
先週の土曜日は秋晴れの下、小学校の運動会・・。

本日の作品は贋作と判断していますが、私としてはサインさえなければ嫌いな作品ではありません。こちらも払った対価を回収すべく調べた事項を投稿します。

氏素性の解らぬ作品(贋作) ピエロ 伝東郷青児画 1926年(大正15年)作 パリ
油彩額装 右上サイン 共シール タトウ+黄袋
画サイズF6号:横412*縦530 全体サイズ:横558*縦677

東郷青児の有名な「ピエロ」という題の作品には下記の作品があります。

1920年代の東郷青児は初期の頃の製作時期で、1921年からフランスに留学し、リヨン美術学校に学びますが、1923年の関東大震災で仕送りが途絶え、生活費を稼ぐのに苦労しています。
1922年頃作 明代像

1922年作 巴里の女

1924年にはギャラリー・ラファイエット百貨店のニース支店とパリ本店で装飾美術のデザイナーとして働き、パリに居付いて若い芸術家たちの集まるモンパルナスで暮らすようになります。この絵にはセザンヌやエコール・ド・パリの画家たちの影響が感じられます。こちらをまっすぐ見つめた顔はやや憂いを含んでいます。この情緒性がピカソと相容れない点でした。
ここで少し東郷青児の画歴を調べてみました。
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東郷青児:(とうごう せいじ) 1897年(明治30年)4月28日~ 1978年(昭和53年)4月25日)。日本の洋画家。1921年(大正10年)から1928年(昭和3年)までフランスに留学。本名は東郷鉄春。
第15回二科展に留学中に描いた作品23点を出品、第1回昭和洋画奨励賞を受賞。
1929年(昭和4年) には 永野明代(はるよ)と既婚のまま、2月に中村修子と結婚披露宴を挙げ、3月に愛人の西崎盈子(みつこ)とメスで頸動脈を切りガス自殺をはかったが救出される。
その後に宇野千代と同棲を始めています。東郷青児と知り合い同棲し、この同時期に宇野千代は尾崎士朗と正式に離婚。宇野の『色ざんげ』は東郷をモデルにした主人公が自らの情死未遂事件を語るというもので、のちに東郷は「この作品は最後の一行まで僕の話したことだ」と語っています。

1933年(昭和8年)には宇野千代と別れ、妻の明代とも離婚。情死未遂事件の相手、みつ子と翌年結婚しています。
夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれた。

独特のデフォルメを施され、柔らかな曲線と色調で描かれた女性像などが有名だが、通俗的過ぎるとの見方もある。後期には版画や彫刻も手掛けた。雑貨のデザインや本の装釘も数多い。 なお、彼の画風は弟子にあたる安食一雄に受け継がれている。ダンディで社交的であったことから女性スキャンダルも少なくない。
*みつ子との間に長女、東郷たまみがいます。のちに水谷八重子、朝丘雪路とトリオを組んで歌手デビューし、その後画家になり、二科会会長も務めています。

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なんでも鑑定団には下記の作品が昭和10年頃の作と評されて出品されています。

本作品が東郷青児のパリ留学時代の作品か? しかしすでに1926年には抽象的な作風に変貌してる時期であるはずです。
画中の右上のサインはほぼ1926年の代表作「ピエロ」同じです。サインを真似たのでしょう。
キャンパス裏と新装額に移し貼られた共シールは下記のとおりです。

この時期にはピエロやラッパを吹く女などサーカスに題材を求めていたのは事実のようです。

東郷青児はピカソに大きな影響を受けており、ピカソの青の時代にサルタンバンク旅芸人のシリーズというものがありますが、ピエロと馬そしてラッパを吹く女性、男性の作品があり、旅芸人がテーマになっています。

大正期から昭和10年代までは完全にデフォルメした作品ばかりとは限らないようです。

東郷青児の柔らかな曲線と色調で描かれた女性像を巷に溢れているので、こういう作品のほうが好きですね。ただし「この時期に東郷青児にはこのような作品の存在があるかもしれない。」というコレクターに欲望を巻き起こさせるいやらしい演出です。

情緒性のある作品がピカソと相容れなかったとすれば、それは画家の人間性の問題のなのだろうと思うし、東郷青児はその点は捨て切れなったのでしょう。
さて本作品は抽象的な作風に変貌してる時期であろうことなどから、真作とはできないでしょう。破棄すべき作品ですが、これはこれで売却意外に使い道のある作品、たとえば不用心なところにも飾っておけるなど・・。
ただこのような作品を3作品まとめて入手したのですが猛反省です。「安物買いの銭失い」とはこのことでしょう。ある程度のレベルに達したら、蒐集の汚点となるものは除去しなくてはいけません。朱に交わると朱に染まる・・

本日の作品は贋作と判断していますが、私としてはサインさえなければ嫌いな作品ではありません。こちらも払った対価を回収すべく調べた事項を投稿します。

氏素性の解らぬ作品(贋作) ピエロ 伝東郷青児画 1926年(大正15年)作 パリ
油彩額装 右上サイン 共シール タトウ+黄袋
画サイズF6号:横412*縦530 全体サイズ:横558*縦677

東郷青児の有名な「ピエロ」という題の作品には下記の作品があります。

1920年代の東郷青児は初期の頃の製作時期で、1921年からフランスに留学し、リヨン美術学校に学びますが、1923年の関東大震災で仕送りが途絶え、生活費を稼ぐのに苦労しています。
1922年頃作 明代像

1922年作 巴里の女

1924年にはギャラリー・ラファイエット百貨店のニース支店とパリ本店で装飾美術のデザイナーとして働き、パリに居付いて若い芸術家たちの集まるモンパルナスで暮らすようになります。この絵にはセザンヌやエコール・ド・パリの画家たちの影響が感じられます。こちらをまっすぐ見つめた顔はやや憂いを含んでいます。この情緒性がピカソと相容れない点でした。
ここで少し東郷青児の画歴を調べてみました。
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東郷青児:(とうごう せいじ) 1897年(明治30年)4月28日~ 1978年(昭和53年)4月25日)。日本の洋画家。1921年(大正10年)から1928年(昭和3年)までフランスに留学。本名は東郷鉄春。
第15回二科展に留学中に描いた作品23点を出品、第1回昭和洋画奨励賞を受賞。
1929年(昭和4年) には 永野明代(はるよ)と既婚のまま、2月に中村修子と結婚披露宴を挙げ、3月に愛人の西崎盈子(みつこ)とメスで頸動脈を切りガス自殺をはかったが救出される。
その後に宇野千代と同棲を始めています。東郷青児と知り合い同棲し、この同時期に宇野千代は尾崎士朗と正式に離婚。宇野の『色ざんげ』は東郷をモデルにした主人公が自らの情死未遂事件を語るというもので、のちに東郷は「この作品は最後の一行まで僕の話したことだ」と語っています。

1933年(昭和8年)には宇野千代と別れ、妻の明代とも離婚。情死未遂事件の相手、みつ子と翌年結婚しています。
夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれた。

独特のデフォルメを施され、柔らかな曲線と色調で描かれた女性像などが有名だが、通俗的過ぎるとの見方もある。後期には版画や彫刻も手掛けた。雑貨のデザインや本の装釘も数多い。 なお、彼の画風は弟子にあたる安食一雄に受け継がれている。ダンディで社交的であったことから女性スキャンダルも少なくない。
*みつ子との間に長女、東郷たまみがいます。のちに水谷八重子、朝丘雪路とトリオを組んで歌手デビューし、その後画家になり、二科会会長も務めています。

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なんでも鑑定団には下記の作品が昭和10年頃の作と評されて出品されています。

本作品が東郷青児のパリ留学時代の作品か? しかしすでに1926年には抽象的な作風に変貌してる時期であるはずです。
画中の右上のサインはほぼ1926年の代表作「ピエロ」同じです。サインを真似たのでしょう。

キャンパス裏と新装額に移し貼られた共シールは下記のとおりです。


この時期にはピエロやラッパを吹く女などサーカスに題材を求めていたのは事実のようです。

東郷青児はピカソに大きな影響を受けており、ピカソの青の時代にサルタンバンク旅芸人のシリーズというものがありますが、ピエロと馬そしてラッパを吹く女性、男性の作品があり、旅芸人がテーマになっています。

大正期から昭和10年代までは完全にデフォルメした作品ばかりとは限らないようです。

東郷青児の柔らかな曲線と色調で描かれた女性像を巷に溢れているので、こういう作品のほうが好きですね。ただし「この時期に東郷青児にはこのような作品の存在があるかもしれない。」というコレクターに欲望を巻き起こさせるいやらしい演出です。

情緒性のある作品がピカソと相容れなかったとすれば、それは画家の人間性の問題のなのだろうと思うし、東郷青児はその点は捨て切れなったのでしょう。
さて本作品は抽象的な作風に変貌してる時期であろうことなどから、真作とはできないでしょう。破棄すべき作品ですが、これはこれで売却意外に使い道のある作品、たとえば不用心なところにも飾っておけるなど・・。
ただこのような作品を3作品まとめて入手したのですが猛反省です。「安物買いの銭失い」とはこのことでしょう。ある程度のレベルに達したら、蒐集の汚点となるものは除去しなくてはいけません。朱に交わると朱に染まる・・
