昨日、家内の手術は無事終了。何人かの手術に立ち会いましたが、病院に一日いるといろんな人に会います。「さとりに縁に限りなし」か・・・。骨董の悟りなんぞ微々たるもの。
昨日から久々の独身生活・・、我ながら慣れたものであるが、時間は有効に使わないとあっという間に過ぎてしまいます。
さて本日はわが郷里の画家です。今年の年末も郷里から何十年も続いている同級会の便り、大雪は大丈夫か? 今年は帰れるだろうか。
平福穂庵の作品もいくつになったのかちょっと分からなくなりました。息子の平福百穂とともに非常の贋作の多い画家の一人です。地元秋田にも専門とする贋作絵師がいたようで、注意を要する画家の一人です。地元でも贋作を後生大事に所蔵している御仁がたくさんいます。ただ鑑定が難しい平福百穂と違い観るポイントさえしっかりしていれば平福穂庵を見間違うことはありません。
春雨烟村図 平福穂庵筆
紙本水墨軸装 軸先鹿角 鳥谷幡山鑑定箱入二重箱
全体サイズ:縦2100*横533 画サイズ:縦1350*横39
賛には滲んだ墨で「春雨烟村」と記されています。箱書には「昭和庚辰(かのえたつ 1940年)冬日 幡山道人写鑑□題 印(宗山)」とあり、表には「平福穂庵先生墨画 春雨煙村」と題されています。
墨によるみずみずしい表現を早いタッチで描いた作品で、かわせみか鷺が飛来する姿も見事である。賛も一瞬墨をこぼしたものと見間違えるように鮮烈である。
奇才、平福穂庵の面目躍如たる逸品かと思います。おそらく30分もかからずに一気に描いた作品でしょう。このような墨使いのできる画家は過去においても数少ないです。
平福穂庵:弘化元年生まれ、明治23年没(1844年~1890年)。秋田県角館出身。名は芸、俗称順蔵。当初は文池と号し、後に穂庵と改めた。画を武村文海に学び、筆力敏捷にして、ついに一格の妙趣をなし、動物画に長ず。百穂はその子。「乳虎図」(河原家蔵)は代表作。17歳で京都に上り修業、元治元年に帰る。明治23年秋田勧業博覧会で「乞食図」が一等。明治19年に東京に出て、各種展覧会に出品、大活躍する。系統は四条派で、門下に寺崎廣業ほか10人以上に及ぶ。
箱書きにある鳥谷播山はわりと著名な鑑定者です。青森出身ということもあり、秋田出身の画家の鑑定を多くてがけています。私の所蔵の中にも多くあります。下の三作品の箱書は真作のものであり、わりと信頼できる鑑定家ですが、あくまでも参考とすべきでしょう。
鑑定人 鳥谷幡山について
鳥谷幡山(とや-ばんざん):(1876-1966)青森県出身。明治-昭和時代の日本画家。明治9年1月18日生まれ。名は又蔵、別号に宗山。寺崎広業の下で野田九浦と学び、また橋本雅邦の指導を受ける。広業門下の青年画家を中心に美術研精会を結成し、主任幹事として活躍。東美校中退。明治35年美術研精会の創立にくわわり、のち独立絵画会主幹をつとめる。十和田湖をこのんでかいた。作品に「十和田湖大観」など。昭和41年(1966)歿、90才。
当方の知る限りにおいて、田崎草雲(1815年~1898年)、平福穂庵(1844年~1890年)、平福百穂(1877年(明治~1933年)、寺崎廣業(1866年~1919年)の鑑定を行っている。
箱書には「昭和庚辰(かのえたつ 1940年)冬日 幡山道人写鑑□題 印(宗山)」
昨日から久々の独身生活・・、我ながら慣れたものであるが、時間は有効に使わないとあっという間に過ぎてしまいます。
さて本日はわが郷里の画家です。今年の年末も郷里から何十年も続いている同級会の便り、大雪は大丈夫か? 今年は帰れるだろうか。
平福穂庵の作品もいくつになったのかちょっと分からなくなりました。息子の平福百穂とともに非常の贋作の多い画家の一人です。地元秋田にも専門とする贋作絵師がいたようで、注意を要する画家の一人です。地元でも贋作を後生大事に所蔵している御仁がたくさんいます。ただ鑑定が難しい平福百穂と違い観るポイントさえしっかりしていれば平福穂庵を見間違うことはありません。
春雨烟村図 平福穂庵筆
紙本水墨軸装 軸先鹿角 鳥谷幡山鑑定箱入二重箱
全体サイズ:縦2100*横533 画サイズ:縦1350*横39
賛には滲んだ墨で「春雨烟村」と記されています。箱書には「昭和庚辰(かのえたつ 1940年)冬日 幡山道人写鑑□題 印(宗山)」とあり、表には「平福穂庵先生墨画 春雨煙村」と題されています。
墨によるみずみずしい表現を早いタッチで描いた作品で、かわせみか鷺が飛来する姿も見事である。賛も一瞬墨をこぼしたものと見間違えるように鮮烈である。
奇才、平福穂庵の面目躍如たる逸品かと思います。おそらく30分もかからずに一気に描いた作品でしょう。このような墨使いのできる画家は過去においても数少ないです。
平福穂庵:弘化元年生まれ、明治23年没(1844年~1890年)。秋田県角館出身。名は芸、俗称順蔵。当初は文池と号し、後に穂庵と改めた。画を武村文海に学び、筆力敏捷にして、ついに一格の妙趣をなし、動物画に長ず。百穂はその子。「乳虎図」(河原家蔵)は代表作。17歳で京都に上り修業、元治元年に帰る。明治23年秋田勧業博覧会で「乞食図」が一等。明治19年に東京に出て、各種展覧会に出品、大活躍する。系統は四条派で、門下に寺崎廣業ほか10人以上に及ぶ。
箱書きにある鳥谷播山はわりと著名な鑑定者です。青森出身ということもあり、秋田出身の画家の鑑定を多くてがけています。私の所蔵の中にも多くあります。下の三作品の箱書は真作のものであり、わりと信頼できる鑑定家ですが、あくまでも参考とすべきでしょう。
鑑定人 鳥谷幡山について
鳥谷幡山(とや-ばんざん):(1876-1966)青森県出身。明治-昭和時代の日本画家。明治9年1月18日生まれ。名は又蔵、別号に宗山。寺崎広業の下で野田九浦と学び、また橋本雅邦の指導を受ける。広業門下の青年画家を中心に美術研精会を結成し、主任幹事として活躍。東美校中退。明治35年美術研精会の創立にくわわり、のち独立絵画会主幹をつとめる。十和田湖をこのんでかいた。作品に「十和田湖大観」など。昭和41年(1966)歿、90才。
当方の知る限りにおいて、田崎草雲(1815年~1898年)、平福穂庵(1844年~1890年)、平福百穂(1877年(明治~1933年)、寺崎廣業(1866年~1919年)の鑑定を行っている。
箱書には「昭和庚辰(かのえたつ 1940年)冬日 幡山道人写鑑□題 印(宗山)」