骨髄移植30年の幸せ 非血縁者間第1号・橋本さん「人々の希望に」
地域 2019年9月13日 (金)配信読売新聞
ニュースメールを登録する
骨髄バンクを通じた非血縁者間の骨髄移植第1号となった元白血病患者、橋本和浩さん(57)(堺市)が名古屋市内で移植手術を受けてから、13日で30年となる。国内の骨髄移植は既に2万3000例を超えた。「ここまで生きてこられた幸せを感じると同時に、ぼくが元気でいることが、多くの人の希望につながれば」と橋本さんは振り返った。(千田龍彦)
■適合者探し
骨髄を移植するには、患者とドナーの白血球の型(HLA)が適合する必要があり、非血縁者間で適合するのは、型によっては1万人に1人のケースもある。橋本さんが慢性骨髄性白血病を発症した1988年にはまだ日本に骨髄バンクはなく、母校の「救う会」を通じて、協力を申し出た同窓生ら約3200人のHLAを調べてもらったが、適合者は見つからなかった。
89年6月、症状が悪化し名古屋第一赤十字病院に入院。幸運だったのは、前年に「名古屋骨髄献血希望者を募る会」が発足してドナー登録が始まり、入院直前には患者登録も開始されるなど、名古屋を拠点に全国初の民間バンク「東海骨髄バンク」の設立準備が進んでいたことだった。
7月に適合者が見つかり、9月13日に手術。血液型はABからドナーと同じOへ変わった。患者にとって移植日は「第2の誕生日」だ。
退院後、体調の回復を待って、橋本さんは仕事に復帰し、95年に結婚。学生時代から好きだった登山も再開して、国内外の山に登頂した。その後、狭心症などの大病を患ったが、心臓バイパス手術を受けるなどして乗り越え、「25歳」の誕生日には長野県の蓼科山(2531メートル)の頂に立った。
■奇跡の対面
東海骨髄バンクや、91年に発足した日本骨髄バンクでは、患者とドナーは互いに匿名のままだ。しかし、橋本さんには奇跡の対面が待っていた。97年9月、東京で開催された骨髄バンクのイベントで、壇上の橋本さんの求めに応じ、ドナーの田中重勝さん(70)(岐阜県大垣市)が名乗り出たのだ。
田中さんは提供後、岐阜骨髄献血希望者を募る会をつくってボランティア活動を始めていた。現在は骨髄バンクを応援する全国骨髄バンク推進連絡協議会の理事長。2人は対面後に交流を深め、そろって講演にも出かけ「多くの人の善意と勇気で支えられる骨髄バンク」をアピールする。
15日には名古屋市内で、第1号の移植に関わった医師やボランティアら関係者が集う。橋本さん、田中さんも出席する予定で、当時の思い出などを語り合うという。
地域 2019年9月13日 (金)配信読売新聞
ニュースメールを登録する
骨髄バンクを通じた非血縁者間の骨髄移植第1号となった元白血病患者、橋本和浩さん(57)(堺市)が名古屋市内で移植手術を受けてから、13日で30年となる。国内の骨髄移植は既に2万3000例を超えた。「ここまで生きてこられた幸せを感じると同時に、ぼくが元気でいることが、多くの人の希望につながれば」と橋本さんは振り返った。(千田龍彦)
■適合者探し
骨髄を移植するには、患者とドナーの白血球の型(HLA)が適合する必要があり、非血縁者間で適合するのは、型によっては1万人に1人のケースもある。橋本さんが慢性骨髄性白血病を発症した1988年にはまだ日本に骨髄バンクはなく、母校の「救う会」を通じて、協力を申し出た同窓生ら約3200人のHLAを調べてもらったが、適合者は見つからなかった。
89年6月、症状が悪化し名古屋第一赤十字病院に入院。幸運だったのは、前年に「名古屋骨髄献血希望者を募る会」が発足してドナー登録が始まり、入院直前には患者登録も開始されるなど、名古屋を拠点に全国初の民間バンク「東海骨髄バンク」の設立準備が進んでいたことだった。
7月に適合者が見つかり、9月13日に手術。血液型はABからドナーと同じOへ変わった。患者にとって移植日は「第2の誕生日」だ。
退院後、体調の回復を待って、橋本さんは仕事に復帰し、95年に結婚。学生時代から好きだった登山も再開して、国内外の山に登頂した。その後、狭心症などの大病を患ったが、心臓バイパス手術を受けるなどして乗り越え、「25歳」の誕生日には長野県の蓼科山(2531メートル)の頂に立った。
■奇跡の対面
東海骨髄バンクや、91年に発足した日本骨髄バンクでは、患者とドナーは互いに匿名のままだ。しかし、橋本さんには奇跡の対面が待っていた。97年9月、東京で開催された骨髄バンクのイベントで、壇上の橋本さんの求めに応じ、ドナーの田中重勝さん(70)(岐阜県大垣市)が名乗り出たのだ。
田中さんは提供後、岐阜骨髄献血希望者を募る会をつくってボランティア活動を始めていた。現在は骨髄バンクを応援する全国骨髄バンク推進連絡協議会の理事長。2人は対面後に交流を深め、そろって講演にも出かけ「多くの人の善意と勇気で支えられる骨髄バンク」をアピールする。
15日には名古屋市内で、第1号の移植に関わった医師やボランティアら関係者が集う。橋本さん、田中さんも出席する予定で、当時の思い出などを語り合うという。