温泉クンの旅日記

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ミルク

2007-02-28 | 旅エッセイ
  < ミルク >

 駅前から本数の少ないバスに乗った。

 一番前のひとり用の席に座った。邪魔になるザックは駅のコインロッカーに放り
込んであるので身軽である。
 わたしは、バスに乗るのもあまり好きではない。しょうがなく乗るときには、
なるべく一番前の席に座るようにしている。運転席のすぐ後ろでもいい。運転手と
同じ視界を確保すると、自分はあまり酔わないからだ。
 今日はこれから海岸にある絶景の露天風呂にいく。



 十人ほどの客が乗った。服装と荷物からみて、旅人はどうやらわたしとカップル
一組、残りは地元のひとのようだ。地元のひとたちは、後ろの席に散らばってすわ
っている。よっぽど疲れているのだろう、お婆さんは座ったとたんに眠り始めた。
 発車して、寂しい人通りの少ない町中をあっというまに通り抜けると、見渡す
限り両側に広い畑が続く直線の道である。
 陽をたっぷり吸い込んで、バスのなかはぽかぽかと縁側の陽だまりのようだ。
道のかすかなデコボコをていねいに拾ってバスは単調なリズムで走る。
 変わらない景色に飽きると、たっぷりの朝風呂のせいか睡魔がやってきた。

「ってゆーかさあ」
「あのさー、葉書かなんかの『前略』じゃねえんだから、こっちがなにも言って
ないのにいきなり『ってゆーかさあ』はないんじゃないの」
 ひとつ置いた後ろの席のカップルの声がはいってくる。景色に気をとられていた
ため休んでいた耳が、眼を瞑ったので起きたのだろう。

「いーからいいから! あのさ、ちょっと思いついたんだけどさあ・・・聞きた
い?」
「別に」
「またまたあ、無理して! 聞きたいでしょ?」
「・・・なにさ」

「バスってさあ、ちょっとだけ、ひとの人生に似てなくない?」
「・・・はあ? 人生? 昨日の旅館で案内したおばさんが消えた瞬間、おまえ
が、古臭い魔法瓶のくちをガチャガチャ開いて『グワッグワッ! アヒル!』って
やったやつより面白いぜ!」
 男の笑い声がひいひいと、ひとしきり続く。わたしは、どうにか唇を噛んで堪え
きると、耳をピンと後ろ向きに立てた。なかなかユニークなふたりだ。

「モー! もうすこし聞いてよ! こういう楽ちんな舗装路を走るような順風満帆
な得意満面なときもあれば、急坂を、あえぎあえぎ登るような辛いときもさあ、
あるわけよ。そんでね、自分が乗ってて、後ろにおじいさんとかおばあさんとか
ね、父や母や兄弟が乗ってるわけよ」
「ふーん、それで」

「どこかのバス停で、まず、おじいさんがふっと降りちゃうわけね」
「それって・・・えーと、亡くなるっていうこと?」
「ひらたく言うと、そう。あれれって思っているうちに、おばあさんも追いかける
ように次の停留所で降りちゃったりね。でも、降りるのは、他のバスに乗っちゃう
のもありなの。つまり結婚とかで、旦那さんのバスに乗り換えちゃうの」

「ふーん。乗ってくるのは、全然いないわけ?」
「あるある。まず、親友ね。学校とか会社とかの。増えたり減ったりするけど。
それとさーあ、恋人!」
「・・・」
「あれ、眠っちゃったの?」

「バカ、寝てないよ。厭味か! そういうふうな細い眼なの」
「あたし達ってさあ、あたしがキミのバスに乗ったのかなあ、それとも・・・キミ
があたしのバスに乗ってきたのかなあ。」
「・・・・・・」
 いつのまにか、バスは海沿いの集落のなかにはいった。空には鳶が数羽、ゆっく
り大きく旋回している。
 なんか、耳を畳んで寝たほうがよさそうかな。手探りで睡魔を探す。

「あのさあ、いつまでキミはあたしのバスに乗っているんだろう・・・って」
「・・・あ、見て! 可愛いネコ! ほら、あそこの堤防を歩いて、いま止まって
こっちみてる・・・」
「ああ、ミルクね。すーぐ話変えるんだから」



「え! なんであの猫の名前知ってるの? ここって前にも来たことあるの?」
「あるわけないじゃなーい! たったいま、つけたの、白いからミルクって名前
を。もういいわよ、バスの話題はいったんやめる」
「いま名前つけたっ! そ、それって、ずいぶん乱暴じゃないの。・・・あっと、
もうすぐ降りるよ」

 ジャラジャラと、かすかな硬貨の音。
「キミ、料金の細かいのある? あそう。 なに、やだあ、二人分の料金ピッタリ
握り締めてるう。まったく、そういうところ、キミは用意がいいんだから!」

 カップルの男のほうが、降りる前に運転手に、海岸にある露天風呂の場所を訊い
た。
 ・・・ああ、それだったら、この道沿いにもうすこし歩くと右側に看板があるか
らすぐわかるよ。すこし訛りのある声で運転手が前を指差しながら答えた。

 目的地がまったく同じわたしも、料金を払い、続いて降りる。
 バス停の小屋のベンチに、真っ白い猫が、客を迎える女将のようにきちんと座っ
ていた。置物のようにもみえる。鈴のついた首輪をみると飼い猫だ。
「あれ! おまえ、ミルクか? ねえ、ここでなにしてるの?」
 わたしが、頭や喉を撫でてもおとなしい。

 まだバスは止まっている。にゃあ。ふと、ミルクが手をすり抜けると、嬉しそう
に尾っぽをぴんと立てて、飛ぶように走った。りんりんりん。
 振り返ると、ステップから、ぱんぱんに膨れた重そうな買い物袋を提げたお婆さ
んが、ゆっくり降りてくる。りん、りん。ミルクがその足もとに、頭や耳や体を
こすり付けるようにぶつけている。

「そうかあ、お迎えかあ。ミルクはえらいなあ」

 わたしはそう呟くと、遠ざかるカップルの後姿をみつめてから腕時計をみる。
三、四十分ぐらい時間をつぶせばいいだろう。とにかく、あのふたりの邪魔はした
くない。
 食堂でもみつけて早めの昼飯としよう。
 煙草に火をつけると、潮の香りに満ちた道をわたしは歩きだした。

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