「福岡市博多区の県吉塚合同庁舎には、県民が寄贈した約6千点の戦時資料が保管されている」そうです。戦時資料って?どんなものでしょうか?
前号では大刀洗平和記念館の「シベリア抑留者が2年間の抑留生活で、拾い集めた木々作り、ひそかに持ち帰って来られたマージャンパイ」が紹介されていました。
吉塚合同庁舎では「ドイツ製の蛇腹式カメラ」を見つけられてます。「県行政経営企画課によると、持ち主は大牟田出身の執行久男さん(享年25)」だそうです。「中国の戦地へ出征する際、荷物とともに携えていた」とのことです。「執行さんは二度と祖国の土を踏むことはかなわなかったが、カメラは水筒や双眼鏡とともに遺族の元に届けられた」モノだそうです。「執行さんの人柄について、妹の古野鈴恵さん(83)が『兄は幼い私家族の記念写真を取るのが好きだった。戦地ではきっと、友人のくつろいだ様子や自分の気持ちが休まる景色にシャッターを切ったのではないでしょうか』と」話されています。しかし筆者は「非業の死を遂げた青年の影」を思い、「この晴れぬ気持ちは、どれほど時が流れようと変わらないだろう」と書かれています。
(下:2020年8月14日西日本新聞【戦禍残照〜モノは語る】欄-帖地洸平「蛇腹式カメラ 大陸でレンズ通し見たものは・・・」より)
前号では大刀洗平和記念館の「シベリア抑留者が2年間の抑留生活で、拾い集めた木々作り、ひそかに持ち帰って来られたマージャンパイ」が紹介されていました。
吉塚合同庁舎では「ドイツ製の蛇腹式カメラ」を見つけられてます。「県行政経営企画課によると、持ち主は大牟田出身の執行久男さん(享年25)」だそうです。「中国の戦地へ出征する際、荷物とともに携えていた」とのことです。「執行さんは二度と祖国の土を踏むことはかなわなかったが、カメラは水筒や双眼鏡とともに遺族の元に届けられた」モノだそうです。「執行さんの人柄について、妹の古野鈴恵さん(83)が『兄は幼い私家族の記念写真を取るのが好きだった。戦地ではきっと、友人のくつろいだ様子や自分の気持ちが休まる景色にシャッターを切ったのではないでしょうか』と」話されています。しかし筆者は「非業の死を遂げた青年の影」を思い、「この晴れぬ気持ちは、どれほど時が流れようと変わらないだろう」と書かれています。
(下:2020年8月14日西日本新聞【戦禍残照〜モノは語る】欄-帖地洸平「蛇腹式カメラ 大陸でレンズ通し見たものは・・・」より)