひとさしゆびが青くそめられていて、両手の指でひしがたのまどをつくると、母ぎつねの姿がみえます。

 このきつねのお母さんは鉄砲でうたれ、なくなっていたのです。

 ぼくも手をそめてもらって、ひしがたをつくると、そこにうかんだのは、昔大好きで、いまはもうけっしてあうことのできない少女でした。

 指をそめ、窓をつくると、そこにはもうなくなった親しい人がうかんでくるという情景がせつなくせまってきます。
 
 ”ぼく”のお母さんも妹もなくなっていて、小さいころ家が焼けたというのが後半にでてきます。

 このまどがずっといきていたら母親や妹のすがたも見えたはずなのですが、最後にどんでん返しがあります。

 ここにでてくるのは小さなお店。ききょうの青。どちらも安房さんの童話にはかかせません。

 ”ぼく”も子ぎつねもひとりぼっち。窓にうつる亡くなった人への追想。
 それにしても少し悲しくなる話です。

 文庫本で読みましたが、ポプラ社から絵本も出版されているようです。


天の鹿

2015年05月25日 | 安房直子


    天の鹿/作:安房 直子 絵:スズキ コージ/ブックキング/2006年復刊/1978年初出

 挿絵はスズキコージさんで、この話にぴったりの方を編集者の方が選ばれたようです。

 他の絵本をみても、独特の雰囲気をもっているスズキさんですが、やや難解なこの物語のイメージをふくらませてくれます。

 鹿撃ち名人の猟師、清十がものをいう不思議な牡鹿と出会います。

 牡鹿は、清十をずっとはなれた、はなれ山で開かれるという鹿の市に案内します。フクロウが鳴くまで開かれるという鹿の市では、珍しいもの、食べたいもの、金と銀の刺繍がある反物、宝石を売っている店などが並んでいますが、清十が買えるのは、一つだけ。

 清十のところには三人の娘がいましたが、牡鹿はこの三人を次々と鹿の市につれていきます。

 長女が市に行って買ったものは、紺地に、白と黄とうす桃色の小菊が一面にちりばめられた反物。
 しかし、市から帰る途中、菊の模様が次々に零れ落ちてしまいます。

 次女が市にいくのは、まっくろの闇夜。闇夜があぶないといわれ、次女が買ったのは、ランプ。このランプは、牡鹿の角から落ちて、ガラスが砕けてしまいます。ここで20頭あまりの鹿とあいますが、牡鹿は「生きた鹿がいく」とかすれた声でいいます。

 このあたりで、鹿の正体がみえてきます。鹿の市で品物を売っている鹿も、殺された鹿。

 末娘が牡鹿と天にのぼるという結末。

 清十と三人娘の物語のようですが、清十に殺された鹿の側から見ているようです。
 
 作者はどんな読者を想定していたのでしょうか。幻想的で難解ですが、命についてじっくり考えさせてくれます。     


コンタロウのひみつのでんわ

2015年05月07日 | 安房直子


     コンタロウのひみつのでんわ/安房直子・作 田中槇子・絵/ブッキング/2007年復刊 1982年初出

 
 一人暮らしのおじいさんと、ひとりぼっちの子狐との心温まる交流をえがいて、ゆったりと安房さんの世界を楽しめる物語です。しかし、このタイトルでは少しイメージがひろがらず損をしている感じです。

 山のふもとの小さな村に小さなふとんやがあって、おじいさんはそこで一人暮らし。息子や娘たちはここから巣立ち、おくさんに先立たれたのです。

 ある春の夕暮れどきに、男の子が春のふとんをほしいとやってきます。
 朝でも、日中でもなく夕暮れどきです。

 男の子は、野ばらの模様があしらわれているふとんが気に入って、そのふとんを届けてほしいといいます。男の子にいわれて、おじいさんはふとんを背負って、山道をあるきはじめます。
 重いように思ったふとんですが、まるで紙くずでも背負っているような感じ。
 からだの調子がいいときはいつだってこんなもんさ・・・とおじいさん。しかし、背中のふとん、全部はなびらでした。

 子ぎつねのコンタロウが、いつのまにかはなびらにかえてしまっていたのです。
 はなびらのふとんにねころび、月を見ながら仲良くなったふたり。
 コンタロウが、店にやってくるのは、やっぱり夕暮れどきでなくてはならなかったのです。

 今度でんわをかけましょうかとコンタロウにいわれて、おじいさんはあたりをみまわしますが、でんわはどこにもありません。しかしコンタロウは、山にはひみつのでんわがあるといいます。

 雪やなぎの白い花が咲くころ、おじいさんの家のでんわがみじかくなります。

 さきたてのたんぽぽをでんわきにしているというコンタロウ。

おじいさんは不思議におもいますが、風がでんわせんの上をはしって、おじいさんのでんわきを鳴らし、おじいさんがでんわにでると花が一輪ふるえるというコンタロウ。

 それから、二人は、まっかなつつじの木のしたで、よもぎのてんぷら、たんぽぽのサラダ、すみれのさとうずけをたべたり、月のひかりがまぶしすぎるというコンタロウのところへ、おじいさんがかやをとどけてやったり。

 やがて秋のおわりに、おじいさんは、手と足がとてもつめたいというコンタロウのところへ、ぶどうの模様のこたつぶとんをもっていきます。
 ぶどうをみたコンタロウは、ほんもののぶどうにかえてしまいます。秋の山のなかで、ほこほこあたたかいこたつにあたって、ぶどうをたべますが、のこりのぶどうでぶどうしゅをつくることに。

 やがて冬。冬は山から電話をかけることができません。

 おじいさんが戸棚のぶどう酒をとりだしてコップをテーブルのうえにおくと、コンタロウの姿がみえてきます。そしてコンタロウのぶどう酒にはおじいさんがうつっています。

 ふとんを背負って歩く山道には、こぶしの木。花の電話は、ふくじゅ草、すいせん、たんぽぽ、つつじ、ヤマユリ、ききょう、のぎくなど。

 ほかの安房作品では、季節が特定されていますが、この物語は珍しく一年の変化がうまく生かされています。
             
 花の電話はお父さん、はなびらにするのはお母さんのちょっとしたまねごとというコンタロウですが、火のおこしかたは教えてもらわなかったようです。

 ”電話”でなく”でんわ”というのがぴったりです。    


きつねのゆうしょくかい

2015年04月28日 | 安房直子


       きつねのゆうしょくかい/安房 直子・文 菊池 恭子・絵/講談社/1996年初版 1969年初出


 あたらしいコーヒーセットを買ってもらったきつねのおんなのこが、お父さんに、どうしても夕食会を開きたい、人間をまねきたいというお願いをします。

 子どものいうことは何でも聞いてあげるやさしい父さんきつねは、人間に化けて、声をかけますが、声をかけられた人はびっくりして、相手にしてくれません。

 夕暮れ、青白い蛍光灯をつけた「でんきや」という店にひかれて、店にはいるとそこのご主人は、いつかコーヒーセットを売ってくれた男。
 男はすきなときにすきな店を開くという。

 きつねのお父さんはチャイムをかいますが、店のご主人はチャイムを取り付けるために、キツネの家にむかいます。

 店の主人が、お客の一号になりますが、チャイムの効果なのか、子どもを連れた女の人、おしろいを真っ白につけた女の子もやってきます。

 やがて夕食会も佳境ですが・・・・。

ところで、この日の夕食会のメニューは、にわとりのまるやき、キノコサラダ、落ち葉で焼いたおいも、クルミ入りのおもち、お茶と焼きリンゴ、おさけまでついています。


 藤田浩子さんが、語りは騙りといっていますが、化かされる楽しさを味わえる、なんとも微笑ましくかわいらしい話です。

 ところがなぜか、お母さんがでてきません。何も書かれていませんが、多分、遠くに外出していたのでしょう。


グラタンおばあさんとまほうのアヒル

2015年04月13日 | 安房直子


     グラタンおばあさんとまほうのアヒル/作:安房 直子 絵:いせひでこ/小峰書店/2009年新装版 1985年初出


 ふっと心が落ち着くような、いせさんの1ページごとのイラストが安房さんの世界とうまく融合していて、贅沢なコラボです。      

 いつも出だしで話の世界に引き込んでくれる安房さんですが、ここではグラタンが大好きなおばあさんが日替わりで作るグラタンがでてきて、とてもおいしそうです。
 日曜日はエビのグラタン、月曜日はしいたけのグラタン、次の日はかにのグラタン、それからたまごのグラタン、じゃがいものグラタン、マカロニグラタン、とりのグラタン・・と。
 グラタンを焼くお皿にはエプロンをつけたアヒルの絵。

 ある日、おばあさんが風邪をひいて困っていると、アヒルがポケットからほうれんそうをとりだし、グラタンをつくるように話します。それからはたびたびアヒルに頼んでグラタンをつくりますが、いつも材料を頼み、風邪が治っても買い物に行かないおばあさんのためにならないとアヒルは、家出することに。

 やかんの絵になっていったのは若いおくさんのところ。

 バス停でおかあさんを待ち続けている男の子をなぐさめてあげようとシャツのなかに。

 最後は大きな風船でおばあさんのところにもどり、グラタン皿のなかにはいることになりますが・・・。

 おばあさんが住んでいるのが、小さなレンガの家。大きな家ではイメージがわきません。整理整頓がゆきとどいて、こざっぱりした感じがでるのは、やはり小さな家でしょうか。

 まほうのアヒルは、一人暮らしのおばあさんを心配したのか、それとも自分をむかえてくれるはおばあさんだけと考えたのか、どちらだったかでしょうか。