<運玉を投げる>
宮崎県日南市、海際にある鵜戸(うど)神宮・・・。
ここは宮崎のパワースポットのひとつである。
しかし、さすがは陸の孤島といわれる宮崎だ、この神宮まで来るにはとてつもない時間がかかる。
別府から来たわけだから、走行距離で三百六十キロ、時間でいうと飲み食いなしまったく休まないで走り続けても九時間かかる。
とにかく、気が遠くなるほど遠い。
青島で一泊したからこそ、この鵜戸神宮に来れたといえる。
鹿児島からのほうが近いが、それでも百四十キロ、三時間を超える。とても「ついでに行ってみるか」という距離ではない。
もちろん飛行機でブーンと飛んで来れば、宮崎空港から小一時間である。
日向灘に面した断崖の中腹にある岩窟内に本殿がある。「鵜戸(うど)」は「うろ(洞)」に通じる言葉だという。
たいていの神社は階段を昇っての参拝だが、ここは珍しい「下り宮」のかたちとなっているので、崖にそって作られた石段を降りて参拝する。
この神宮の由緒は次のようなものである。
山幸彦(彦火火出見尊)は、海宮(龍宮)に訪れた際、海神の娘・豊玉姫命(トヨタマヒメ)にひと目惚れして結婚した。
身ごもった豊玉姫命は、「天神の子を海で生むことはできない」と海から地上へ向かう。
そして海辺に鵜の羽を屋根にして産屋を造っていたのだが、まだでき上がらないうちに出産してしまう。
その御子が、主祭神である日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)である。
(なんという漢字が延々と続く難しい名前だろう)
鵜戸神宮は、その産屋の跡と伝えられている。
洞窟内には、ふたつの岩「お乳岩」が天井より垂れ下がっている。
これには次のような伝承が残っている。豊玉姫命は出産の際に、自分の姿を見ないように山幸彦に約束させる。しかし山幸彦は禁を破ってしまう。すると、妻は大きなワニ(鮫)となっていた。それを知った豊玉姫命は自らの引きちぎり、天井につけ、海に帰っていったという。
そのお乳岩から湧き出るお乳水を飲むと安産、身体健全などのご利益があるという。
この鵜戸神宮だが、名前を知らなくても、崖の上から素焼きの「運玉」を投げる場面をテレビ番組などで一度は見たことはあるだろう。
霊石亀石は、豊玉姫が海神宮(わたつみのみや)から来訪する際に乗った亀が石と化したものと伝えられている。
石頂に枡形の穴が開くことから「枡形岩」とも呼ばれるその穴に、男性は左手、女性は右手で、願いを込めた「運玉」を投げ入れることで願いがかなうといわれている。
かつては貨幣を投げ入れていたが、昭和三十年頃から鵜戸小学校の児童らによって作られる素焼きの「運玉」が使われることとなったそうだ
わたしも運玉を買って投げてみることにした。五個で百円である。
枡形の水が溜まった穴をめがけて左手で投げる。利き腕でないので飛んでもないところに落下してしまう。
力加減を調整しながら投げていくと、徐々に運玉が的に近づいてくる。
最後の一個に望みを託して慎重に投げた。
(よしっ、やった!)
ところが、水溜りの外に着地して、その衝撃で意外ともろい運玉が思い切り四散してしまった。欠片のいくつかは水が溜まった穴に入ったようだ。
まあ、いいとしよう。
ところで鵜戸は剣術の念流、陰流発祥の地でもあるのだ。南北朝時代に念阿弥慈恩が、室町時代に日向守愛洲移香が、鵜戸の洞窟に籠もり修行に励んだと伝えられている。陰流が、後の新陰流などの流派の祖となったとされる。
日南から鹿児島に向かう途中、茅葺屋根の「道の駅酒谷」で宮崎ラーメンとやらを試しに食べてみた。
見た目はトンコツラーメンそのものだが、臭みもまるでなくあっさり味のとても食べやすい味で非常に美味しかった。
腹が膨れたせいか、はたまた昨日から走りづめの疲れの蓄積のせいか、強烈な眠気に襲われた。急ぐ旅でもないし、安全第一である。都城に入ってすぐのコンビニの駐車場で仮眠をとることにしたのであった。
→「高千穂から青島まで」の記事はこちら
→「天街(天文館)で呑む(1)」の記事はこちら
宮崎県日南市、海際にある鵜戸(うど)神宮・・・。
ここは宮崎のパワースポットのひとつである。
しかし、さすがは陸の孤島といわれる宮崎だ、この神宮まで来るにはとてつもない時間がかかる。
別府から来たわけだから、走行距離で三百六十キロ、時間でいうと飲み食いなしまったく休まないで走り続けても九時間かかる。
とにかく、気が遠くなるほど遠い。
青島で一泊したからこそ、この鵜戸神宮に来れたといえる。
鹿児島からのほうが近いが、それでも百四十キロ、三時間を超える。とても「ついでに行ってみるか」という距離ではない。
もちろん飛行機でブーンと飛んで来れば、宮崎空港から小一時間である。
日向灘に面した断崖の中腹にある岩窟内に本殿がある。「鵜戸(うど)」は「うろ(洞)」に通じる言葉だという。
たいていの神社は階段を昇っての参拝だが、ここは珍しい「下り宮」のかたちとなっているので、崖にそって作られた石段を降りて参拝する。
この神宮の由緒は次のようなものである。
山幸彦(彦火火出見尊)は、海宮(龍宮)に訪れた際、海神の娘・豊玉姫命(トヨタマヒメ)にひと目惚れして結婚した。
身ごもった豊玉姫命は、「天神の子を海で生むことはできない」と海から地上へ向かう。
そして海辺に鵜の羽を屋根にして産屋を造っていたのだが、まだでき上がらないうちに出産してしまう。
その御子が、主祭神である日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)である。
(なんという漢字が延々と続く難しい名前だろう)
鵜戸神宮は、その産屋の跡と伝えられている。
洞窟内には、ふたつの岩「お乳岩」が天井より垂れ下がっている。
これには次のような伝承が残っている。豊玉姫命は出産の際に、自分の姿を見ないように山幸彦に約束させる。しかし山幸彦は禁を破ってしまう。すると、妻は大きなワニ(鮫)となっていた。それを知った豊玉姫命は自らの引きちぎり、天井につけ、海に帰っていったという。
そのお乳岩から湧き出るお乳水を飲むと安産、身体健全などのご利益があるという。
この鵜戸神宮だが、名前を知らなくても、崖の上から素焼きの「運玉」を投げる場面をテレビ番組などで一度は見たことはあるだろう。
霊石亀石は、豊玉姫が海神宮(わたつみのみや)から来訪する際に乗った亀が石と化したものと伝えられている。
石頂に枡形の穴が開くことから「枡形岩」とも呼ばれるその穴に、男性は左手、女性は右手で、願いを込めた「運玉」を投げ入れることで願いがかなうといわれている。
かつては貨幣を投げ入れていたが、昭和三十年頃から鵜戸小学校の児童らによって作られる素焼きの「運玉」が使われることとなったそうだ
わたしも運玉を買って投げてみることにした。五個で百円である。
枡形の水が溜まった穴をめがけて左手で投げる。利き腕でないので飛んでもないところに落下してしまう。
力加減を調整しながら投げていくと、徐々に運玉が的に近づいてくる。
最後の一個に望みを託して慎重に投げた。
(よしっ、やった!)
ところが、水溜りの外に着地して、その衝撃で意外ともろい運玉が思い切り四散してしまった。欠片のいくつかは水が溜まった穴に入ったようだ。
まあ、いいとしよう。
ところで鵜戸は剣術の念流、陰流発祥の地でもあるのだ。南北朝時代に念阿弥慈恩が、室町時代に日向守愛洲移香が、鵜戸の洞窟に籠もり修行に励んだと伝えられている。陰流が、後の新陰流などの流派の祖となったとされる。
日南から鹿児島に向かう途中、茅葺屋根の「道の駅酒谷」で宮崎ラーメンとやらを試しに食べてみた。
見た目はトンコツラーメンそのものだが、臭みもまるでなくあっさり味のとても食べやすい味で非常に美味しかった。
腹が膨れたせいか、はたまた昨日から走りづめの疲れの蓄積のせいか、強烈な眠気に襲われた。急ぐ旅でもないし、安全第一である。都城に入ってすぐのコンビニの駐車場で仮眠をとることにしたのであった。
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→「天街(天文館)で呑む(1)」の記事はこちら
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