温泉クンの旅日記

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門司港界隈(2)

2011-01-12 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <門司港界隈(2)>

 門司港レトロ観光は、歩いて廻れる港駅周辺だけでもけっこう見どころが多いのである。



 現在では商売というより大道芸みたいになってきているバナナの叩き売りだが、この門司港周辺が元祖発祥の地だ。



 叩き売り、つまり啖呵売の口上はつぎのような調子である。

 ♪生まれは台湾台中の 阿里山麓の片田舎 台湾娘に見初められ
  ポッと色気のさすうちに 国定忠治じゃないけれど ひと房ふた房もぎ取られ
  唐丸籠に詰められて 阿里山麓を後にして ガタゴトお汽車にゆすられて 
  着いたところがキールン港 キールン港を船出して 金波銀波の波を越え 
  海原遠き船の旅 艱難辛苦の暁に ようやく着いたが門司港(もじみなと)

『さあサアこのバナナ買ってくれるかな。じゃあまずひと房いこう、ひと房のうえにもうひと房つけちゃおう。一は万物の始まり、泥棒の始まりが石川五右衛門、博打の始まりが熊坂長範、相撲の始まりが野見宿彌。

 ええ、もっと負けろ? じゃあもうひとつ負けよう、おまけが二つだ。憎まれっ子世にはびこる、仁木弾正悪い奴、日光けっこう東照宮、西は西京東は東京。

 なんだあもっと負けろってか? よしもうひとつ負けちゃおう、おまけが三つだ。三十三は女の大厄、産で死んだか三島のおせん、三三六法引くべからず、それを引くのが男の度胸で女は愛嬌、坊主はお教でつけものはらっきょう・・・・』

 バナナが高級品だったころの話だから、この威勢のいい口上で売れまくったのではないだろうか。
 バナナが日本に輸入されたのは明治36年ごろ、基隆(キールン=台湾の貿易拠点)の商人が神戸に持ち込んだといわれている。 
 神戸に運ぶ途中で傷み始めたバナナを、すこしでも早く換金するために台湾に近い九州の玄関である門司港周辺で売られたのである。

 焼きカレーもここ門司港が発祥らしい。
 街を歩いているとあちこちの店先に「焼きカレー」の幟が立っている。そのうちB級グルメにでてくるかもしれない。
 なんでも昭和30年ごろ門司港周辺の喫茶店で、余ったカレーをグラタン風にオーブンで焼いたところ非常に美味しかったのでメニューに載せたのが始まりということである。

 そういえば腹がすいた。



 レトロな喫茶店があったので思わず飛び込んだ。メニューには焼きカレーもあったが、無難なところでカレーピラフを注文した。



 味は見た目ほど濃くはなく調度いい辛みである。



 熱々のピラフを平らげ珈琲を飲むと、そろそろチェックインをする頃合いになっていた。

 車をとめた関門海峡ミュージアムの駐車場まで戻った。



 平成15年にオープン、関門海峡の過去現在を五感で感じられるミュージアムとのことである。



 向こう岸に下関の街がみえている。とても近い距離である。

 今日の宿は、旧大阪商船のまん前にあることはさきほど下調べずみだ。



 レトロな街にマッチした建物の門司港ホテルだ。



   ― 続く ―
  →「門司港界隈(1)」の記事はこちら

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