北海道新聞後志版から。

さすが玉川さんの着眼点。
いいこと言うなあ。
(生意気💦)
せっかくだから、印象的な部分をメモしておこう。
■多喜二はコピーライター的な力を持った作家
■流通が集積していた当時の小樽を、資本主義の暴力性が洗練されず、むきだしの状態だとみてとる。まるで「脈」を打っているようだ、と。
■まとまりのなさが、むしろ面白い。それが文学を育んできたかはともかく、さまざまな見方や考え方が小樽にあった。今なら「多様性の尊重」
■「ここはこうである」とはしない。市立小樽文学館も多喜二の施設だ、サブカルだと決め付けられる寸前でかわしてきた。
■足をとどめた瞬間から排他的になっていく。通り過ぎるもの、流動性の尊重が「自由」に近く、最も大切にしたい
そして、小樽市民として覚えておきたいのは、多喜二のこの一節だ。
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人口十五六万の、街並が山腹に階段形に這い上がった港街で、広大な北海道の奥地から集まってきた物産が、そこから又内地に出て行く謂わば北海道の「心臓」みたいな都会である。
(中略)
時代的などんな波の一つも、この街全体が恰も一つの大きなリトマス試験紙ででもあるかのように、何等かの反応を示さずに素通りするということはない。
―小林多喜二「故里の顔」
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宮本記者の眼力と筆力の高さも伺える良記事と思う。
(生意気💦)
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さて、自分の中での小林多喜二といえば、次の一節だ。
冬が近くなると
ぼくはそのなつかしい国のことを
考えて深い感動に捉えられている
そこには運河と倉庫と税関と
桟橋がある
そこでは人は重っ苦しい空の下を
どれも背をまげて歩いている
ぼくは何処を歩いていようが
どの人をも知っている
赤い断層を処々に見せている
階段のように
山にせり上がっている街を
ぼくはどんなに愛しているか
分からない
東京に住んでいたときの気持ちが重なり、涙が出そうになる。
多喜二と同じ気持ちだ。
自分もどんなにか小樽を愛しているか分からない。