富岡小学校、富岡中学校、旭ヶ丘中学校。
名前だけは聞いたことがあったが、よく知らなかったのでちょっと調べてみた。
以下まとめ。
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小樽市立富岡小学校の変遷(小樽市立富岡中学校の変遷)
明治28年に稲穂尋常高等小学校が開校した。
その6年後の明治34年、稲穂小学校の隣に稲穂女子尋常高等小学校が開校した。
(今の保健所、医師会館の場所)
時代とともに稲穂国民学校、稲穂女子国民学校(昭和16年3月)、
稲穂小学校、稲穂女子小学校(昭和22年)とそれぞれの名称を変えるが、
隣同士にある学校に男子と女子が別々に通っていた。
(男女七歳にして席を同じうせず『礼記』。当時の道徳教育の賜物だろうか?)
昭和22年の学制改革により稲穂女子小学校は廃止され、
稲穂女子小学校は富岡中学校として生まれ変わる。
(稲穂女子小学校の廃止。富岡中学校の誕生)
しかしそのわずか10年後の昭和32年4月、ベビーブームによる学校校舎不足のため、
以下の小中学校再編を実施した。
①富岡中学校を富岡小学校とした。(富岡小学校の誕生 児童数1114人)
②富岡中学校は現在の西陵中学校の場所にあった旭ヶ丘中学校と統合し、西陵中学校とした。
(※ちなみに旭ヶ丘中学校の前身は、大正11年5月竣工の市立小樽高等女学校)
③松ヶ枝中学校を新設した。
この結果、昭和32年4月から昭和44年3月まで(富岡小学校廃止まで)の12年間、
富岡小学校と稲穂小学校という二つの小学校が隣合わせに存在していた。
全国的にみても非常に珍しいケースだったという。
ちなみに昭和43年当時の学校規模
稲穂小学校 学級数19 児童数757人
富岡小学校 学級数12 児童数460人
もともと屋外運動場は一つしかなく、グラウンドのない富岡小学校の運動会は
花園グラウンドを借りてやっていたらしい。
また、稲穂小学校の校舎は富岡小学校の通学区域のため、稲穂小学校の前を通って
富岡小学校に通う児童がいたらしい。
その後、緑小学校の改築(全面改築落成は昭和45年5月)に合わせて富岡小学校は閉校となり、
富岡小学校に通っていた児童は稲穂小学校と緑小学校に通学することとなった。(昭和44年3月)
昭和43年6月の新聞記事
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名前だけは聞いたことがあったが、よく知らなかったのでちょっと調べてみた。
以下まとめ。
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小樽市立富岡小学校の変遷(小樽市立富岡中学校の変遷)
明治28年に稲穂尋常高等小学校が開校した。
その6年後の明治34年、稲穂小学校の隣に稲穂女子尋常高等小学校が開校した。
(今の保健所、医師会館の場所)
時代とともに稲穂国民学校、稲穂女子国民学校(昭和16年3月)、
稲穂小学校、稲穂女子小学校(昭和22年)とそれぞれの名称を変えるが、
隣同士にある学校に男子と女子が別々に通っていた。
(男女七歳にして席を同じうせず『礼記』。当時の道徳教育の賜物だろうか?)
昭和22年の学制改革により稲穂女子小学校は廃止され、
稲穂女子小学校は富岡中学校として生まれ変わる。
(稲穂女子小学校の廃止。富岡中学校の誕生)
しかしそのわずか10年後の昭和32年4月、ベビーブームによる学校校舎不足のため、
以下の小中学校再編を実施した。
①富岡中学校を富岡小学校とした。(富岡小学校の誕生 児童数1114人)
②富岡中学校は現在の西陵中学校の場所にあった旭ヶ丘中学校と統合し、西陵中学校とした。
(※ちなみに旭ヶ丘中学校の前身は、大正11年5月竣工の市立小樽高等女学校)
③松ヶ枝中学校を新設した。
この結果、昭和32年4月から昭和44年3月まで(富岡小学校廃止まで)の12年間、
富岡小学校と稲穂小学校という二つの小学校が隣合わせに存在していた。
全国的にみても非常に珍しいケースだったという。
ちなみに昭和43年当時の学校規模
稲穂小学校 学級数19 児童数757人
富岡小学校 学級数12 児童数460人
もともと屋外運動場は一つしかなく、グラウンドのない富岡小学校の運動会は
花園グラウンドを借りてやっていたらしい。
また、稲穂小学校の校舎は富岡小学校の通学区域のため、稲穂小学校の前を通って
富岡小学校に通う児童がいたらしい。
その後、緑小学校の改築(全面改築落成は昭和45年5月)に合わせて富岡小学校は閉校となり、
富岡小学校に通っていた児童は稲穂小学校と緑小学校に通学することとなった。(昭和44年3月)
昭和43年6月の新聞記事
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