<京都・七条堀川通、西本願寺>
東本願寺から西本願寺へはかなり近い。歩いて10分くらいである。
東本願寺の北側を廻りこみ、花屋町通をしばらく歩いてから、南に2本ほど入った細い十字路を折れて、西に進む。仏具屋も多く、どうやら門前町らしい。
「いったいなんだ、この建物は?」
風情のある町家が多いなかで、完全に浮いたハイカラな建物だが、「本願寺伝道院」とあった。僧侶の育成道場として使われているらしい。元は生命保険の社屋として建てられ、その後様々な使用を経て、現在に至ったとのことだ。
門前町を抜けて堀川通に出て、信号を渡れば、秀吉ゆかりの「お西さん」こと西本願寺だ。
趣きのある正門、「御影堂門」から寺内に入る。
西本願寺は通称で、正式名称は「龍谷山本願寺(りゅうこくざん ほんがんじ)」。東本願寺と同様、こちらも境内参拝は無料だ。
目の前には、大銀杏、そして親鸞聖人の木像が安置された「御影堂(ごえいどう)」である。
並んで建っていて渡り廊下で繋がっているのが、阿弥陀如来が安置された「阿弥陀堂」だ。
四周を開放した、花崗岩の四半敷で中央に石製の井戸と水盤を据えた「手水舎」は、なんとも味わい深いものがある。
見回すと一角には、江戸後期の建築といわれる、切妻造・本瓦葺で真壁造の「目隠塀(めかくしべい)」もあった。
(はぁー。なんとなく、いまいちテンションが上がらないなあ・・・)
片手落ちになってはいけないと、お東さんに続いてお西さんを参拝したのがいけなかったか。
「東本願寺(真宗大谷派)」と「西本願寺(本願寺派)」、ともに「親鸞聖人」を宗祖とする浄土真宗の宗派の1つである。
ただ二つの宗派は、本尊の形や後光、作法、仏壇・仏具・数珠など、細かな部分に違いがある。
「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える際に、真宗大谷派では「なむあみだぶつ」、本願寺派では「なもあみだぶつ」と読み、経を詠みあげる音程もそれぞれ違うそうだ。
――つまり、細かな部分は違うがそれほど大きくは違わない、ということだ。
立て続けに2軒のうどん屋で“おかめうどん”を食べたみたいな・・・。
御影堂門、御影堂、阿弥陀堂と、“おかめうどん”に乗っかる“具”のように、ついつい比べてしまう。
「しいたけはもちろん、かまぼことたまごやきも、最初の店のほうが大きかったな」
と思うわたしは、とんでもない罰当たりかも。
雨も熄まんし、そろそろここから眼と鼻の先にある<みやこ食堂>へ行くとするか。拝観はもう腹一杯だが、実際は腹ペコなのだ。
「あーれぇーっ! もしかしてさーあ、東本願寺も西本願寺も『ついで』だったンでねーの?」
そんな鋭く見透かすような声は、突発性難聴でなーんも聴こえませんわい。
今日はこれから、きっちりと反省会だ。
西本願寺へは日を改め、仕切り直してまた来よう。そのときには、唐門とか経蔵とか太鼓樓もゆっくり拝観しようと思う。大銀杏が映える季節がいいな。
→「京都・丹波口、みやこ食堂(1)」の記事はこちら
→「京都・丹波口、みやこ食堂(2)」の記事はこちら
→「京都・七条烏丸通、東本願寺」の記事はこちら
東本願寺から西本願寺へはかなり近い。歩いて10分くらいである。
東本願寺の北側を廻りこみ、花屋町通をしばらく歩いてから、南に2本ほど入った細い十字路を折れて、西に進む。仏具屋も多く、どうやら門前町らしい。
「いったいなんだ、この建物は?」
風情のある町家が多いなかで、完全に浮いたハイカラな建物だが、「本願寺伝道院」とあった。僧侶の育成道場として使われているらしい。元は生命保険の社屋として建てられ、その後様々な使用を経て、現在に至ったとのことだ。
門前町を抜けて堀川通に出て、信号を渡れば、秀吉ゆかりの「お西さん」こと西本願寺だ。
趣きのある正門、「御影堂門」から寺内に入る。
西本願寺は通称で、正式名称は「龍谷山本願寺(りゅうこくざん ほんがんじ)」。東本願寺と同様、こちらも境内参拝は無料だ。
目の前には、大銀杏、そして親鸞聖人の木像が安置された「御影堂(ごえいどう)」である。
並んで建っていて渡り廊下で繋がっているのが、阿弥陀如来が安置された「阿弥陀堂」だ。
四周を開放した、花崗岩の四半敷で中央に石製の井戸と水盤を据えた「手水舎」は、なんとも味わい深いものがある。
見回すと一角には、江戸後期の建築といわれる、切妻造・本瓦葺で真壁造の「目隠塀(めかくしべい)」もあった。
(はぁー。なんとなく、いまいちテンションが上がらないなあ・・・)
片手落ちになってはいけないと、お東さんに続いてお西さんを参拝したのがいけなかったか。
「東本願寺(真宗大谷派)」と「西本願寺(本願寺派)」、ともに「親鸞聖人」を宗祖とする浄土真宗の宗派の1つである。
ただ二つの宗派は、本尊の形や後光、作法、仏壇・仏具・数珠など、細かな部分に違いがある。
「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える際に、真宗大谷派では「なむあみだぶつ」、本願寺派では「なもあみだぶつ」と読み、経を詠みあげる音程もそれぞれ違うそうだ。
――つまり、細かな部分は違うがそれほど大きくは違わない、ということだ。
立て続けに2軒のうどん屋で“おかめうどん”を食べたみたいな・・・。
御影堂門、御影堂、阿弥陀堂と、“おかめうどん”に乗っかる“具”のように、ついつい比べてしまう。
「しいたけはもちろん、かまぼことたまごやきも、最初の店のほうが大きかったな」
と思うわたしは、とんでもない罰当たりかも。
雨も熄まんし、そろそろここから眼と鼻の先にある<みやこ食堂>へ行くとするか。拝観はもう腹一杯だが、実際は腹ペコなのだ。
「あーれぇーっ! もしかしてさーあ、東本願寺も西本願寺も『ついで』だったンでねーの?」
そんな鋭く見透かすような声は、突発性難聴でなーんも聴こえませんわい。
今日はこれから、きっちりと反省会だ。
西本願寺へは日を改め、仕切り直してまた来よう。そのときには、唐門とか経蔵とか太鼓樓もゆっくり拝観しようと思う。大銀杏が映える季節がいいな。
→「京都・丹波口、みやこ食堂(1)」の記事はこちら
→「京都・丹波口、みやこ食堂(2)」の記事はこちら
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