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本日紹介します杉本健吉については、先日「カサブランカ」という作品を紹介しています。
琵琶童女 杉本健吉筆 その6
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱
全体サイズ:縦1280*横440 画サイズ:縦390*横300
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いつごろ描かれた作品かは不明ですがが、晩年に「大須観音の鐘楼堂の華精の鐘(女人梵鐘)のデザイン(四面の池の間に、四季の花、梅、牡丹、蓮、菊、その中心に、華の精の姿を描く)」という作品が紹介されており、その作品と同時期ではないかと推察されます。
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市場の出回る「杉本健吉」の作品はほとんどがリトグラフ、もしくは木版画に手彩色の作品ですが、本作品は珍しい肉筆画です。当方では20年かけて出来の良い肉筆画を入手できたのは小点の3点のみです。
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木版画に手彩色の作品は肉筆と見分けが難しくなっています。
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最終的には共箱になっていることが望ましいと思います。
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当方の他の所蔵作品に下記の作品がありますが、一応は木版画に手彩色と考えています。
観音様 杉本健吉筆
紙本水墨淡彩 軸先練
全体サイズ:縦1400*横394 画サイズ:縦304*横244
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このような上記と同様の愛らしく天女や観音様を描いた作品は、版画に手彩色でたくさん出回っており、肉筆の作品は非常に少ないのでその点は注意が必要です。
最近も色紙の作品を肉筆と思い入手寸前まで至りましたが、当方の指摘で売られるほうで版画に手彩色と認め撤回された方がおりました。
杉本健吉の詳細な来歴については他の作品の投稿を参考にして下さい。
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杉本健吉:1923年に旧制愛知県立工業高校を卒業後、加藤静児のアドバイスにより図案家、今でいうグラフィックデザイナーとして鉄道会社を中心としたポスターや商業デザインの仕事を手がける。
1925年に京都に出向き岸田劉生の門下に入る。その後、吉川英治作の『新・平家物語』・『私本太平記』等の挿絵を担当し絶賛を得る。
1949年(昭和24年)奈良 東大寺観音院住職上司海雲師の知遇を受け、観音院の古土蔵をアトリエにしてもらい、奈良の風物を描く。奈良では志賀直哉、入江泰吉らと交流する。
1987年名古屋鉄道により、愛知県知多郡美浜町美浜緑苑に杉本美術館が開館し、売らずにいた絵画が収蔵された。
晩年まで毎週、同美術館に足を運び、美術館内に設けられたアトリエで、デッサンや来館者との歓談を楽しんでいたが、2004年肺炎のため死去(98歳)。
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84歳のときに利き手である右手を骨折し、左手による作品づくりを余儀なくされた時がありました。画伯はその状況すらも楽しみ、 "杉本左吉""左甚娯郎"などと名乗ったそうです。絵はもちろんのこと、そこに書き添えられたひとことがどれも味わい深く、『左手誕生』という作品では、お釈迦様が左手挙げてます。ほかの作品も、落款が「左吉」になっていたり、蛇年生まれなので、ときに作品サインをL吉にして(LEFTのL)そのLを蛇っぽく描いてみたりと、遊び心をいつも忘れていかったそうです。
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上記のほかに岸田劉生の門下であったこと(油絵の制作)、吉川英治との交流(挿絵の制作)、奈良での制作などを覚えておくと彼の作品がより理解できると思います。
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藤井達吉や杉本健吉は現代のデザイナーの先駆けとなった工芸家です。単なるデザイン力だけではなく、陶芸、画家としての実力は抜きん出たものがあります。
陶芸もしたこともなく、日本画や油絵の修行もない現代のデザイナーと称する人はこの二人を見習うべきかと思います。何よりも信念と祈り、そして遊び心が充満している二人です。
琵琶童女 杉本健吉筆 その6
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 共箱
全体サイズ:縦1280*横440 画サイズ:縦390*横300
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いつごろ描かれた作品かは不明ですがが、晩年に「大須観音の鐘楼堂の華精の鐘(女人梵鐘)のデザイン(四面の池の間に、四季の花、梅、牡丹、蓮、菊、その中心に、華の精の姿を描く)」という作品が紹介されており、その作品と同時期ではないかと推察されます。
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市場の出回る「杉本健吉」の作品はほとんどがリトグラフ、もしくは木版画に手彩色の作品ですが、本作品は珍しい肉筆画です。当方では20年かけて出来の良い肉筆画を入手できたのは小点の3点のみです。
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木版画に手彩色の作品は肉筆と見分けが難しくなっています。
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最終的には共箱になっていることが望ましいと思います。
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当方の他の所蔵作品に下記の作品がありますが、一応は木版画に手彩色と考えています。
観音様 杉本健吉筆
紙本水墨淡彩 軸先練
全体サイズ:縦1400*横394 画サイズ:縦304*横244
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このような上記と同様の愛らしく天女や観音様を描いた作品は、版画に手彩色でたくさん出回っており、肉筆の作品は非常に少ないのでその点は注意が必要です。
最近も色紙の作品を肉筆と思い入手寸前まで至りましたが、当方の指摘で売られるほうで版画に手彩色と認め撤回された方がおりました。
杉本健吉の詳細な来歴については他の作品の投稿を参考にして下さい。
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杉本健吉:1923年に旧制愛知県立工業高校を卒業後、加藤静児のアドバイスにより図案家、今でいうグラフィックデザイナーとして鉄道会社を中心としたポスターや商業デザインの仕事を手がける。
1925年に京都に出向き岸田劉生の門下に入る。その後、吉川英治作の『新・平家物語』・『私本太平記』等の挿絵を担当し絶賛を得る。
1949年(昭和24年)奈良 東大寺観音院住職上司海雲師の知遇を受け、観音院の古土蔵をアトリエにしてもらい、奈良の風物を描く。奈良では志賀直哉、入江泰吉らと交流する。
1987年名古屋鉄道により、愛知県知多郡美浜町美浜緑苑に杉本美術館が開館し、売らずにいた絵画が収蔵された。
晩年まで毎週、同美術館に足を運び、美術館内に設けられたアトリエで、デッサンや来館者との歓談を楽しんでいたが、2004年肺炎のため死去(98歳)。
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84歳のときに利き手である右手を骨折し、左手による作品づくりを余儀なくされた時がありました。画伯はその状況すらも楽しみ、 "杉本左吉""左甚娯郎"などと名乗ったそうです。絵はもちろんのこと、そこに書き添えられたひとことがどれも味わい深く、『左手誕生』という作品では、お釈迦様が左手挙げてます。ほかの作品も、落款が「左吉」になっていたり、蛇年生まれなので、ときに作品サインをL吉にして(LEFTのL)そのLを蛇っぽく描いてみたりと、遊び心をいつも忘れていかったそうです。
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上記のほかに岸田劉生の門下であったこと(油絵の制作)、吉川英治との交流(挿絵の制作)、奈良での制作などを覚えておくと彼の作品がより理解できると思います。
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藤井達吉や杉本健吉は現代のデザイナーの先駆けとなった工芸家です。単なるデザイン力だけではなく、陶芸、画家としての実力は抜きん出たものがあります。
陶芸もしたこともなく、日本画や油絵の修行もない現代のデザイナーと称する人はこの二人を見習うべきかと思います。何よりも信念と祈り、そして遊び心が充満している二人です。