夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

梅 伝小堀権十郎筆

2019-02-14 00:01:00 | 掛け軸
本作品は家内が購入した作品です。

梅 伝小堀権十郎筆
紙本水墨軸装 軸先塗 古筆了鑑定箱入
全体サイズ:縦*横 本紙サイズ:縦*横



さてこのお軸を掛けて、息子と家内で雪見茶と洒落こんだ時の写真です。飾ってある作品はすべて本ブログにて紹介してある作品です。

床にはバーナード・リーチの置物、には京焼・・。



茶碗には自作の茶碗も・・・。



菓子皿には「スコタイ」の皿・・。



家内のお手前でお薄を頂きました。



むろん息子はお菓子が目当てですが、お茶も大好きなようです。



小堀権十郎は言わずと知れた江戸前期の茶人。徳川幕府の旗本で名は政尹、号は篷雪。小堀遠州の三男(長男が夭折したため次男とも言われる)。

はじめ母方の姓浅井氏を名乗るが、のち小堀氏となる。父の後を承け、千石を領した。茶道・書道を父に学び、また画・狂歌にも秀でた。元禄7年(1694)歿、70才。

 

「梅がえに なきてうつろふ 鶯の はねしろたへに あわ雪そふる」かな??



大和遠州流(やまとえんしゅうりゅう)は小堀遠州の三男(長男が夭折したため次男とも言われる)小堀政伊に始まる小堀権十郎家に伝わった茶道の流派である。



小堀権十郎家は1000石の旗本で、大和遠州流は小堀本家が継承している遠州流と同様、武家茶道の一派に属する。その茶風は、千利休・古田織部が確立した「わび・さび」の気風に加え、茶室の構造・露地の態様・茶道具の取り合わせや掛け軸の選択等、茶事に関わる全てに小堀遠州の美意識を反映させた「綺麗さび」を特徴としている。



後に、家元は当代で最も実力を認められた高弟に継承されていった。



明治末期に栃木県佐野市の蓼沼家本家の食客となっていたことのある17代家元の加藤一照が、当時から弟子であり明治43年に北海道留萌市に移住していた蓼沼紫英へ、昭和7年に18代家元を継承したことから、北海道に本部をおくこととなった。



当方は茶掛には全くの門外漢・。

 

真贋のほどはよくわかりませんが、雰囲気はあります。

 

ただ雰囲気では真贋は語れないのが骨董の難しさ・・・。



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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-02-20 23:24:16
こんばんは。
これはおそらく父遠州の書ですね。
別格レベルの「アーチスト」遠州の書の特徴が大方ありますし、権十郎もこれには到底及びません。
それに、そもそもこの歌は新古今の優れものの古歌ですから、普通ならこの色紙には落款の類は無かったはずで、従ってこの印は無意味な後印であり、これが権十郎のものとされるなら一応「偽物」ということになると思います。
しかし何故より価値の高いと思われる父の書に、息子の印(真贋は不明)が押されることとなったかの事情については全く分かりませんが。

ということなのですが、私でしたらこの印は削り落とし、本来の姿に戻して「本物化」します。
遠州という人は、歌の趣旨と料紙のデザインを「微妙にマッチングさせる」のが好きでして(定家以来一般的にはこれは無粋とされる)それが実際この色紙では綺羅引き(?)の上品に輝く料紙の白と、チラチラと交錯する淡雪と鶯の羽の白という美しい雪景イメージとをシンクロさせているわけですね。
そして更にそれに合わせた表具の明度のバランスや色彩を抑えた趣味も良いですし、そう考えるならばこの場違いで人騙しかつ無粋な朱色の後印はなくした方が、より軸全体の本来の格調が高まると思われるのですが。

しかしまあ、とはいえ文化財に手を加えることはあまりせぬ方が良いのかもしれません。
(ちょっと長くなり過ぎました 笑)
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茶掛 (夜噺骨董談義)
2019-02-21 06:02:15
コメントをありがとうございます。
たしかに小堀権十郎の印が幼稚な偽印であることはすぐに解りました。ただそれを除くと出来の良いことから後で印章が押印されたと容易に推測されます。
これもまた人間のなせる業・・・・、それを否とするか良しとするかは鑑賞する側の人間の度量次第と思っています。
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