
家内が小生に読んでみたらと購入してきた文庫本、「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」を読んでみての所感を下記に記します。
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江戸時代の武芸家である松浦(まつら)静山の剣術書「剣談」に「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という言葉を残しています。野村監督がよく使っていた言葉だそうですが、本来の出典は前述のようです。
負けた時や失敗した時には論理的な過ちが必ずあるが、勝った時には論理的な説明が難しいという意味をもっているようです。論理的な過ちは失敗に直結するという教えのほかに、重要なのは成功する時には論理を超えた「感性」と「直観」があるという意味を持っています。むろん論理に基づいた「感性」であり、「直観」でなくてはなりません。
松浦静山は武芸家として大成した人物ですが、大名としても政治手腕を振るい、財政難に陥っていた藩を「V字回復」させています。いろんな分野で成功も失敗もしている人物の言葉としてとらえることができます。
論理に偏りがちな現代ですが、経営に大切なのは論理と並行して「感性」と「直観」を磨くことが不可欠ということのようです。そのためには強固な美学が大切ということのようです。将来の世界を、日本を、社会を、会社を、自分をどういうものにしていきたいのかという確固たる美学を経営者は持つことが今後は必要であるということのようです。将来の世界を、日本を、社会を、会社を、自分をどういうものにしていきたいのかに答えられる経営者は少ないのかもしれません。「美学」・・・魅力的な言葉です。
*その美学に欠如しているからアメフトの問題のようなことも起きるし、品質問題、粉飾決算という経営の根幹に関わる諸問題が発生しているとのこと。
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本日は独特の美意識、美学というか美的感覚をもった人物「蓑虫山人」の作品を紹介します。
蓑虫山人は1877年(明治10年 42歳)~1896年(明治29年 61歳)まで東北を遍歴しています。入手経緯や風景、他の作品から推察すると青森県黒石市周辺にある黒森山と中野もみじ山を描いた作品ではないか推定しています。
中野山浅絳山水図 その3 蓑虫山人筆 その15
紙本淡彩軸装 合箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横410*縦1300

蓑虫山人は、青森県をはじめとする北奥羽各地へ長期にわたって逗留する傍ら、名勝や文化財あるいは寄留先の様子などを詳細に記録しています。近代の北奥羽地方の雰囲気を如実に伝えるそれらの作品群は、民俗学研究の一級資料として評価されており、その関連性から蓑虫山人の絵画は絵画的な価値よりも民俗学的な資料として評価されている面があります。

しかし、蓑虫山人の絵画は絵画としても認めるべき点が多々あります。放浪に際して即興的に描く作品は南画としても観ても魅力あふれる作品です。

みずみずしい筆遣いは人を愉しくさせてくれるものがあります。

デフォルメされたような山々や木々の描き方は独特の趣があり、まるで浦上玉堂の作品のようでもあります。前にも本ブログで紹介したようにNHKの日曜美術館で絶賛されており、NHKの大河ドラマの「西郷どん」にて西郷隆盛が入水自殺を図っていましたが、西郷隆盛を救出したのは蓑虫山人という逸話もある人物ですので、近いうちにまた再評価される画家でしょう。

出所が同じところから「まくり」の状態での作品が数多く出回っている点から、本作品は屏風に描かれた作品ではかなかったのではないかと推察しています。
「1884年 明治17年 49歳 枝川(現田舎館村)の工藤家に滞在。秋、大鰐の加賀助旅館滞留、中野(現黒石市)中野神社に遊ぶ。」という記録がありますので、その頃の作品と当方では推定しています。

現在では数万円程度で取引されていますが、一時期は人気が高かったようで、郷里にも作品を探しに東京から骨董商が買い付けに来たとも聞いています。本作品の入手の際も7万円以上の費用がかかりました。これは蓑虫山人としては現段階では高いほうのお値段になります。

今では「忘れ去られた画家」と言っても過言ではありませんが、小生が長く蒐集を対象としている画家の一人です。

蓑虫山人には贋作も多々あるので、印章の印影はきちんと確認しておく必要があります。白文朱方印の「蓑虫」については当方では印影を確認していますが、本作品の左下の遊印「松聲?」の朱文白楕円印の由縁については詳細は不明ですし、いままで見たことのない印影です。

本ブログのような当方の所蔵する拙い作品ばかりでは蓑虫山人の良さが伝わらないようですので、他の参考作品をご覧ください。

画像は不鮮明ですが、このような本格的な山水画の作品もあります。

遺跡の調査、発掘にも積極的に加わっており、土器類の記録画もたくさんあります。

実にユーモラスでユニークな作品を描く画家です。

さ~、皆さんも蓑虫山人を調べてみませんか?
放浪の旅では常に縄文の遮光土器を持ち歩いていたという記録があるそうですが、縄文の遮光土器を持ち歩く経営者は会ったことがありませんね。
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江戸時代の武芸家である松浦(まつら)静山の剣術書「剣談」に「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という言葉を残しています。野村監督がよく使っていた言葉だそうですが、本来の出典は前述のようです。
負けた時や失敗した時には論理的な過ちが必ずあるが、勝った時には論理的な説明が難しいという意味をもっているようです。論理的な過ちは失敗に直結するという教えのほかに、重要なのは成功する時には論理を超えた「感性」と「直観」があるという意味を持っています。むろん論理に基づいた「感性」であり、「直観」でなくてはなりません。
松浦静山は武芸家として大成した人物ですが、大名としても政治手腕を振るい、財政難に陥っていた藩を「V字回復」させています。いろんな分野で成功も失敗もしている人物の言葉としてとらえることができます。
論理に偏りがちな現代ですが、経営に大切なのは論理と並行して「感性」と「直観」を磨くことが不可欠ということのようです。そのためには強固な美学が大切ということのようです。将来の世界を、日本を、社会を、会社を、自分をどういうものにしていきたいのかという確固たる美学を経営者は持つことが今後は必要であるということのようです。将来の世界を、日本を、社会を、会社を、自分をどういうものにしていきたいのかに答えられる経営者は少ないのかもしれません。「美学」・・・魅力的な言葉です。
*その美学に欠如しているからアメフトの問題のようなことも起きるし、品質問題、粉飾決算という経営の根幹に関わる諸問題が発生しているとのこと。
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本日は独特の美意識、美学というか美的感覚をもった人物「蓑虫山人」の作品を紹介します。
蓑虫山人は1877年(明治10年 42歳)~1896年(明治29年 61歳)まで東北を遍歴しています。入手経緯や風景、他の作品から推察すると青森県黒石市周辺にある黒森山と中野もみじ山を描いた作品ではないか推定しています。
中野山浅絳山水図 その3 蓑虫山人筆 その15
紙本淡彩軸装 合箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横410*縦1300

蓑虫山人は、青森県をはじめとする北奥羽各地へ長期にわたって逗留する傍ら、名勝や文化財あるいは寄留先の様子などを詳細に記録しています。近代の北奥羽地方の雰囲気を如実に伝えるそれらの作品群は、民俗学研究の一級資料として評価されており、その関連性から蓑虫山人の絵画は絵画的な価値よりも民俗学的な資料として評価されている面があります。

しかし、蓑虫山人の絵画は絵画としても認めるべき点が多々あります。放浪に際して即興的に描く作品は南画としても観ても魅力あふれる作品です。

みずみずしい筆遣いは人を愉しくさせてくれるものがあります。

デフォルメされたような山々や木々の描き方は独特の趣があり、まるで浦上玉堂の作品のようでもあります。前にも本ブログで紹介したようにNHKの日曜美術館で絶賛されており、NHKの大河ドラマの「西郷どん」にて西郷隆盛が入水自殺を図っていましたが、西郷隆盛を救出したのは蓑虫山人という逸話もある人物ですので、近いうちにまた再評価される画家でしょう。

出所が同じところから「まくり」の状態での作品が数多く出回っている点から、本作品は屏風に描かれた作品ではかなかったのではないかと推察しています。
「1884年 明治17年 49歳 枝川(現田舎館村)の工藤家に滞在。秋、大鰐の加賀助旅館滞留、中野(現黒石市)中野神社に遊ぶ。」という記録がありますので、その頃の作品と当方では推定しています。

現在では数万円程度で取引されていますが、一時期は人気が高かったようで、郷里にも作品を探しに東京から骨董商が買い付けに来たとも聞いています。本作品の入手の際も7万円以上の費用がかかりました。これは蓑虫山人としては現段階では高いほうのお値段になります。

今では「忘れ去られた画家」と言っても過言ではありませんが、小生が長く蒐集を対象としている画家の一人です。

蓑虫山人には贋作も多々あるので、印章の印影はきちんと確認しておく必要があります。白文朱方印の「蓑虫」については当方では印影を確認していますが、本作品の左下の遊印「松聲?」の朱文白楕円印の由縁については詳細は不明ですし、いままで見たことのない印影です。


本ブログのような当方の所蔵する拙い作品ばかりでは蓑虫山人の良さが伝わらないようですので、他の参考作品をご覧ください。

画像は不鮮明ですが、このような本格的な山水画の作品もあります。

遺跡の調査、発掘にも積極的に加わっており、土器類の記録画もたくさんあります。

実にユーモラスでユニークな作品を描く画家です。

さ~、皆さんも蓑虫山人を調べてみませんか?
放浪の旅では常に縄文の遮光土器を持ち歩いていたという記録があるそうですが、縄文の遮光土器を持ち歩く経営者は会ったことがありませんね。
