*原稿を作成中に数日前に投稿を公開してしまった作品です。約1年分の原稿が蓄積しており、間違った先んじて投稿してしまうというミスをしてしまいました。ちょっと原稿が多くなり過ぎたようです・・。
本作品に押印されている印章は当方の他の所蔵作品「木蓮ニ小禽図」(鑑定箱書は鳥谷播山による。昭和13年の鑑定)に押印された印章と同一のものです。ながらくこの印章は確認できていませんでしたが、この作品で疑問が解決したかと思いましたが、如何せんそうではないようです。
真贋考 月下柳鷺之図 伝平福百穂筆 昭和2年(1927年)頃 その125
紙本水墨淡彩軸装 合箱
全体サイズ:横312*縦2137 画サイズ:横291*縦1313
落款部分には「於自由草堂(白田草堂)百穂写 押印」とあります。この落款の書体は、当方の推測では大正8年から昭和初期にみられるようです。
そもそも「白田草堂」の落款は下記の移転からのようです。おそらく「白田草堂」と記された期間は短く、その後は新居落成後に「三宿草堂」の落下に移行したようです。「三宿草堂」と記された落款や印章を使用した作品のほうが、「白田草堂」の落款の作品より圧倒的に多いですね。ただし「白田草堂」という印章を使用した作品もわりと多いです。
*1919(大正8)年8月、世田谷三宿に画室を建て、画塾白田舎を創設しています。
**1927(昭和2)年1月、世田谷三宿に新居落成し移転しています
本作品は真作なら新南画とされる平福百穂の独特の筆致で描かれた昭和初期の作と推定していますが、大正末期かもしれません。
作品自体はいい出来あがりです。
共箱や鑑定が本作品にはないので、真贋を当方で断定はできませんが、落款以外は違和感はありません。贋作と真作と考えるのは売買さえ絡まなけらば罪はありませんが、真作を贋作として処分するのは大いに罪なことですので、判断には慎重を要します。
月に柳に鷺・・・、あまりにも一般的な画題ですが、後年に鷺は平福百穂の絶筆の画題となります。
冒頭のように他の所蔵作品である「木蓮ニ小禽図」と同一印章(下写真中央)、さらには「老松図」に近似した賛(下記写真右)があります。
ただし問題となるのは「於自由草堂 百穂寫」について疑問があることです。
前述のように1919年(大正8年)に 東京世田谷三宿(みしゅく)に画室を設け、この際に用いた画塾名は「白田舎」であり、「三宿」の印なども別にあります。この印を押印し始めたの1927年(昭和2年)1月頃からか? または新居を落成し移転した頃からかもしれません。
疑問は「自由草堂」は本来「白田草堂」でなくてはならないはず・・。この点から贋作とは考えるのが妥当とも言えますが、作品の筆致などその他の点からはそうとは限らないように思われます。そもそも落款の書体まで似せた贋作でこのような間違いするだろうか? 本人がなんらかの理由で「白田」を「自由」としたか、間違えたか・・???
平福百穂の印章などを時系列に整理した資料は市販されていないようです。印章も多々あるようですが、すべてを網羅した資料も当方の手元にはありませんので、少しずつ真贋を判断しながら蒐集している状況です。
印章は明らかに「木蓮ニ小禽図」(上記写真中央)と同一印章で、しかもその作品は少なくても鳥谷幡山の鑑定付です。む~、贋作と判断して破棄するのは早計のようです。
解決したと思われた事柄がまた迷路に入った感がありますが、ま~、このことは後日に判明するでしょう。郷里の画家ながら、ともかく平福百穂の作品の真贋は難しい・・・。
*このような難しさから素人は、思っていても他人の所蔵品に「贋作と言ってはならない。」という掟のようなものがあるようです。知ったっかぶりでの指摘は大いに害があるということのようです。