小樽のパパの子育て日記

日々のできごとを徒然なるままに2006年から書いて18年目になりました。
ヤプログから2019年9月に引越し。

この世の偽善

2014-06-01 09:50:24 | インポート
図書館で借りた本




この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人
金美齢、曽野綾子著

いい本だった。以下、自分用メモ。

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この世は不条理に満ちている。
「他人の恨みを買うようなことはせず、社会に迷惑をかけた覚えもなく、ただ真面目に生きてきただけなのに、なぜ自分だけが恵まれないのか」ーそうしたルサンチマンを抱える人びとは、いつの時代にも散見される。ただいうまでもなく、彼らの主張は人生の「基本」ではない。それどころか、人生の「本質」を見誤っているのではないかという思いを私は禁じ得ない。

ジュゼッペ・ヴェルディ作曲オペラ「リゴレット」。究極の不条理。

本当に貧困な人とは今晩食べるものの工面が全くできない人。
その場合、人間は3つの解決方法しかもっていない。「水だけ飲んで寝る。乞食をする。盗む。」
乞食はれっきとした仕事。

引きこもれる自由。
働かない人ほど不平不満が募る。「小人閑居して不善をなす」

画一的な思考に埋没して流行に迎合していれば、自分だけが責任を負わされることはない。誰だってやっているんだから、自分だけ責められるのはおかしいと。責任を引き受けることから人間を遠ざけ、それを自省しなくてもいいように、マスコミは綺麗事で物事をくるんでいる。偽善的な態度で伝え論じるだけで、誰も悪や損な役回りを引き受ける勇気がなくて、みんながいい子ちゃんの善人、そうでありながら少しでも得しようと考えている。


言葉に用心している人はおおむね冷たいという感じがする。その人は失言をねじ込まれないことと、面倒くさい人とは関わりたくない、自分の出世の道の中で失点を取りたくないという情熱しか持っていないから。


私がビッコだったら、そっとしてふれないでいてくれる友だちよりも「おい、ビッコ。お前もこい。」と誘ってくれる友だちを好くだろう。「足の不自由な人」などと言い換えることで何かが現実から離れて嘘になっていく。そうすることで、どこか人間の本質が見えなくなってしまう。人間はつねにいささかの悪をしながら、時にはかなりの善をなすこともできる。この感覚が大事で、自分の内部におけるこの善悪の配分の時に必ず起きる、一抹の不純さの自覚が人間をつくる。


口先だけの理想論が幅を利かせて居心地が悪い。
「自分が死ぬか生きるかということになっても、まだ目の前の敵に人道的配慮ができると思う?」
こういう人に限って、少しも自分の弱さを自覚していないから、
「当たり前です。私はどんなことがあっても人を殺さないし、差別しません。それにみなが平和を願い、差別解消を願えば、必ず叶うはずです。」など言う。これでは話のあとが続かない。


綺麗事が大手を振るえば人間は精神的に窒息する。


オススメの一冊。