<読んだ本 2020年1月>
車と違い電車旅は酒が呑めるのがジツに嬉しい。
新函館北斗駅・・・。
駅の二階改札を出てすぐのところに広い喫煙所があったのをみつけ、さっそく一服する。
探していた駅弁を発見する。見間違えることのない印象的パッケージだ。購入は乗る直前にして次は酒の売り場を探す。駅前にある北斗市観光交流センター別館の一階をぶらぶらして、酒と土産物を調達した。どうやらここの二階から上はホテルになっているようだ。
駅に戻ると、一階の右奥にも喫煙所を発見したのだが小さいので二階まで我慢した。
「はやぶさ」の乗車時間が迫ってきたのでいそいそとお目当ての駅弁を購入し、ホームに降りていく。
「はやぶさ」が猛然と、しかしするするといった感じで入線してくる。
発車してしばらくしてから、弁当と酒をとりだした。
ジャーン! 函館名物「鰊みがき弁当」、それと根室の地酒「北の勝」だ。
甘辛く濃い味付けの身欠き鰊と薄味の数の子の、親子弁当。青函連絡船のころ(昭和41年)からの販売で、製法は五十年以上変わらないそうだ。
駅弁の包装を開けた瞬間、わたしの周りに醤油たれの芳香がはじけるように漂った。
(うーん、この匂い・・・この匂いだよ!
前に新幹線と特急二つを乗り継いで札幌へ出張したとき、函館から缶ビール四本とこの駅弁を持ったオジサンが隣に乗ってきたのだ。そのとき、この駅弁を開けた途端に腹ペコを発狂させるいい匂いに悩殺されて理性が木端微塵に崩壊、いつかきっと食べてやるぞと心に決めたのだった。
表面にけしの実をまぶした骨まで軟らかい鰊。そしてこのドーンと立派で見事な数の子は、どうだ。正月だけ、しかも欠片みたいのしか食べられなかった子ども時代への復讐みたい。口休めの茎若芽の醤油漬けとたくあん。
とにかく酒も飯も進むこと・・・気がつけば、「ぜんぜんご飯が足りないぞい!」と呟いてしまうのだった。
さて1月に読んだ本ですが、新年スタートはまずまずの7冊でした。
1. ○春はまだか くらまし屋稼業2 今村翔吾 角川春樹事務所
2. ○夏の戻り船 くらまし屋稼業3 今村翔吾 角川春樹事務所
3. ○海近(うみちか)旅館 柏井壽 小学館
4. ○食い道楽ひとり旅 柏井壽 光文社新書
5. △はぐれ烏 日暮し同心始末帖 辻堂魁 祥伝社文庫
6. ○日本百名宿 柏井壽 光文社新書
7. ○おひとり京都の晩ごはん 柏井壽 光文社新書
川奈の海っぺりにある、主人公は若女将美咲と父親の源治と兄の恵、それに従業員独りで営む、温泉はないが風光明媚が売りの小さな旅館「海近旅館」を舞台にした小説である。
『「今はたいていの宿で朝はバイキングでしょ。宿へ休みにきてるのに、朝から並んで
働かなきゃいけない。ほかの客と戦わなきゃいけない。朝飯を食うのに疲れちゃうんですよ」(略)
美咲が帰ってくる前まで、「海近旅館」の朝食はバイキング形式だった。たかだか十人ほどの客なのに
バイキングはおかしい。そう美咲が主張したが、そのほうが客は喜ぶ、と源治も恵も反論した。
手間がかからない上に、人手もいらない、いいことだらけだと言っていたふたりを何とか説き伏せて、
定食形式に変えたらちょっとした評判になった。』
『宿というものは、みんなが互いの思いをはかり、それをたいせつにすることで成り立つものなのだ。
宿側はもちろん、泊まっている客どうしも、そんな気持ちがあってはじめて気持ちよく過ごせる。
そこを理解しない客がいると、すべての歯車が狂ってしまうのだ。』
『ほうきの手が止まった。空から母の声が聞こえてきたような気がしたからだ。
――お客さまはけっして神様ではありません。でも、ときどき神さまがお客さまになって
お越しになることはあります――』
わかるなあ。わたしも夜はついつい呑むほうに突っ走るので好きなものだけ選べるバイキングのほうが好みだが、たまにであれば朝は質素でも定食のほうが嬉しかったりする。
もう一冊、「食い道楽ひとり旅」。
「食道楽」とは食通もしくは美食家で食に限りなく拘りと信念を持つ人であり、それに対し「食い道楽」の筆者は強い信念などなく、食べることが大好きであれもこれも食べたい普通の人間である。
無類の鮨好きの筆者は、ただただ新鮮でネタの大きさを売り物にする鮨屋のまるで「刺身のせご飯」と、魚とご飯が一体になった「鮨」とは根本的に異なる食べ物だと嘆く。
旅の宿選びで伊豆のことが書いてあった。
『安かろう悪かろう、も当て嵌まらないが、高かろう良かろう、もないのが伊豆の宿の値段である。(略)
伊豆の宿、その値段は、持て成す宿側より寧ろ、持て成される客側が、決めるべきである。
この料理になら、これだけの料金を払ってもいい。この眺めを得る為なら、これくらいの宿泊費は
構わない。そう、自分で決めるのが、伊豆の宿選びで失敗しないコツである。先ず予算ありき、
より、先ず目的ありき、それが伊豆の宿なのだ。無論これは何も伊豆に限ったことではなくて、日本中、
何処へ泊まりに行くにせよ、共通して言えることなのではある。あれもこれも、と、
多くを宿に求め過ぎることは結局不満を残す結果となる。』
まったく同感。わたしにも箱根と伊豆の宿泊料金は高いイメージがあり、どうしてもその選択にいつも困る。
→「読んだ本 2019年12月」の記事はこちら
車と違い電車旅は酒が呑めるのがジツに嬉しい。
新函館北斗駅・・・。
駅の二階改札を出てすぐのところに広い喫煙所があったのをみつけ、さっそく一服する。
探していた駅弁を発見する。見間違えることのない印象的パッケージだ。購入は乗る直前にして次は酒の売り場を探す。駅前にある北斗市観光交流センター別館の一階をぶらぶらして、酒と土産物を調達した。どうやらここの二階から上はホテルになっているようだ。
駅に戻ると、一階の右奥にも喫煙所を発見したのだが小さいので二階まで我慢した。
「はやぶさ」の乗車時間が迫ってきたのでいそいそとお目当ての駅弁を購入し、ホームに降りていく。
「はやぶさ」が猛然と、しかしするするといった感じで入線してくる。
発車してしばらくしてから、弁当と酒をとりだした。
ジャーン! 函館名物「鰊みがき弁当」、それと根室の地酒「北の勝」だ。
甘辛く濃い味付けの身欠き鰊と薄味の数の子の、親子弁当。青函連絡船のころ(昭和41年)からの販売で、製法は五十年以上変わらないそうだ。
駅弁の包装を開けた瞬間、わたしの周りに醤油たれの芳香がはじけるように漂った。
(うーん、この匂い・・・この匂いだよ!
前に新幹線と特急二つを乗り継いで札幌へ出張したとき、函館から缶ビール四本とこの駅弁を持ったオジサンが隣に乗ってきたのだ。そのとき、この駅弁を開けた途端に腹ペコを発狂させるいい匂いに悩殺されて理性が木端微塵に崩壊、いつかきっと食べてやるぞと心に決めたのだった。
表面にけしの実をまぶした骨まで軟らかい鰊。そしてこのドーンと立派で見事な数の子は、どうだ。正月だけ、しかも欠片みたいのしか食べられなかった子ども時代への復讐みたい。口休めの茎若芽の醤油漬けとたくあん。
とにかく酒も飯も進むこと・・・気がつけば、「ぜんぜんご飯が足りないぞい!」と呟いてしまうのだった。
さて1月に読んだ本ですが、新年スタートはまずまずの7冊でした。
1. ○春はまだか くらまし屋稼業2 今村翔吾 角川春樹事務所
2. ○夏の戻り船 くらまし屋稼業3 今村翔吾 角川春樹事務所
3. ○海近(うみちか)旅館 柏井壽 小学館
4. ○食い道楽ひとり旅 柏井壽 光文社新書
5. △はぐれ烏 日暮し同心始末帖 辻堂魁 祥伝社文庫
6. ○日本百名宿 柏井壽 光文社新書
7. ○おひとり京都の晩ごはん 柏井壽 光文社新書
川奈の海っぺりにある、主人公は若女将美咲と父親の源治と兄の恵、それに従業員独りで営む、温泉はないが風光明媚が売りの小さな旅館「海近旅館」を舞台にした小説である。
『「今はたいていの宿で朝はバイキングでしょ。宿へ休みにきてるのに、朝から並んで
働かなきゃいけない。ほかの客と戦わなきゃいけない。朝飯を食うのに疲れちゃうんですよ」(略)
美咲が帰ってくる前まで、「海近旅館」の朝食はバイキング形式だった。たかだか十人ほどの客なのに
バイキングはおかしい。そう美咲が主張したが、そのほうが客は喜ぶ、と源治も恵も反論した。
手間がかからない上に、人手もいらない、いいことだらけだと言っていたふたりを何とか説き伏せて、
定食形式に変えたらちょっとした評判になった。』
『宿というものは、みんなが互いの思いをはかり、それをたいせつにすることで成り立つものなのだ。
宿側はもちろん、泊まっている客どうしも、そんな気持ちがあってはじめて気持ちよく過ごせる。
そこを理解しない客がいると、すべての歯車が狂ってしまうのだ。』
『ほうきの手が止まった。空から母の声が聞こえてきたような気がしたからだ。
――お客さまはけっして神様ではありません。でも、ときどき神さまがお客さまになって
お越しになることはあります――』
わかるなあ。わたしも夜はついつい呑むほうに突っ走るので好きなものだけ選べるバイキングのほうが好みだが、たまにであれば朝は質素でも定食のほうが嬉しかったりする。
もう一冊、「食い道楽ひとり旅」。
「食道楽」とは食通もしくは美食家で食に限りなく拘りと信念を持つ人であり、それに対し「食い道楽」の筆者は強い信念などなく、食べることが大好きであれもこれも食べたい普通の人間である。
無類の鮨好きの筆者は、ただただ新鮮でネタの大きさを売り物にする鮨屋のまるで「刺身のせご飯」と、魚とご飯が一体になった「鮨」とは根本的に異なる食べ物だと嘆く。
旅の宿選びで伊豆のことが書いてあった。
『安かろう悪かろう、も当て嵌まらないが、高かろう良かろう、もないのが伊豆の宿の値段である。(略)
伊豆の宿、その値段は、持て成す宿側より寧ろ、持て成される客側が、決めるべきである。
この料理になら、これだけの料金を払ってもいい。この眺めを得る為なら、これくらいの宿泊費は
構わない。そう、自分で決めるのが、伊豆の宿選びで失敗しないコツである。先ず予算ありき、
より、先ず目的ありき、それが伊豆の宿なのだ。無論これは何も伊豆に限ったことではなくて、日本中、
何処へ泊まりに行くにせよ、共通して言えることなのではある。あれもこれも、と、
多くを宿に求め過ぎることは結局不満を残す結果となる。』
まったく同感。わたしにも箱根と伊豆の宿泊料金は高いイメージがあり、どうしてもその選択にいつも困る。
→「読んだ本 2019年12月」の記事はこちら
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