屋根裏から引っ張りだしてきた作品・・、天啓赤絵?
さて本日の作品はうっかり処分する作品に屋根裏にて区分されており、保存すべき作品だとはすっかり失念し、危うく処分するところでした。本作品は軸装にするつもりを額装に変更した作品で当方では釧雲泉筆の真作と判断していた作品です。
本日紹介する(再紹介)作品は、流通している作品の中には真作が極端に少ない釧雲泉の作品であり、また釧雲泉では山水図でない作品は非常に珍しいようです。
蘭図 釧雲泉筆 文化2年(1805年)頃
紙本水墨 額装
画サイズ:縦280*横480
印章は白文朱方印「釧就」、「仲孚」が押印され、落款は参考落款の作品の中に似通った書体があり、そこから推測すると越後に赴く前の江戸在住時(1802~1806頃)前後と思われます。
落款の書体が釧雲泉の作品の真贋判断の重要なポイントですが、迷いなくいい落款の作品です。印は同一の印を江戸滞在時以前の岡山時代にも使っています。
釧雲泉の蘭石図や、竹の図や梅の図は幾つか作品があるようですが、前述のように山水図に比べたら極端に数が少ないですね。
図における構図、墨に水を含ませて勢い良く描いた筆遣いなど非凡なものがあり、素晴らしい作品だと思います。
蘭や竹は東洋画の画題の一で、「蘭は世に埋もれた高節の士に、竹は冬の風雪にも緑を失わないところから君子に」たとえられ、文人画家が好んで描いています。
*2012年9月にまくりの状態の作品を額装にした作品です。
額装にしたのは普段から身近に置いておきたい作品だからです。そしてそのままなぜかしら他の贋作と判断した作品とともに屋根裏に放置されました。
釧雲泉の作品は多くの作品を処分しましたが、逆にほぼ贋作や模作と判断していても遺している作品もあります。その作品が下記の作品です。
寛政壬子 天地一如図 釧雲泉筆 寛政4年(1792年)夏 贋作
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 「清風老人」鑑定箱
全体サイズ:縦2215*横605 画サイズ:縦1950*横405
この作品は釧雲泉の作品を元に模写された可能性があります。いわゆる模作ですが、むろん真作と扱うと贋作となります。釧雲泉の構図や線よりは随分大人しい感じがしますが、この点は感性で判断するしかないですね。
本作品の落款は真作の同年の作品に近似していますが、雲泉の落款の書き方を真似しようとした感があり、雲泉の字ではないとと推定されるようです。
印章は、本ブログの記事で考察していますが、非常に良く出来ています。この印章は他に上下の湾曲が丸めなのと平た目なのとが見受けられますが、雲泉の筆と思われる真作の作品でも複数あるように思われます。
ただ本作品の箱書きをした当時はた、その箱書から真作と判断されていたものと思われます。
箱書はしっかりしています。廃棄する作品としたちょっと勿体ない作品と判断しました。よくある箱の中身をすり替えた作品ではないだろうと思っています。
真贋のはざまで揺れ動く判断は常にあるものです。平常心で判断する姿勢をいつも保つのは難しいことですね。本作品は真贋の判断材料として手元に遺すことにしました。
もっとも真贋にはあまりこだわることは精神衛生上よくありませんね。自分の感性の範囲内で気に入ったら真作、気に入らなかったら贋作と割り切ることがいいようです。ただ常に知識と感性は向上させなくてはなりませんのでその判断は常に変化していくものです。時間経過とともに作品を常にこちらの鑑識眼の篩にかけていくことが大切なようです。
さて本日の作品はうっかり処分する作品に屋根裏にて区分されており、保存すべき作品だとはすっかり失念し、危うく処分するところでした。本作品は軸装にするつもりを額装に変更した作品で当方では釧雲泉筆の真作と判断していた作品です。
本日紹介する(再紹介)作品は、流通している作品の中には真作が極端に少ない釧雲泉の作品であり、また釧雲泉では山水図でない作品は非常に珍しいようです。
蘭図 釧雲泉筆 文化2年(1805年)頃
紙本水墨 額装
画サイズ:縦280*横480
印章は白文朱方印「釧就」、「仲孚」が押印され、落款は参考落款の作品の中に似通った書体があり、そこから推測すると越後に赴く前の江戸在住時(1802~1806頃)前後と思われます。
落款の書体が釧雲泉の作品の真贋判断の重要なポイントですが、迷いなくいい落款の作品です。印は同一の印を江戸滞在時以前の岡山時代にも使っています。
釧雲泉の蘭石図や、竹の図や梅の図は幾つか作品があるようですが、前述のように山水図に比べたら極端に数が少ないですね。
図における構図、墨に水を含ませて勢い良く描いた筆遣いなど非凡なものがあり、素晴らしい作品だと思います。
蘭や竹は東洋画の画題の一で、「蘭は世に埋もれた高節の士に、竹は冬の風雪にも緑を失わないところから君子に」たとえられ、文人画家が好んで描いています。
*2012年9月にまくりの状態の作品を額装にした作品です。
額装にしたのは普段から身近に置いておきたい作品だからです。そしてそのままなぜかしら他の贋作と判断した作品とともに屋根裏に放置されました。
釧雲泉の作品は多くの作品を処分しましたが、逆にほぼ贋作や模作と判断していても遺している作品もあります。その作品が下記の作品です。
寛政壬子 天地一如図 釧雲泉筆 寛政4年(1792年)夏 贋作
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 「清風老人」鑑定箱
全体サイズ:縦2215*横605 画サイズ:縦1950*横405
この作品は釧雲泉の作品を元に模写された可能性があります。いわゆる模作ですが、むろん真作と扱うと贋作となります。釧雲泉の構図や線よりは随分大人しい感じがしますが、この点は感性で判断するしかないですね。
本作品の落款は真作の同年の作品に近似していますが、雲泉の落款の書き方を真似しようとした感があり、雲泉の字ではないとと推定されるようです。
印章は、本ブログの記事で考察していますが、非常に良く出来ています。この印章は他に上下の湾曲が丸めなのと平た目なのとが見受けられますが、雲泉の筆と思われる真作の作品でも複数あるように思われます。
ただ本作品の箱書きをした当時はた、その箱書から真作と判断されていたものと思われます。
箱書はしっかりしています。廃棄する作品としたちょっと勿体ない作品と判断しました。よくある箱の中身をすり替えた作品ではないだろうと思っています。
真贋のはざまで揺れ動く判断は常にあるものです。平常心で判断する姿勢をいつも保つのは難しいことですね。本作品は真贋の判断材料として手元に遺すことにしました。
もっとも真贋にはあまりこだわることは精神衛生上よくありませんね。自分の感性の範囲内で気に入ったら真作、気に入らなかったら贋作と割り切ることがいいようです。ただ常に知識と感性は向上させなくてはなりませんのでその判断は常に変化していくものです。時間経過とともに作品を常にこちらの鑑識眼の篩にかけていくことが大切なようです。