温泉クンの旅日記

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京都・一乗寺、詩仙堂(3)

2023-08-20 | 京都点描
  <京都・一乗寺、詩仙堂(3)> 

 さすがに、ここは永平寺の末寺である。

 

『永平寺の修行の中心は座禅であるが、回廊掃除などの作務(さむ)も「動の座禅」といわれる。』と前にも書いたとおり、詩仙堂は建物と庭の、どこもかしこも掃除がいきとどいていて気もちいい。
 哲学者サルトルが言う通り、「掃除は芸術」なのだ。



 詩仙堂を訪れるなら、とくに春(5月下旬)の皐月と、秋(11月下旬)の紅葉は格別である。

 

 紅葉は例年、11月上旬ごろからヤマモミジやイロハモミジ、オオモミジ、カキなどが色付きはじめ、11月中旬から下旬ごろにかけてが<見頃>となる。

 

 詩仙堂の記事(1)で、『丈山は16歳で徳川家康に武将として仕え、大坂夏の陣で功名を立てた後、徳川家を離れ90歳で没するまで文化人として清貧の日々をおくった。』
 と、さらりと書いたが、

 大坂夏の陣に参加して功績を挙げたのだが、徳川家康が先陣争いを禁じていたにも関わらず軍令に反して抜け駆けをしたため、家康から賞されなかった。軍令に背いた丈山はすぐに浪人となり、妙心寺に隠棲した。
 そして清貧を旨として学問に没頭し三十数年を過ごし、寛文12年(1672年)、90歳で死去した。
 と、実際はこうだったようだ。

 

 いずれにしても丈山は漢詩の代表的人物であり、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されており、煎茶の祖ともいわれる。

 建物に戻ると、独り占めしたわたしと入れ違いに、やはり独りの若い女性(たぶん観光客)が庭に会釈しながら出てくるところだった。
 詩仙の間で、煎茶でもいいから一服したいところだが、やっていないのが残念。

 詩仙堂の隣にある、宮本武蔵ゆかりの「八大神社」である。

 

 

 江戸時代の初め、一乗寺下り松で吉岡一門数十人と決闘を前に、宮本武蔵がこの神社で神頼みをしようと思い立ったが、神仏に縋ろうとしたわが身の弱さに気づき、寸前で取りやめたという。

「この古木は、慶長九年(1604年)、剣聖・宮本武蔵が、吉岡一門と決闘せし、当時の松の木の一部である」
 由緒掲示を付けて、社殿内に<一乗寺下り松>の古木が保管展示されているそうだ。

 

 わたしは別に宮本武蔵を心酔しているわけではない。
 八大神社をついでに訪れたのは、
「京都人は紅葉でごった返す詩仙堂を避けて、隣の八大神社から塀越しの紅葉を愉しむ」
 たしかそんな内容の、柏井壽の書いた文章を思いだしたからだ。

 

 もちろん、八大神社の塀越しの紅葉も見られなかったが、想像はついた。ただ、せっかくの旅なのに塀越しで満足する観光客はいないだろう。
 
 紅葉も花も見られなかったが、詩仙堂を存分に満喫できた。
 丈山は小堀遠州、本阿弥光悦、松花堂昭乗、林羅山らとともに江戸時代初期の「寛永文化」を支えたひとりで、『渉成園(東本願寺)』や『酬恩庵(一休寺)庭園』、洛北の『蓮華寺庭園』などの作庭に関わったという。
 丈山の関わりのある他の庭園の名を、忘れず心に刻んでおくとしよう。


  →「京都・一乗寺、詩仙堂(1)」の記事はこちら
  →「京都・一乗寺、詩仙堂(2)」の記事はこちら


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