
縁側にあったテーブル・・、家内の実家の庭にあったケヤキの根っこで製作したもののようです。陽があたるので割れてきたと義父が言い出しました。見ると大して割れていないのですが・・。

しかたなく「えんやら、どっこいしょ」と持って玄関へ移動しました。息子が「パパ、力持ちだね」と言うので、「いや、それほどでも」
なにか飾らないと格好がつかないので弓野焼の壷をどかっと・・。我が家の玄関はケヤキの根っこの展示場と化しています。

ついでに玄関で靴磨き。小生の靴も骨董品? 10年、20年履いている靴はざらです。

底はむろん、踵、内張りは補修をなんどもしています。

馴染んだ靴は靴べらなどは不要になります。男のみだしなみは靴から、一流のホテルマンは靴から客を判断するらしい・・・。いい靴か否かではなく、手入れをみるらしい。
さて、本日は男の隠れ家から持ち込んできた作品です。
田家秋色 伝小野竹喬筆
紙本着色絹装軸 軸先木製塗 共箱
全体サイズ:横444*縦1885 画サイズ:横328*縦1242

小野竹喬は大正12年まで「竹橋」の号であり、この号は竹内栖鳳から雅号と頂いたものです。画の印章は「孫魚乙」の朱方印であり、1919年(大正8年)頃からの使用です。このことから大正8年頃、竹喬が30歳頃の作品ではないかと推察しています。

ただし印章は竹喬の号になってから使用している作品が多く、大正10年頃の作品の可能性も高い(大正12年7月に竹橋から竹喬に改名)かもしれません。
いずれも素人の推測ですので、明確な判断は後学とさせていただきます。

本作品は竹喬がセザンヌに惹かれていたという点と故郷笠岡の思い出が象徴的に出ている作品ともいえるかもしれません。真主題は日本画風でありながら、日本画の絵の具で油絵のような表現を試みている青年画家竹橋の、清新な心が伝わってくる気がします。

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小野竹喬は明治22年生まれ、昭和54年没。享年89歳。名は英吉、岡山県に生まれる。京都絵画専門学校を卒業後、竹内栖鳳の門に入り、師の風景画の特色を継承し、更に独自の風景描写を加える。代表作に「冬」がある。詩情豊か温和な風景画家である。昭和22年芸術院会員、のちに日展顧問。
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小生がいろいろとお世話になった叔父は、人生の先輩、骨董蒐集の先輩としても敬愛していますが、叔父が小野竹喬の若い頃の作品を所有していたそうです。

機会があって小野竹喬にお会いし、その作品を見ていただいたところ、その作品と引き換えに作品を描いたいただいたそうです。

色紙程度の大きさの作品ですが、その作品は晩年の代表的な絵柄で菅らしいものでした。若い頃の作品がどのようなものであったかは、聞いておりませんが・・。

その叔父も亡くなり、その作品も蒐集作品も手放されておりますが、小野竹喬の作品を見ると作品を見せていただいた当時を思い起こします。

骨董というものはすべてが縁(えにし)ですね。

縁(えにし)はこちらから求めないと来ないもののようです。とくに骨董では・・・。さてそろそろいい靴にでも履き変えようかな

しかたなく「えんやら、どっこいしょ」と持って玄関へ移動しました。息子が「パパ、力持ちだね」と言うので、「いや、それほどでも」
なにか飾らないと格好がつかないので弓野焼の壷をどかっと・・。我が家の玄関はケヤキの根っこの展示場と化しています。

ついでに玄関で靴磨き。小生の靴も骨董品? 10年、20年履いている靴はざらです。

底はむろん、踵、内張りは補修をなんどもしています。

馴染んだ靴は靴べらなどは不要になります。男のみだしなみは靴から、一流のホテルマンは靴から客を判断するらしい・・・。いい靴か否かではなく、手入れをみるらしい。
さて、本日は男の隠れ家から持ち込んできた作品です。
田家秋色 伝小野竹喬筆
紙本着色絹装軸 軸先木製塗 共箱
全体サイズ:横444*縦1885 画サイズ:横328*縦1242

小野竹喬は大正12年まで「竹橋」の号であり、この号は竹内栖鳳から雅号と頂いたものです。画の印章は「孫魚乙」の朱方印であり、1919年(大正8年)頃からの使用です。このことから大正8年頃、竹喬が30歳頃の作品ではないかと推察しています。

ただし印章は竹喬の号になってから使用している作品が多く、大正10年頃の作品の可能性も高い(大正12年7月に竹橋から竹喬に改名)かもしれません。
いずれも素人の推測ですので、明確な判断は後学とさせていただきます。



本作品は竹喬がセザンヌに惹かれていたという点と故郷笠岡の思い出が象徴的に出ている作品ともいえるかもしれません。真主題は日本画風でありながら、日本画の絵の具で油絵のような表現を試みている青年画家竹橋の、清新な心が伝わってくる気がします。

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小野竹喬は明治22年生まれ、昭和54年没。享年89歳。名は英吉、岡山県に生まれる。京都絵画専門学校を卒業後、竹内栖鳳の門に入り、師の風景画の特色を継承し、更に独自の風景描写を加える。代表作に「冬」がある。詩情豊か温和な風景画家である。昭和22年芸術院会員、のちに日展顧問。
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小生がいろいろとお世話になった叔父は、人生の先輩、骨董蒐集の先輩としても敬愛していますが、叔父が小野竹喬の若い頃の作品を所有していたそうです。

機会があって小野竹喬にお会いし、その作品を見ていただいたところ、その作品と引き換えに作品を描いたいただいたそうです。

色紙程度の大きさの作品ですが、その作品は晩年の代表的な絵柄で菅らしいものでした。若い頃の作品がどのようなものであったかは、聞いておりませんが・・。

その叔父も亡くなり、その作品も蒐集作品も手放されておりますが、小野竹喬の作品を見ると作品を見せていただいた当時を思い起こします。

骨董というものはすべてが縁(えにし)ですね。

縁(えにし)はこちらから求めないと来ないもののようです。とくに骨董では・・・。さてそろそろいい靴にでも履き変えようかな
