・・・宮崎市定氏が1995年に書いた「古代大和朝廷」と云う筑摩学芸文庫本を読んでいる。
著者は京都大学の東洋史学科卒で邪馬台国、近畿説の内藤湖南に師事したとかいてある。
私は趣味で日本古代の本を読んでいたが、この著者の本は初めて読んだ。
彼の考え方を読んでいて、アジア史の専門家と云う視点で、邪馬台国の場所を推定ているので面白いと思った。
彼によれば、九州は大陸に近いし、中国文化の経由地ではあるが、倭国の中心になるには無理があると考えいる。 彼によれば、首都になるには人口を支える生産が必要だから、九州は倭国の首都ではないという、昔から、九州は日本の政治経済の中心になったためしがない。九州には、それだけの生産力と人口がないという。
そんなことを読んで、邪馬台国の頃、すなわち弥生時代後期の日本列島を考えれば、北は上総の国から、南は薩摩隼人までの地形的な交通の中心で且つ、生産力あるとなると、近畿地方であると思う。
近畿は、歴史上常に日本の首都があった場所で、交通、流通の中心で、且つ、生産力がある場所ではある。
当たり前ではあるが、彼の説の通り、やはり、邪馬台国は近畿にあったような気がした。