
札幌には土曜日に入り、日曜日は恵庭で・・・、美術館、公園めぐり、食事、カラオケ、ラーメンとなかなか充実した一日でした
現在、徳田八十吉というと三代をさすことになるようですが、二代にもなかなかの優品があります。三代徳田八十吉の作品はその1、その2と2作品をすでに投稿しています。おっとおまけがもう一作品、投稿していました。
深厚釉花入 二代徳田八十吉作
高さ285*胴径130*高台径73*口径82 共箱入


下は共箱の箱書きです。

箱裏には下のような落款と印章があります。
印章は「柳陶斎」の朱四方印です。
昭和25年 裏千家淡々斎宗匠より「柳陶斎」の屋号を受け、高村豊周に師事し「紫苑」の号を受けています。

作品のそこには「九谷八十吉」と書かれています。右は箱の印章の拡大です。

口縁に補修の跡があります。この傷ゆえに私でも購入できる金額になったのでしょう。

二代徳田八十吉:柳雨軒二代 徳田八十吉は、明治40年(1907年)、石川県能美郡辰口町宮竹の醤油商「雲戸家」の五男に生まれ、無形文化財資格者「初代徳田八十吉」の養子となる。
図案を浅野廉技師に、現代的な陶芸理論を安達正太郎先生に、日本画を玉井敬泉画伯に学ぶ。徳田魁星として活躍していたが、初代没後に昭和31年5月1日「二代八十吉」を襲名し、昭和50年6月8日に石川県指定無形文化財に認定される、九谷焼技術保存会の二代会長も務めた、
晩年子息「正彦」に八十吉を譲る。初代、二代、三代と続いている。

現在、徳田八十吉というと三代をさすことになるようですが、二代にもなかなかの優品があります。三代徳田八十吉の作品はその1、その2と2作品をすでに投稿しています。おっとおまけがもう一作品、投稿していました。
深厚釉花入 二代徳田八十吉作
高さ285*胴径130*高台径73*口径82 共箱入


下は共箱の箱書きです。

箱裏には下のような落款と印章があります。
印章は「柳陶斎」の朱四方印です。
昭和25年 裏千家淡々斎宗匠より「柳陶斎」の屋号を受け、高村豊周に師事し「紫苑」の号を受けています。

作品のそこには「九谷八十吉」と書かれています。右は箱の印章の拡大です。


口縁に補修の跡があります。この傷ゆえに私でも購入できる金額になったのでしょう。

二代徳田八十吉:柳雨軒二代 徳田八十吉は、明治40年(1907年)、石川県能美郡辰口町宮竹の醤油商「雲戸家」の五男に生まれ、無形文化財資格者「初代徳田八十吉」の養子となる。
図案を浅野廉技師に、現代的な陶芸理論を安達正太郎先生に、日本画を玉井敬泉画伯に学ぶ。徳田魁星として活躍していたが、初代没後に昭和31年5月1日「二代八十吉」を襲名し、昭和50年6月8日に石川県指定無形文化財に認定される、九谷焼技術保存会の二代会長も務めた、
晩年子息「正彦」に八十吉を譲る。初代、二代、三代と続いている。