Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

リヒャルト・ワーグナーの歌劇「恋愛禁制」第2幕を聴く

2010-07-21 10:57:03 | リヒャルト・ワーグナーの作品
昨日はウォーキングを休みました。
今回はワグナーの歌劇「恋愛禁制」の第2幕を聴いた。
聴いたCDは、ロベルト・ヘーガー指揮、他独唱者と
オーストリア放送交響楽団および合唱団の演奏によるもの。
第二幕は、イザベラと牢屋にいる兄クラウディオの二重唱で始まる。
オーケストラが最初暗い感じの音楽を奏で、
フルートなどが入り、明るい間奏曲風の音楽となり、
クラウディオ役のテノール(アントン・デルモータ)が歌い始め、
イザベラ役のソプラノ(ヒルデ・ツァデク)がそれに続く。
この二重唱はドラマティックであり、ワグナーらしい音楽だ。
次の情景とレシタティーヴォではイザベラの歌が続くが、
このあたりもその後ワグナーの音楽を思わせる。
そして次の情景とアリアではフリードリッヒ役の
バス(ハインツ・イムダール)の素晴らしい独唱が聴ける。
フィナーレは華やかなカーニバルの情景が描写される。
恋愛を禁止したはずのフリードリヒ自身の違反が分かる。
序曲で登場した主題が繰り返され、登場人物たちと合唱団が歌い、
クライマックスが築かれ、最後管弦楽により華々しく終わる。
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リヒャルト・ワーグナーの歌劇「恋愛禁制」第1幕を聴きながら荻窪から西荻窪まで歩く

2010-07-20 06:06:01 | リヒャルト・ワーグナーの作品
昨日の夕方は荻窪から西荻窪まで歩きました。
Copo do diaでのライブを聴くために一駅前から歩いたのですが、
一度歩いたことのある道だったので迷わず歩くことができた。
途中聴いたのは1813年生まれのワグナーの作品。
彼の略歴については有名な作曲なので省略する。
歌劇「恋愛禁制(Liebesverbot)」は、1836年に作曲された。
2幕ものの歌劇で、シチリア総督フリードリッヒが、
恋愛を禁止したことに伴う色々な事件を扱った作品ということだ。
シェークスピアの戯曲「尺には尺を」を台本に、
ワグナーが台本を書いた作品である。
今回聴いたCDは、ロベルト・ヘーガー指揮によるもので、
独奏者はルートヴィヒ・ヴェルター、エルンスト・ザルツァー、
フランツ・ハンドロス、ハインツ・イムダールのバス、
ヘルベルト・プリコパ、ヴィリー・フリードリヒ、
アントン・デルモータ、クルト・エクイルツのテノール、
ヒルデ・ツァデク、クリスティアーニ・ソレル、
ハンネローレ・シュテフェクのソプラノとなっており、
オーストリア放送交響楽団および合唱団の演奏によるものである。
第一幕だけを昨日は聴いたが、序曲はイタリア風であり、
これから始まる話がドタバタの喜劇である部分を感じさせる。
その一方で、主題の中にはドイツ風な重厚な部分もあり、
初期の作品ではあるが、その後のワグナーらしい部分も感じさせる。
イタリア風の歌劇でありながら、ドイツ語により劇は展開され、
フィナーレでの二重唱や管弦楽により盛り上がりのところにも、
その後のワグナーを思わせるところがあって、面白い。
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ついに目標達成!二俣川から渋谷駅まで歩く、そしてワグナーの「ジークフリート」を聴きながら

2008-01-04 05:46:26 | リヒャルト・ワーグナーの作品
昨日は二俣川から渋谷駅まで歩いた。
渋谷までの所要時間は5時間15分だった。
二俣川から新横浜までは西谷の梅ノ木の交差点を左折し、
羽沢町を経由し、環状2号線に入って歩いて1時間50分。
そのあと環状2号線から綱島街道に入り、
大倉山まで歩くとその付近で2時間経過。
その後元住吉駅付近で3時間が経過し、
丸子橋を渡り、東横線沿いに歩いていく。
自由が丘駅では4時間が経過していた。
そのあと目黒通りを歩き、環状7号線を通過したところで左折、
駒沢通りに入り渋谷方面に向かい歩き続ける。
代官山で5時間が経過し、そのあとJR線・東横線を横断し、
左折してそのまま渋谷方面に向けて歩く。
予想していた以上に短い時間でたどり着くことができた。

昨日途中聴いたのは、ワグナーの「ジークフリート」
長時間なのでワグナーの楽劇がいいだろうと思い、
一気に全曲聴いて、たいくつさをしのいだ。
それにしても目標としていた
二俣川から渋谷までのウォーキングはあっけなかった。
一つの大きな目標は達成されたので、
新たな目標を探さないといけない。

それにしても「ジークフリート」の世界は、
単なる中世の物語ではない。
古き時代の終焉と新しい時代の到来。
それは神々ですら、その運命を変えることはできない。
ワグナーがこの曲を作曲した19世紀は、
ドイツが大きく変化していった時代である。
伝統というものと、近代という新しい時代の到来、
その激変の時代とその作品は関係している。
今だってそれは変わっていない。
時代は大きく変化しているのだ。
昔の人の声はもはや届かなくなっているのだろうか。
ヴォータンの嘆きを感じるのである。
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大池公園に桜は咲いたか?、そしてワグナーの交響曲ハ長調

2007-03-21 21:04:54 | リヒャルト・ワーグナーの作品
横浜の桜の開花予想が早く出ていたものだから、
大池公園の桜はどうかと思っていってみた。

したがって今日は1時間半くらいだが、
大池公園周辺をウォーキングした。

今日は休日なので親子連れで賑わっており、
いつも花見会場となる桜の木の下にも多くの人がいた。

そこで大池公園に桜は咲いているかどうかなのだが、
まだ桜は咲き始める状況にもなく、
まだ1週間くらいはかかるかと思わせる状況であった。

とはいえ、自然の中を歩くのは快い。
もっと、こんな自然が横浜の中の色々な箇所にあればとは思う。

さて、今日聴いた音楽はワグナーの交響曲ハ長調である。
ベートーベンの交響曲第7番にそっくりだという
当時の風聞はともかく、その後のワグナーらしい部分はなく、
聴いた感想は爽やかな感じである。

とはいえ、交響曲というよりは歌劇の序曲のような感じは受け、
やはり、「いわゆる交響曲」というところとは違うのかと思う。

逆に言えば、だからこそワグナーは交響曲の世界ではなく、
歌劇・楽劇で才能を発揮できたんだろうなとも思う。
適材・適所といえばいいのかな。
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