図書館で借りた本
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「文章を添削することは心を添削することだ。その人の心が添削されないかぎりはその人の文章が添削されようがない」島崎藤村
全くそのとおりだ。
自分を変えるには何よりも書くことだ。
心に留めておきたい一節を自分用メモに。
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毎日何でもいいから気がついたらメモを取る。
ちょっといいと思った言葉、センテンス、アイディア、着想を集める、自分の発言や考えたことを書いておく、要するにメモにまみれ、言葉まみれになる。
大事なことは、そういう作業を通して自分自身を推敲、添削することだ。
そうすれば必ず心の姿が変わる。
なぜなら自分の心に入れる言葉、ボキャブラリーが変わるからだ。
推敲、添削は一義的には主語、述語の対応、論理の一貫性、用語の的確性あるいは字の間違いなどを正し、文章を整えることだが、そのレベルでとどまれば単なる作業である。
しかし、人格改造、ボキャブラリーの変革を視野に入れれば人間改革だ。
推敲、添削は彫刻や版画と違って削りすぎても回復することができる。
取り返しのつくことは思い切って刀をふるう。
果敢に冒険し、後悔するくらい自分を削る人が最後は伸びる。
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「文章を添削することは心を添削することだ。その人の心が添削されないかぎりはその人の文章が添削されようがない」島崎藤村
全くそのとおりだ。
自分を変えるには何よりも書くことだ。
心に留めておきたい一節を自分用メモに。
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毎日何でもいいから気がついたらメモを取る。
ちょっといいと思った言葉、センテンス、アイディア、着想を集める、自分の発言や考えたことを書いておく、要するにメモにまみれ、言葉まみれになる。
大事なことは、そういう作業を通して自分自身を推敲、添削することだ。
そうすれば必ず心の姿が変わる。
なぜなら自分の心に入れる言葉、ボキャブラリーが変わるからだ。
推敲、添削は一義的には主語、述語の対応、論理の一貫性、用語の的確性あるいは字の間違いなどを正し、文章を整えることだが、そのレベルでとどまれば単なる作業である。
しかし、人格改造、ボキャブラリーの変革を視野に入れれば人間改革だ。
推敲、添削は彫刻や版画と違って削りすぎても回復することができる。
取り返しのつくことは思い切って刀をふるう。
果敢に冒険し、後悔するくらい自分を削る人が最後は伸びる。
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