温泉クンの旅日記

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円覚寺の桜(2)

2019-06-05 | 鎌倉点描
  <円覚寺の桜(2)>

 舎利殿手前にある「妙香池(みょうこうち)」は建武二年(1335年)頃の境内絵図にすでに見られる、創建当初からの放生池である。

 

「虎頭岩」と呼ばれる岸の露出岩盤を景観の中心として復元したそうだ。放生池(ほうじょうち)とは捕えた魚や参拝者が持ちこむ育ち過ぎた亀などを放してやるための池のことである。

 

 国宝に指定された舎利殿は本日立入禁止となっていた。ここの一般公開は期間が限定されている。

 ここもそうだが鎌倉の寺院はたいていゆるやかな坂で登りになっていく。円覚寺の伽藍は、鎌倉独特の谷戸と呼ばれる丘陵地が浸食されてできた谷に沿って建てられているからだ。

 

 白鹿洞(びゃくろくどう)。

 

 円覚寺開堂の日、無学祖元と禅師の説法を聴こうと集った人々とともに、この洞穴より白鹿が群れをなし、禅師の説法を聴いたという。大衆は大いに驚異し、この奇瑞譚により山号を「瑞鹿山(ずいろくさん)」と定めたという。

 境内最奥、どん詰まりの最も標高の高いところにある塔頭「黄梅院(おうばいいん)」。

 
  
 円覚寺十五世の「夢窓疎石(むそうそせき)」の塔所であり、足利幕府二代将軍である足利義詮の遺骨が分骨されたことにより足利氏の菩提寺となった。
 足利氏の家紋が掲げられた風情のある観音堂。

 

 方丈前の味わいのある百観音の石仏群のなかを通り抜けていく。

 

 

 鐘楼と弁天堂までは、急で長い階段が待っていた。

 

 登り切ったところになんとも立派な洪鐘(おおがね)が吊下がっているのをみて、長い階段で苦労した甲斐があったというものである。関東で最も大きい洪鐘は、開基である北条時宗の子である貞時が正安三年(1301年)に国会安泰祈願して寄進したものだ。

 

 江ノ島弁財天の加護によって洪鐘は完成したと伝えられる。貞時が洪鐘とともに弁天堂を建立した。

 

(なるほど、ここから富士山をみていたんだ・・・)

 

 鎌倉を見渡せる崖際の柵のところで、さきほどから中年の姿勢のいい女性がずっと遠くの風景を眺めていたのだった。肉眼でははっきりと富士山を確認できるが、わたしのバカちょんカメラのファインダーを通した画像だとぼやけて霞んでしまう。
「かなちゃん」と「しいちゃん」と言う二匹の猫に逢えなかったが、富士山で我慢しておくとしよう。




   →「円覚寺の桜(1)」の記事はこちら



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