仙台の在住している義妹から送られてきた仙台のお酒? 当方は家ではほとんど飲酒しないのですが、たまにはと家内と寝酒に飲みました。あっというまに家内共々泥酔・・。
さて明時代の赤絵を中心とした、手頃なお値段の作品を当方ではときおり投稿していますが、その時代に日本で人気があったのは官窯では萬暦赤絵です。官窯の萬暦赤絵はとても数が少なく高価であり入手が難しく、その後の官窯が廃れた後の明末の民窯(景徳鎮など)で焼成された作品群が日本の茶人にもてはやされ、日本に輸入された数も多く、また入手しやすく今でも人気がありますので、当方の蒐集対象は主にこの民窯の作品となっています。
その中には漳州窯で焼成された赤絵、景徳鎮窯で焼成された古染付、天啓赤絵、そして南京赤絵があります。その作品は当時の中国からの主要な輸出品で、西欧諸国に輸出した際の作品は壷や花生けや蓋ものなど大作が多いですが、日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿、中皿など食器が多いようです。デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっています。
そのせいか一辺が20センチを超えるサイズの作品は少なく、日本で主に流通したのは使いやすい15センチ以下の作品が主流のようです。なおこの時代の中国の赤絵は中国本土にはほとんど作品が遺らず、日本に多く遺されているのも特徴です。
本日はその作品群に属すると推察される南京赤絵、もしく漠然と五彩に分類される作品の紹介です。わずかに20センチを超える作品となります。
気になる作品 南京赤絵 花鳥文輪花八角皿
欠損及び割れ補修跡有 誂箱
幅204*奥行204*高台径*高さ35
人気ゆえに古染付、天啓赤絵、南京赤絵などの景徳鎮の作品には模倣作品(いわゆる贋作)が数多く存在するようです。日本の窯でも模倣作品が数多く生産され、その判別にはある程度の知識と経験が必要なため、当方も試行錯誤を繰り返しての入手となっています。
見返して復習するために手元近くにあった作品を3点並べてみました。
当方の所蔵作品からの3点で、中央が本作品 左右が天啓赤絵と思われる作品です。
左:五彩楼閣図八寸輪花盤
天啓赤絵 五彩楼閣図八寸輪花盤 明末
(明末期時代、AD1621~1661) 高台内「天啓年製」 合箱
全体サイズ:口径235*高台径140*高さ46
右:五彩草花紋八寸輪花盤
天啓赤絵 五彩草花紋八寸輪花盤 明末
(明末期時代、AD1621~1661) 高台内「天啓年製」 合箱
全体サイズ:口径240*高台径150*高さ447
天啓赤絵と思われる2作品は、ともに高台内は「天啓年製」という書き銘があり、鉋跡があります。
中国赤絵の変遷を復習してみましょう。
中国赤絵は12世紀の末に中国北部河北省で作られた宋赤絵に始まります。この作品群は当方のブログでも何点か紹介しています。
この赤絵の技法をさらに発展させ次々と名品を生み出したのが明時代の景徳鎮です。まずは明時代の景徳鎮での青花の淡い青緑を主色とする豆彩に変遷していきます。
明時代には官窯が最も栄えた嘉靖の赤絵ですが、その時代を反映し色彩が増えしかも濃厚でまさに目を奪われんほどの豪華さがある作品群です。
それに次ぐ万暦赤絵も官能美に溢れていますが、やや明時代末期の退廃がみてとれる作品群です。日本の茶人や愛陶家がこよなく愛したのはこの万暦赤絵でした。
17世紀に入ると各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退しその結果景徳鎮の官窯は消滅しました。しかし民窯はしたたかに生き残り、むしろ自由闊達な赤絵を作り始めました。これらは明末赤絵と称され、その中に天啓赤絵、南京赤絵が生まれました。
天啓赤絵:古染付と時同じくして天啓年間(1621~27)にはじまり、景徳鎮の民窯にて焼かれた赤絵です。萬暦まで続いた官窯様式から脱却した古染付に朱・緑・黄にて上絵付を施しています。その特徴は古染付とほぼ同様ですが、製作年数が短く古染付と比してその生産量はかなり少ない作品でとても貴重です。
上記で紹介した当方の2作品は天啓赤絵と思われますが、確証はありません。
南京赤絵:南京とは中国を意味する言葉として使われており、南京赤絵とは中国・明末の赤絵のことを総称しますが、狭義では天啓赤絵・色絵祥瑞らと区別して使われることが多いようです。
その意味で南京赤絵は、明末に景徳鎮で作られた五彩のことを指し、施文には染付を用いずに主として赤・緑・黄を使い、染付は銘など一部に限られています。
本日紹介する作品には銘はありません。高台は砂付き高台で鉋跡があります。
南京赤絵の生地の多くは従来の青味が強い白ではなく乳白色を帯びており、これは色彩を一層際立たせるためでした。 絵付けには基本的に染付けは用いず、色釉だけで彩色されています。その色数も初期は赤、緑、黄と少なく作風はきわめて豪放でした。しかしその後、紺青、紫、黒、褐色などの色が増えるとこれらの色数を組み合わせ繊細華麗な作風へ変化しています。
なお本作品の色絵部分には剥離が見られます。
絵柄は文人画に基づいた花鳥図や山水図が多くこれも従来の赤絵とは全く趣が異なります。通常山水図には五言または七言絶句の賛があり、花鳥図や草花図には賛に代わって蝶や蜂などが書き添えられています。華麗な意匠のものが多く、口縁には鉄砂で口紅が施されるもの、金彩を加えた豪華なものがあります。
本日紹介する作品は、上記の参考作品の部分写真で比べると描き方には共通点が多くありますが、口縁に鉄釉はありません。
1644年に清朝が興り、民窯がその管理下に置かれると南京赤絵は消滅、数十年で姿を消しています。
なんでも鑑定団にも南京赤絵が出品された例があります。
参考作品
南京赤絵の角皿
なんでも鑑定団 2011年03月20日
評価金額:500万円
評:今から350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた南京赤絵。 当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多い。 ところが日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿中皿など食器が多い。 デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっているという。 縁は鉄釉いわゆる口紅というもので隈取してある。これは南京赤絵の手法のひとつ。寸法は1辺20センチでこれが1辺12センチの同じような皿だとわずかに30万円になる。
本作品と形は違えどその描き方は非常に豪快で面白く、共通点は多いと思います。
しかし500万円は一桁以上違うでしょうと思いますが・・・。
何はともあれ明末の民窯で焼成された漳州窯、景徳鎮の作品は豪放磊落で日本人の好みに合致した作品群ですね。
現在は日本にしか残存していないというのも興味深い現象です。完結さを求める中国、欧州と比べると美的感性が日本独特なものと思われます。この作品を愛しくなるのもその美的感性にあるように思います。
さて明時代の赤絵を中心とした、手頃なお値段の作品を当方ではときおり投稿していますが、その時代に日本で人気があったのは官窯では萬暦赤絵です。官窯の萬暦赤絵はとても数が少なく高価であり入手が難しく、その後の官窯が廃れた後の明末の民窯(景徳鎮など)で焼成された作品群が日本の茶人にもてはやされ、日本に輸入された数も多く、また入手しやすく今でも人気がありますので、当方の蒐集対象は主にこの民窯の作品となっています。
その中には漳州窯で焼成された赤絵、景徳鎮窯で焼成された古染付、天啓赤絵、そして南京赤絵があります。その作品は当時の中国からの主要な輸出品で、西欧諸国に輸出した際の作品は壷や花生けや蓋ものなど大作が多いですが、日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿、中皿など食器が多いようです。デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっています。
そのせいか一辺が20センチを超えるサイズの作品は少なく、日本で主に流通したのは使いやすい15センチ以下の作品が主流のようです。なおこの時代の中国の赤絵は中国本土にはほとんど作品が遺らず、日本に多く遺されているのも特徴です。
本日はその作品群に属すると推察される南京赤絵、もしく漠然と五彩に分類される作品の紹介です。わずかに20センチを超える作品となります。
気になる作品 南京赤絵 花鳥文輪花八角皿
欠損及び割れ補修跡有 誂箱
幅204*奥行204*高台径*高さ35
人気ゆえに古染付、天啓赤絵、南京赤絵などの景徳鎮の作品には模倣作品(いわゆる贋作)が数多く存在するようです。日本の窯でも模倣作品が数多く生産され、その判別にはある程度の知識と経験が必要なため、当方も試行錯誤を繰り返しての入手となっています。
見返して復習するために手元近くにあった作品を3点並べてみました。
当方の所蔵作品からの3点で、中央が本作品 左右が天啓赤絵と思われる作品です。
左:五彩楼閣図八寸輪花盤
天啓赤絵 五彩楼閣図八寸輪花盤 明末
(明末期時代、AD1621~1661) 高台内「天啓年製」 合箱
全体サイズ:口径235*高台径140*高さ46
右:五彩草花紋八寸輪花盤
天啓赤絵 五彩草花紋八寸輪花盤 明末
(明末期時代、AD1621~1661) 高台内「天啓年製」 合箱
全体サイズ:口径240*高台径150*高さ447
天啓赤絵と思われる2作品は、ともに高台内は「天啓年製」という書き銘があり、鉋跡があります。
中国赤絵の変遷を復習してみましょう。
中国赤絵は12世紀の末に中国北部河北省で作られた宋赤絵に始まります。この作品群は当方のブログでも何点か紹介しています。
この赤絵の技法をさらに発展させ次々と名品を生み出したのが明時代の景徳鎮です。まずは明時代の景徳鎮での青花の淡い青緑を主色とする豆彩に変遷していきます。
明時代には官窯が最も栄えた嘉靖の赤絵ですが、その時代を反映し色彩が増えしかも濃厚でまさに目を奪われんほどの豪華さがある作品群です。
それに次ぐ万暦赤絵も官能美に溢れていますが、やや明時代末期の退廃がみてとれる作品群です。日本の茶人や愛陶家がこよなく愛したのはこの万暦赤絵でした。
17世紀に入ると各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退しその結果景徳鎮の官窯は消滅しました。しかし民窯はしたたかに生き残り、むしろ自由闊達な赤絵を作り始めました。これらは明末赤絵と称され、その中に天啓赤絵、南京赤絵が生まれました。
天啓赤絵:古染付と時同じくして天啓年間(1621~27)にはじまり、景徳鎮の民窯にて焼かれた赤絵です。萬暦まで続いた官窯様式から脱却した古染付に朱・緑・黄にて上絵付を施しています。その特徴は古染付とほぼ同様ですが、製作年数が短く古染付と比してその生産量はかなり少ない作品でとても貴重です。
上記で紹介した当方の2作品は天啓赤絵と思われますが、確証はありません。
南京赤絵:南京とは中国を意味する言葉として使われており、南京赤絵とは中国・明末の赤絵のことを総称しますが、狭義では天啓赤絵・色絵祥瑞らと区別して使われることが多いようです。
その意味で南京赤絵は、明末に景徳鎮で作られた五彩のことを指し、施文には染付を用いずに主として赤・緑・黄を使い、染付は銘など一部に限られています。
本日紹介する作品には銘はありません。高台は砂付き高台で鉋跡があります。
南京赤絵の生地の多くは従来の青味が強い白ではなく乳白色を帯びており、これは色彩を一層際立たせるためでした。 絵付けには基本的に染付けは用いず、色釉だけで彩色されています。その色数も初期は赤、緑、黄と少なく作風はきわめて豪放でした。しかしその後、紺青、紫、黒、褐色などの色が増えるとこれらの色数を組み合わせ繊細華麗な作風へ変化しています。
なお本作品の色絵部分には剥離が見られます。
絵柄は文人画に基づいた花鳥図や山水図が多くこれも従来の赤絵とは全く趣が異なります。通常山水図には五言または七言絶句の賛があり、花鳥図や草花図には賛に代わって蝶や蜂などが書き添えられています。華麗な意匠のものが多く、口縁には鉄砂で口紅が施されるもの、金彩を加えた豪華なものがあります。
本日紹介する作品は、上記の参考作品の部分写真で比べると描き方には共通点が多くありますが、口縁に鉄釉はありません。
1644年に清朝が興り、民窯がその管理下に置かれると南京赤絵は消滅、数十年で姿を消しています。
なんでも鑑定団にも南京赤絵が出品された例があります。
参考作品
南京赤絵の角皿
なんでも鑑定団 2011年03月20日
評価金額:500万円
評:今から350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた南京赤絵。 当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多い。 ところが日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿中皿など食器が多い。 デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっているという。 縁は鉄釉いわゆる口紅というもので隈取してある。これは南京赤絵の手法のひとつ。寸法は1辺20センチでこれが1辺12センチの同じような皿だとわずかに30万円になる。
本作品と形は違えどその描き方は非常に豪快で面白く、共通点は多いと思います。
しかし500万円は一桁以上違うでしょうと思いますが・・・。
何はともあれ明末の民窯で焼成された漳州窯、景徳鎮の作品は豪放磊落で日本人の好みに合致した作品群ですね。
現在は日本にしか残存していないというのも興味深い現象です。完結さを求める中国、欧州と比べると美的感性が日本独特なものと思われます。この作品を愛しくなるのもその美的感性にあるように思います。