<木場の昼メシ(3)>
「春眠不覚暁」・・・春眠暁を覚えずとはよくいったものである。
木場公園近くの狭い河沿いに、河津桜が咲くこの時季になるとまったくもってひたすら眠たい。
さて、サラリーマン生活の長いので勤務地も横浜、丸の内、赤坂、木場、門前仲町、そして品川とコロコロ変わった。
こと昼メシ一点に焦点を絞って思い返すと、銀座も射程距離だった丸の内時代と、木場時代がとりわけ懐かしい。
酒好きゆえ二日酔いが多いためどうしても麺類に走りがちになるが、時には昼メシに刺身や、サバの塩焼きなどの焼き魚や、肉をがっちりと食べたいときもある。
ところが、焼き魚定食や刺身定食を食べていた木場のそれぞれの店が転売したり、廃業したりしまったので肉系の店だけを紹介しよう。
焼肉が食べたくなると行っていたのが「おおはし」である。四年前に行ったときはカルビランチが八百五十円だったが、いまでも多分千円は超えないはずだ。
脂が適度にのった固くないひと口大の焼肉で、ご飯がぱくぱくモリモリ食べられる。
「キッチン88(パパ)」は無口なご主人が黙々と定食を提供する店で、わたしはいつも生姜焼定食を頼んでいた。
他の店のようにばら肉を使わず、ミニッツステーキなみの豚肉に、生姜がたっぷり効いたすこし甘味のあるタレを使っていて、どちらかといったらポークソテーのように食べごたえのある生姜焼きである。
数年間通ったなかで、たしか一、二回くらいカニコロッケ定食を食べたぐらいで、あとはいつでも判で押したように生姜焼きを食べまくっていた。
最後に、木場で胡椒を(あるいは人口調味料も)大量に使った麺類をふたつ書いておく。
東京のタンメンは食べられないと日頃豪語しているわたしだが、「來々軒」のタンメンと餃子はたまに食べる。たまにといっても二カ月に一回くらいだった。
ぷっくりとした餃子はあまり好みではないが、これは掛け値なしに旨い。
タンメンのほうは、やはり横浜の三幸苑と一品香とかと比べると似て非なるものだが、職場が木場なのでこれはもう妥協するしかなかった。それでも妥協だからたいてい食べ残してしまう。
もともとは「おおはし」の真向かいにあった店だが、現在は永代通りのほうへ移転している。場所がいいせいもあって、横浜のタンメンを食べたことのない人達で店は朝から満員盛況である。
雨が降ったりして「媽媽(マーマー)」や「花村」や「おおはし」に行くのが面倒なとき、「柳家」や「中国料理 阿Q(あきゅう)」ですませることがよくあった。わたしは歓送迎会も「媽媽」を好んで使ったが、「阿Q」は会社の別の部門のグループが歓送迎会などでよく使う処である。
阿Q麺は細麺を使った、いわゆる餡かけラーメンだが、独特の辛酸っぱいスープが特徴である。寒いときなどは身体が温まり、ちょっと癖になる味だ。
ただ辛酸っぱいというどっちつかずの味より、辛みが直球の「媽媽」の<辛しそば>のほうが好みである。
「阿Q」の前に、コンビニとなってしまったが昔は酒屋で七、八人が立ち呑みできるスペースがあって、立ち呑み好きな先輩に誘われてしかたなく呑んだことを思いだす。
「もう一軒いきましょう」と京橋に移動して、立ち呑みの酒屋のハシゴを図らずもしてしまった。あのころは足腰も元気だったなあ、とひたすら懐かしい。
→「木場の昼メシ」の記事はこちら
→「木場の昼メシ(2)」の記事はこちら
→「カレーなる剽窃」の記事はこちら
→「最強のタンメン」の記事はこちら
→「一品香の湯麺餃子」の記事はこちら
「春眠不覚暁」・・・春眠暁を覚えずとはよくいったものである。
木場公園近くの狭い河沿いに、河津桜が咲くこの時季になるとまったくもってひたすら眠たい。
さて、サラリーマン生活の長いので勤務地も横浜、丸の内、赤坂、木場、門前仲町、そして品川とコロコロ変わった。
こと昼メシ一点に焦点を絞って思い返すと、銀座も射程距離だった丸の内時代と、木場時代がとりわけ懐かしい。
酒好きゆえ二日酔いが多いためどうしても麺類に走りがちになるが、時には昼メシに刺身や、サバの塩焼きなどの焼き魚や、肉をがっちりと食べたいときもある。
ところが、焼き魚定食や刺身定食を食べていた木場のそれぞれの店が転売したり、廃業したりしまったので肉系の店だけを紹介しよう。
焼肉が食べたくなると行っていたのが「おおはし」である。四年前に行ったときはカルビランチが八百五十円だったが、いまでも多分千円は超えないはずだ。
脂が適度にのった固くないひと口大の焼肉で、ご飯がぱくぱくモリモリ食べられる。
「キッチン88(パパ)」は無口なご主人が黙々と定食を提供する店で、わたしはいつも生姜焼定食を頼んでいた。
他の店のようにばら肉を使わず、ミニッツステーキなみの豚肉に、生姜がたっぷり効いたすこし甘味のあるタレを使っていて、どちらかといったらポークソテーのように食べごたえのある生姜焼きである。
数年間通ったなかで、たしか一、二回くらいカニコロッケ定食を食べたぐらいで、あとはいつでも判で押したように生姜焼きを食べまくっていた。
最後に、木場で胡椒を(あるいは人口調味料も)大量に使った麺類をふたつ書いておく。
東京のタンメンは食べられないと日頃豪語しているわたしだが、「來々軒」のタンメンと餃子はたまに食べる。たまにといっても二カ月に一回くらいだった。
ぷっくりとした餃子はあまり好みではないが、これは掛け値なしに旨い。
タンメンのほうは、やはり横浜の三幸苑と一品香とかと比べると似て非なるものだが、職場が木場なのでこれはもう妥協するしかなかった。それでも妥協だからたいてい食べ残してしまう。
もともとは「おおはし」の真向かいにあった店だが、現在は永代通りのほうへ移転している。場所がいいせいもあって、横浜のタンメンを食べたことのない人達で店は朝から満員盛況である。
雨が降ったりして「媽媽(マーマー)」や「花村」や「おおはし」に行くのが面倒なとき、「柳家」や「中国料理 阿Q(あきゅう)」ですませることがよくあった。わたしは歓送迎会も「媽媽」を好んで使ったが、「阿Q」は会社の別の部門のグループが歓送迎会などでよく使う処である。
阿Q麺は細麺を使った、いわゆる餡かけラーメンだが、独特の辛酸っぱいスープが特徴である。寒いときなどは身体が温まり、ちょっと癖になる味だ。
ただ辛酸っぱいというどっちつかずの味より、辛みが直球の「媽媽」の<辛しそば>のほうが好みである。
「阿Q」の前に、コンビニとなってしまったが昔は酒屋で七、八人が立ち呑みできるスペースがあって、立ち呑み好きな先輩に誘われてしかたなく呑んだことを思いだす。
「もう一軒いきましょう」と京橋に移動して、立ち呑みの酒屋のハシゴを図らずもしてしまった。あのころは足腰も元気だったなあ、とひたすら懐かしい。
→「木場の昼メシ」の記事はこちら
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