温泉クンの旅日記

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京都・嵯峨、愛宕念仏寺(2)

2024-05-26 | 京都点描
  <京都・嵯峨、愛宕念仏寺(2)>

 山門を入ると、すぐに階段路をあがるのだが、そのすぐ目の前の斜面から、羅漢像が並んでいた。

 

 

 わたしが羅漢に多少でもハマり始めてしまったのは最近で、箱根の寺に行ったときからだ。
 境内にある羅漢たちは、すべて参拝者たちの手によって作られたもので、それぞれが想いを込めて彫りあげて奉納されたものだそうだ。

 

 

 ところで<愛宕寺>を「あたごでら」でなく「おたぎでら」と読むのはなぜか。そしてもうひとつ、寺の名は<愛宕寺>なのに<愛宕念仏寺>と呼ばれるのはなぜなんだろうか。どうしても気になって調べてみた。

 

「愛宕(おたぎ)寺」だが、もとは奈良時代に現在の東山松原通の地、六波羅蜜寺の近くに建てられたと伝わる古刹で、当時この地を「山城国・愛宕郡(おたぎごうり)」と言っていたために「おたぎ」と名付けられた。
 平安初期に鴨川の洪水で堂宇が流失し、醍醐天皇が天台の僧「千観内供(せんかんないぐう)」に再興させて比叡山の末寺となった。
「千観内供」は世に<念仏上人>といわれたことにより、この寺も「愛宕念仏寺」と称するようになった。(現在地に移ったのは、大正時代である)
 ふむふむ、ようやくすっきりと腑に落ちたぞ。

 

 この「愛宕念仏寺」だが戦時中は無住寺となって、1950年の台風被害によって多大な被害を受けて、廃寺となってしまう。
 京都一の荒れ寺とまで言われていたが、1955年に、僧侶であり仏師・仏像修理技師の「西村公朝(にしむらこうちょう)」が住職に拝命して、再興が始まる。

 1980年より山門の解体復元工事が行われ、境内全域の本格的な復興事業が行われた。このとき「西村公朝」は寺門興隆を祈念して、境内を羅漢の石像で満たしたいと発願した。
 そして、復興祈願に賛同した参拝者の人々の手によって数多くの羅漢が彫られた。500躰を目標としていたが、10年後、奉納された羅漢の数は1200躰となり「千二百羅漢落慶法要」を厳修したのである。

 

 

 寺が山に近いため、苔が多く、いたるところに苔が生えている。
 石仏も苔で覆われて、実に味わい深い。

 

 この石仏群は、数々の2時間ドラマや映画のロケ地にもなっているので観た記憶がある人も多いのではないだろうか。わたしも「池波正太郎時代劇スペシャル『顔』(主演 松平健)」というドラマで、効果的に背景として使われていたのを覚えている。

 

 置かれている石仏の羅漢は、素人とは思えないほどの出来栄えである。
 帰りのバスの時間が迫ってきたので、羅漢の撮影に集中する。

 

 本尊の「厄除け千手観音」像が安置されている本堂などの建築物の画像を撮りそこねてしまった。
 この日、画像ではわからないだろうが、境内は訪れた大勢の外人観光客で溢れていたのも本堂などを撮影できなかった理由でもある。


  →「京都・嵯峨、愛宕念仏寺(1)」の記事はこちら
  →「箱根、長安寺の五百羅漢(1)」の記事はこちら
  →「箱根、長安寺の五百羅漢(2)」の記事はこちら
  →「箱根、長安寺の五百羅漢(3)」の記事はこちら
  →「川越・喜多院の五百羅漢」の記事はこちら


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