< アイル・ビー・バック >
「もしも東京から電話があったら、得意先に同行してもらっていますと言っておき
ますから」
ぜひ、柳川でも観光してから帰ってください。そう支店長が勧めてくれたのに、
ではデワと思わず乗ってしまう、とても素直なわたしだった。言い訳するわけでは
ないが、滅相もございません、いいじゃありませんかの応酬はもちろん、何度か
あったうえである。
リストラなんて言葉がまだまだ流行らないころだ。出張もけっこう仕事はきつい
けど、接待などすこしは余禄があったのである。
さあて。まだ、金曜の午後3時である。
ニコニコ顔で西鉄久留米駅から柳川に向かった。
柳川駅に荷物を預け、すこし歩いた船着場から川下りの舟に乗った。十人乗りぐ
らいの舟で「どんこ舟」と呼ばれているそうだ。
張り巡らされた浅い穏やかな水路を、船頭の説明を聞きながら一時間ほどゆっく
り流すので、だんだん気分が落ち着いたものになる。眠くなるほどだ。途中で擦り
寄ってきた物売りの舟から熱燗のワンカップを買い、チビチビ呑んでますます気分
が良くなってしまう。
記念写真ポイントみたいな地点で、カメラがあるといわれた方向に向かい、つい
調子に乗ってブイ・サインをしてしまった。終着の船着場で出来上がった写真を購
入する仕組みだそうだ。サボって観光した証拠になってしまうので、買わずばなる
まい。
あと少しで舟をおりそうなところで、急に雨がふりだした。
雨脚が思いのほか強い。傘が無いので、船着場から駅まで歩くと髪やスーツが
ずぶ濡れになってしまった。駅で煙草を吸いながらぼんやり驟雨をみているうち
に、今日帰るのが億劫になってきた。電話帳をみつけると、旅館のページを探す。
「たしか『大丸別荘』とか言っていたな・・・」
呑み仲間に九州から転勤したひとがいて、機会があればゼヒにと勧められた旅館
である。いい宿だそうだ。しかし、金曜日でひとり客だ。電話をするとやはり、お
ヒトリさまでございますか・・・としばらく待たされたが、運良く部屋がとれた。
西鉄で柳川から二日市まで戻る。
歩ける距離らしいが、一向に雨が弱まる気配がないのでタクシーを捕まえた。
雨のために、デレデレになったスーツにザンバラ髪のひとり客だが、二日市温泉
「大丸別荘」はジツに丁寧に迎えてくれた。それもそのはず創業は慶応元年から
で、天皇陛下も宿泊された由緒正しき日本旅館だそうだ。敷地はなんと六千坪であ
る。
案内された部屋も、日本庭園を望める四人部屋ぐらいの広さであった。料金は当
時の箱根標準値段の二万三千円ぐらいだったと記憶している。部屋に通されればそ
れほど高くない。
浴衣に着替えると、冷えた身体を温めに浴室へ急行した。万葉集にも歌われたと
いう1300年以上の歴史をもつ名湯は、泉温が低いため沸かしている。湯煙がたちこ
めるなか、浴槽は二、三人用ぐらいの椀を、落とし穴のように埋め込んだようなの
がいくつかあった。そのひとつに、たっぷり浸かって芯まで温まって夕食である。
仲居さんが、傍に座って酌をしてくれた。
どちらからですか。お仕事ですか。どうぞ、もう一杯。今日はどちらか観光され
たのですか。このお料理は美味しいですよう。あらまあ、食が進みませんね。明日
は、どちらへいらっしゃるのですか。大宰府でもいかれたらいかがですか。お酒、
三本空きましたけど、ふふ、ご飯にしますか。あ、はい、もう一本ですね。
仲居さんは一向にさがらない。たっぷり年上のひとだから、久しぶりに会った
親子の夕食みたいな雰囲気である。ええい、もう、えー加減にせんかい。いまな
ら、そういうところであるが、まだ旅なれないからこんなものかなと思っていた。
心づけのせいかな、とも思ったりした。
五合ほど酒を呑んで飯を二杯食べ終わると、仲居さんは、やっと夕餉の膳を片付
けながら部屋を引き下がったのである。敷いてもらった分厚い布団に倒れこみ、
ワンツースリーで爆睡した。
ザンバラ髪にでれでれスーツに、ふくれた旅行鞄。雨に打たれて不健康そうな顔
の一見、いや何見しても貧乏そうなサラリーマン。高級老舗旅館にミスマッチであ
る。しかも飛び込みの客だ。横領した会社の金を持っての逃避行と見えなくもな
い。
そのころにはまだ珍しい、ひとり旅である。捕まるまえの、あるいは自殺するま
えの人生最後の晩餐をうちの旅館で・・・。まさか、そう思ったのだろうか。冗談
じゃないぜ。でも、ご飯の食いっぷりをみて、やっと安心していたような気がしな
いでもない。
「ぜひこのつぎは、おフタリで、いらしてくださいませ」
「ア、はい」
女将さんにそういわれ、玄関の両側にずらり並んだ仲居さんに見送られながら、
(必ずまた来るからな・・・アイル・ビー・バック)
ターミネーターのように、固く心に誓ったわたしであった。
「もしも東京から電話があったら、得意先に同行してもらっていますと言っておき
ますから」
ぜひ、柳川でも観光してから帰ってください。そう支店長が勧めてくれたのに、
ではデワと思わず乗ってしまう、とても素直なわたしだった。言い訳するわけでは
ないが、滅相もございません、いいじゃありませんかの応酬はもちろん、何度か
あったうえである。
リストラなんて言葉がまだまだ流行らないころだ。出張もけっこう仕事はきつい
けど、接待などすこしは余禄があったのである。
さあて。まだ、金曜の午後3時である。
ニコニコ顔で西鉄久留米駅から柳川に向かった。
柳川駅に荷物を預け、すこし歩いた船着場から川下りの舟に乗った。十人乗りぐ
らいの舟で「どんこ舟」と呼ばれているそうだ。
張り巡らされた浅い穏やかな水路を、船頭の説明を聞きながら一時間ほどゆっく
り流すので、だんだん気分が落ち着いたものになる。眠くなるほどだ。途中で擦り
寄ってきた物売りの舟から熱燗のワンカップを買い、チビチビ呑んでますます気分
が良くなってしまう。
記念写真ポイントみたいな地点で、カメラがあるといわれた方向に向かい、つい
調子に乗ってブイ・サインをしてしまった。終着の船着場で出来上がった写真を購
入する仕組みだそうだ。サボって観光した証拠になってしまうので、買わずばなる
まい。
あと少しで舟をおりそうなところで、急に雨がふりだした。
雨脚が思いのほか強い。傘が無いので、船着場から駅まで歩くと髪やスーツが
ずぶ濡れになってしまった。駅で煙草を吸いながらぼんやり驟雨をみているうち
に、今日帰るのが億劫になってきた。電話帳をみつけると、旅館のページを探す。
「たしか『大丸別荘』とか言っていたな・・・」
呑み仲間に九州から転勤したひとがいて、機会があればゼヒにと勧められた旅館
である。いい宿だそうだ。しかし、金曜日でひとり客だ。電話をするとやはり、お
ヒトリさまでございますか・・・としばらく待たされたが、運良く部屋がとれた。
西鉄で柳川から二日市まで戻る。
歩ける距離らしいが、一向に雨が弱まる気配がないのでタクシーを捕まえた。
雨のために、デレデレになったスーツにザンバラ髪のひとり客だが、二日市温泉
「大丸別荘」はジツに丁寧に迎えてくれた。それもそのはず創業は慶応元年から
で、天皇陛下も宿泊された由緒正しき日本旅館だそうだ。敷地はなんと六千坪であ
る。
案内された部屋も、日本庭園を望める四人部屋ぐらいの広さであった。料金は当
時の箱根標準値段の二万三千円ぐらいだったと記憶している。部屋に通されればそ
れほど高くない。
浴衣に着替えると、冷えた身体を温めに浴室へ急行した。万葉集にも歌われたと
いう1300年以上の歴史をもつ名湯は、泉温が低いため沸かしている。湯煙がたちこ
めるなか、浴槽は二、三人用ぐらいの椀を、落とし穴のように埋め込んだようなの
がいくつかあった。そのひとつに、たっぷり浸かって芯まで温まって夕食である。
仲居さんが、傍に座って酌をしてくれた。
どちらからですか。お仕事ですか。どうぞ、もう一杯。今日はどちらか観光され
たのですか。このお料理は美味しいですよう。あらまあ、食が進みませんね。明日
は、どちらへいらっしゃるのですか。大宰府でもいかれたらいかがですか。お酒、
三本空きましたけど、ふふ、ご飯にしますか。あ、はい、もう一本ですね。
仲居さんは一向にさがらない。たっぷり年上のひとだから、久しぶりに会った
親子の夕食みたいな雰囲気である。ええい、もう、えー加減にせんかい。いまな
ら、そういうところであるが、まだ旅なれないからこんなものかなと思っていた。
心づけのせいかな、とも思ったりした。
五合ほど酒を呑んで飯を二杯食べ終わると、仲居さんは、やっと夕餉の膳を片付
けながら部屋を引き下がったのである。敷いてもらった分厚い布団に倒れこみ、
ワンツースリーで爆睡した。
ザンバラ髪にでれでれスーツに、ふくれた旅行鞄。雨に打たれて不健康そうな顔
の一見、いや何見しても貧乏そうなサラリーマン。高級老舗旅館にミスマッチであ
る。しかも飛び込みの客だ。横領した会社の金を持っての逃避行と見えなくもな
い。
そのころにはまだ珍しい、ひとり旅である。捕まるまえの、あるいは自殺するま
えの人生最後の晩餐をうちの旅館で・・・。まさか、そう思ったのだろうか。冗談
じゃないぜ。でも、ご飯の食いっぷりをみて、やっと安心していたような気がしな
いでもない。
「ぜひこのつぎは、おフタリで、いらしてくださいませ」
「ア、はい」
女将さんにそういわれ、玄関の両側にずらり並んだ仲居さんに見送られながら、
(必ずまた来るからな・・・アイル・ビー・バック)
ターミネーターのように、固く心に誓ったわたしであった。
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