
家内が最近買ってきた本のひとつに「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」という題の本がありました。面白そうなので机の脇に置いて興味のある章からときおり暇を見て読んでいますが、その中で面白かった項目に「エリートを犯罪から守るための「美意識」」という項目あります。
エリートは犯罪からほど遠いと考えがちですが、達成動機が強いエリートほどたとえば「粉飾決算」などの犯罪を犯すことが多いのだそうです。組織の大きな会社には「その会社の常識は他の会社(世間)では非常識」という状況が生まれやすいということも説明されています。これには思い当たることが多々ありますね。最近の話題のアメフトの問題もこのことに相当するのでしょう。
エリートほど労働力の流動性を上げていろんな立場でものごとを考える状況を経験して、「狭い世間の掟」の是非も見抜けるだけの異文化の経験が必要があるということ、そして美意識、自分のスタイル、エスプリを持つことで「自分を絶対化できる知性」を持つことだろうと本では述べています。小生が述べている美の品格というものがこれに相当するかもしれません。自分の行動に品格を持つために「美意識」を鍛えることが効果のひとつとうことには大いに共感します。立場が下の人間に嫌がることを強要することが罷り通る現代、エリートと言われる人間ほど襟を正さなくてはなりませんね。
さて本日紹介する作品は以前に紹介した「揃いの器たち」の「その3」となります。「10人揃の12代柿右衛門」、「30人揃いの平戸嘉祥の染付の器」に続く代々、小生の家にある揃いの陶磁器や器の紹介の続編です。
ちなみに「12代の柿右衛門」は下記の作品です。

そして「30人揃いの平戸嘉祥の染付」の器は下記の作品となります。

揃いではありませんが、「平戸嘉祥の染付」揃いの購入前の見本品は下記の作品です。これらの漆器をこのように並べてみるために漆器の「銀吹」の膳を修繕したといっても過言でもありません。

そういえば「12代柿右衛門」の揃いの見本品もあったように思います。揃いの器を売り込む際に見本品を見せるために一式の器を届けていたようです。
本日は冒頭の写真の作品群の紹介です。まずは酒器からです。派手さはありませんが品がある酒器だと思います。

次は漆器の器です。

どこにでもあるような朱塗の漆器ですが、木部の厚み、漆の塗厚が厚く重厚感があります。どこにでもありそうな漆器ですが、木部の厚みのある、漆の塗厚のある丁寧な作りの漆器は意外に少ないものです。
古き漆器は大事にしておいたほうがいいでしょう。日本製の漆を用いた漆器はどんどんなくなっていますから・・。
漆器を購入する際は、日本製の漆を使った木地や漆の厚みのある風格の良い作品に絞ったほうがいいのです。ただこればかりは実際に手に持ってみないと解りませんので写真ではうまく説明できません。

本作品は「胴紐文蓋付朱汁椀」とでも題するのでしょうか? 他の作品は30人揃いですが、この作品は20人揃しかありません。

次は蓋付の小さめの磁器の碗です。

こちらはやはり平戸の作品かもしれませんが、作者の詳細は不詳です。

こちらは「のし形 小皿」です。

12代の柿右衛門の工房作品?

こちらは「蓋付碗」です。

同じくこちらも12代の柿右衛門の工房作品? この手の作品は以前に骨董市で一客千円くらい?で売っていましたが、今はどうでしょうか? 大きめの碗で30人揃いで箱付きであることが貴重かもしれません。

こちらは色鮮やかな「台付碗」。

台?を当方で箱から取り出さずに撮影し忘れたかもしれません。

「12代の柿右衛門」の10客揃い(「揃いの器たち その1」 本日のブログにおける冒頭での2枚目の写真)の箱書きは下記のとおりです。

こちらはもしかした本人の作かもしれませんね。こちらの作品は祖父母が手配していますのでグレードが高い作品のようです。酒井田柿右衛門の作品は本人作と工房作品があって、値段が桁が違うと聞いたことがあります。揃いの器ですからどちらも工房作品かもしれません。この頃から柿右衛門の作品は商売上手に変貌していったのかもしれません。
揃いの器は代々続く古い庄屋の家の蔵に残されている作品が多く、見せて頂く機会も数多くあるのですが、大概は所蔵者の先代らが別家や近所に貸し出している器が多く、また保管が悪くシミやカビで侵されたり、ネズミなどの被害あっている作品がほとんどです。揃いできちんと遺っている作品は非常に少ないというより皆無に近いです。さらに揃いで遺っていてもいくつかはすでに手放されているのが現状です。
小生は少なくても現在、手元にある作品は残していく所存です。代々残存している作品、友人や知人から譲り受けた作品などまだ未整理の器がまだ半数以上ありますので、いつまでかかるか、果たして最後まで出来るかが不安ですが・・・ともかく体力と根気の勝負です
エリートは犯罪からほど遠いと考えがちですが、達成動機が強いエリートほどたとえば「粉飾決算」などの犯罪を犯すことが多いのだそうです。組織の大きな会社には「その会社の常識は他の会社(世間)では非常識」という状況が生まれやすいということも説明されています。これには思い当たることが多々ありますね。最近の話題のアメフトの問題もこのことに相当するのでしょう。
エリートほど労働力の流動性を上げていろんな立場でものごとを考える状況を経験して、「狭い世間の掟」の是非も見抜けるだけの異文化の経験が必要があるということ、そして美意識、自分のスタイル、エスプリを持つことで「自分を絶対化できる知性」を持つことだろうと本では述べています。小生が述べている美の品格というものがこれに相当するかもしれません。自分の行動に品格を持つために「美意識」を鍛えることが効果のひとつとうことには大いに共感します。立場が下の人間に嫌がることを強要することが罷り通る現代、エリートと言われる人間ほど襟を正さなくてはなりませんね。
さて本日紹介する作品は以前に紹介した「揃いの器たち」の「その3」となります。「10人揃の12代柿右衛門」、「30人揃いの平戸嘉祥の染付の器」に続く代々、小生の家にある揃いの陶磁器や器の紹介の続編です。
ちなみに「12代の柿右衛門」は下記の作品です。

そして「30人揃いの平戸嘉祥の染付」の器は下記の作品となります。

揃いではありませんが、「平戸嘉祥の染付」揃いの購入前の見本品は下記の作品です。これらの漆器をこのように並べてみるために漆器の「銀吹」の膳を修繕したといっても過言でもありません。

そういえば「12代柿右衛門」の揃いの見本品もあったように思います。揃いの器を売り込む際に見本品を見せるために一式の器を届けていたようです。
本日は冒頭の写真の作品群の紹介です。まずは酒器からです。派手さはありませんが品がある酒器だと思います。

次は漆器の器です。

どこにでもあるような朱塗の漆器ですが、木部の厚み、漆の塗厚が厚く重厚感があります。どこにでもありそうな漆器ですが、木部の厚みのある、漆の塗厚のある丁寧な作りの漆器は意外に少ないものです。
古き漆器は大事にしておいたほうがいいでしょう。日本製の漆を用いた漆器はどんどんなくなっていますから・・。
漆器を購入する際は、日本製の漆を使った木地や漆の厚みのある風格の良い作品に絞ったほうがいいのです。ただこればかりは実際に手に持ってみないと解りませんので写真ではうまく説明できません。

本作品は「胴紐文蓋付朱汁椀」とでも題するのでしょうか? 他の作品は30人揃いですが、この作品は20人揃しかありません。

次は蓋付の小さめの磁器の碗です。

こちらはやはり平戸の作品かもしれませんが、作者の詳細は不詳です。


こちらは「のし形 小皿」です。

12代の柿右衛門の工房作品?


こちらは「蓋付碗」です。

同じくこちらも12代の柿右衛門の工房作品? この手の作品は以前に骨董市で一客千円くらい?で売っていましたが、今はどうでしょうか? 大きめの碗で30人揃いで箱付きであることが貴重かもしれません。


こちらは色鮮やかな「台付碗」。

台?を当方で箱から取り出さずに撮影し忘れたかもしれません。


「12代の柿右衛門」の10客揃い(「揃いの器たち その1」 本日のブログにおける冒頭での2枚目の写真)の箱書きは下記のとおりです。


こちらはもしかした本人の作かもしれませんね。こちらの作品は祖父母が手配していますのでグレードが高い作品のようです。酒井田柿右衛門の作品は本人作と工房作品があって、値段が桁が違うと聞いたことがあります。揃いの器ですからどちらも工房作品かもしれません。この頃から柿右衛門の作品は商売上手に変貌していったのかもしれません。
揃いの器は代々続く古い庄屋の家の蔵に残されている作品が多く、見せて頂く機会も数多くあるのですが、大概は所蔵者の先代らが別家や近所に貸し出している器が多く、また保管が悪くシミやカビで侵されたり、ネズミなどの被害あっている作品がほとんどです。揃いできちんと遺っている作品は非常に少ないというより皆無に近いです。さらに揃いで遺っていてもいくつかはすでに手放されているのが現状です。
小生は少なくても現在、手元にある作品は残していく所存です。代々残存している作品、友人や知人から譲り受けた作品などまだ未整理の器がまだ半数以上ありますので、いつまでかかるか、果たして最後まで出来るかが不安ですが・・・ともかく体力と根気の勝負です
