夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

リメイク 真贋考 虎之図 平福穂庵筆 

2019-02-15 00:01:00 | 掛け軸
*本原稿は2018年8月2日に投稿されましたが、資料調査により修正点が多々あり、修正して「リメイク」として再投稿します。

この作品はもともとは母方の縁者が所蔵していた作品でしたが、近日、知り合いからの紹介で縁あって譲り受けた作品です。真作なら平福穂庵の大幅で初期の作品と言えますが、以前に投稿した際には「贋作」の可能性が高いという趣旨で記述していましたが、この度は真作の可能性のほうが高いという判断になりました。

*印部分が今回の訂正した部分です。

贋作考→*真贋考 虎之図 平福穂庵筆 
紙本水墨軸装 軸先 合箱
全体サイズ:横1140*縦1840 画サイズ:横1000*縦920



落款には「明治乙亥二月 穂庵□順 押印」とあります。1875年(明治8年)。平福穂庵が31歳の作となります。

*専門的には「平福穂庵の第2期」に分類される作品です。

当方の所蔵する作品では下記の「双鶴図」(真作)の作品が近い時期の作品であり、この作品の画中の賛には「甲戌春三月」から1874年(明治7年)、落款からは穂庵の初期の頃、30歳頃の作と推定となります。

双鶴図 平福穂庵筆 その16(真作整理NO)
紙本水墨軸装 軸先鹿角 合箱 庄司氏旧蔵
全体サイズ:縦2063*横615 画サイズ:縦1078*横451

両作品の落款を比較してみましょう。左が本作品(「虎之図)、右が「双鶴図」(真作)であり、一年の製作時期の違いがありますが、見紛うことなきがごとく、ほぼ同一人のよるものと推察されます。

 

問題は印章です。印章は朱文白長方印「穂庵」で、上記作品「双鶴図」に押印されている印(真印)とは違います。

そこで印章の確認は当方の他の真作の所蔵作品である「瀑布図」、「雪中鴛鴦図」(慶応3年 1867年 明治元年前年)に同一印章が押印されていますので、そちらと比較してみました。

 

この印章との比較において、本日紹介している「虎之図」と微妙に違います。このことにより、売買では真作とは断定されない可能性があります。「雪中鴛鴦図」から8年後の作ですので、印が多少変わっている可能性は否定できませんが厳密な判断が必要です。

これ以上制作年代が近いと判断される年号入りの平福穂庵の資料が手元にないので判断資料はありませんが、印章が微妙に違うという現象は明治以前の印章にはよくあることです。一概にここで贋作とは断定できないものがあります。

*この推定は正しいものと判断しました。概して印章が一致しないと贋作という判断をする方が多いのですが、それは大きな間違いだと思っています。



初期の頃の平福穂庵は、16歳で京都に遊学し、故郷にあてた手紙に「予は自然を師として独往(どくおう)の決心」と書き記したように、特定の師につかずに古画の模写や風景写生に励んで画技の研鑽を積みました。この頃から穂庵の雅号を用いています。



帰郷後も、幕末から明治にかけての大きな社会的変革の中にあって画業に励み、対象に迫る眼や実物写生による迫真性にさらに磨きをかけ、形式にとらわれた作品が多いこの時期に、自由奔放で才気あふれる自在な筆勢をみせています。この時期(初期の頃)の作品を高く評価する人も多いようですが、真作ならまさしく本作品はこの頃の佳作と言えます。

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平福穂庵:弘化元年生まれ、明治23年没(1844年~1890年)。秋田県角館出身。名は芸、俗称順蔵。当初は文池と号し、後に穂庵と改めた。画を武村文海に学び、筆力敏捷にして、ついに一格の妙趣をなし、動物画に長ず。百穂はその子。「乳虎図」(河原家蔵)は代表作。17歳で京都に上り修業、元治元年に帰る。明治23年秋田勧業博覧会で「乞食図」が一等。明治19年に東京に出て、各種展覧会に出品、大活躍する。系統は四条派で、門下に寺崎廣業ほか10人以上に及ぶ。

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平福穂庵の虎の作品というと有名な「乳虎図」がありますが、この作品は明治23(1890)年の第三回内国勧業博覧会で妙技二等賞を受賞しており、平福穂庵の最晩年における代表作です。



この作品は、日比谷公園で展示されていた虎を一週間通い詰めて描いた入念な写生図をもとに、明治22(1889)年に病気のため帰郷した角館で構想を練り、制作されたものです。

「乳虎図」は円山四条派の流れをくむ写生体で、模索の末に打ち立てた独自の画風の円熟をみることができます。精緻な筆遣いで描かれた表情や金泥(きんでい)を施した毛並みの柔らかい質感など、細部まで余すことなく描き込まれた「乳虎図」は、鋭い観察と磨かれた画技に支えられ、平福穂庵の精神性までもが表現された、格調高い作品となっています。平福穂庵の晩年の最高傑作でしょう。

*「乳虎図」は二作品存在し、どちらの作品が出品されたかは現在は不明だそうです。

本日の作品が真作なら、この代表作より14年前に描かかれた虎を画題とした作品となり、資料的にも価値のある作品となります。



本作品は興味深い作品であることには相違ありませんし、出来から当時の家人らは真作と判断したのでしょう、母の実家では杉の材木業を営んでいたことから分厚い杉板材を使用した立派な箱が誂えられています。

*明治以前の上等な杉箱に収められた作品には良品がありという言い伝えが骨董にはあります



印章の違い、絵の出来では虎の左足のあいまいな表現などから、真作とは完全には断定できないと判断されますが、この作品は小生の先祖に関わる歴史のひとつですので、大切に保管しておくことにしました。

*この作品は真作と判断されます。

(先人である家人の弁護のため:母の実家の家人は目利きでしたので真作と断定できないと理解していた可能性があります。母の実家で所蔵していたほとんどの作品を小生に見せてくれていましたが、この作品については見せてくれていませんでしたので・・・。)



当方のような骨董をビジネスとしていない素人に迂闊な判断は禁物です。他の作品らと良く見比べて慎重に判断しています。

素人が「贋作を真作ととらえるのはそれほど罪ではありません。」が、「真作を贋作と断定するのは大きな罪」です。本作品は微妙な作品であり、現段階では「真作とは断定できない、」という表現にとどまります。

*正直なところ現段階では真作の可能性が高いと小生は判断しています。



資料から推察すると元々本作品を母の実家の縁者が所蔵する前に所蔵していた家が解りました。

その家と同郷の家(共に地元では著名な名家)で所蔵していた刀剣を手前に飾りました。骨董には地元での先祖の歴史があります。そしてそれは小生に関わる歴史のひとつであることも事実です。

*この作品を真作と判断した根拠

1.平福穂庵の作で明治7年の作は第2期に分類され、その作品のほとんどが大作となっている点
2.この当時の落款は「穂」の「心」の部分が極端に跳ね上がっている点(この時期以降はその特徴がなくなっていく。)
3.さらに「穂」の冠部分の特徴が明治8年頃の書体であり、その後は書き方に違いが出る。

*以上より本作品は多少の印章の違いが後期の作とはあるものの真作に相違ないという結論に達しています。真作を贋作と断定するのは大きな罪」を冒さなくて済みましたし、我が家の先人の目利きを立証したような?気がします。



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